小特集:人間生活、意味、記号

寄稿 「シン・記号論」とは何の名前か 石田英敬(東京大学名誉教授、記号論・メディア論)

「情報とは相異する二つの現実の間の緊張状態であり意味作用である。その意味作用は、個体化のオペレーションが、相異する二つの現実がシステムとして生成しうる次元を見出したときに、出現する。」
(ジルベール・シモンドン)
*1

 シン・記号論*2とは、20世紀をとおして発達した記号論を全面的に改訂しようとする企てである。
 現代記号論(ソシュールやパースに始まる20世紀の記号論のこと)は、表象文化論も多いに依拠してきた基礎理論だが、だいぶ古くなった。表象文化論をやっている若い人たちはもはや具体を知らないかもしれない。だが知らなくてすむ問題ではない。その無知は自分たちのエピステモロジックな無意識かもしれない。だから記号論のエピステモロジーとそのテクノロジー基盤を問い直し記号や意味の問題を考え直すためにシン・記号論が必要なのである。
 20世紀の現代記号論とは、メディアの知──すなわち記号テクノロジー批判──として登場した。しかし、20世紀をとおしたメディア革命の急速な展開により、むしろ人びとの生活世界の方が、記号論を超えて普遍記号論化した。だから現代記号論は急速に古くなったのである。
 その旧・記号論の祖ソシュールは、記号学とは「社会における記号の生活」の研究だと言ったが、一世紀後、ひとびとの生活は、メディア・インターフェイス上で「社会における記号の生活」として成り立っている。旧・記号論のもうひとりの祖パースがつくろうとしたのは普遍的な記号過程(semiosis)の記号論だった。一世紀後、人びとの意味宇宙は、マシンによる情報処理のプロセスと表裏である。
 だから、ひとがセミオーシスしているあいだに、マシンが情報処理している関係を明らかにする「情報記号論」の研究として、まずシン・記号論は記号論のヴァージョンアップを始めねばならない*3

*1 Gilbert Simondon L’individuation à la lumière des notions de forme et d’information Million Grenoble 2005, p.31 邦訳 ジルベール・シモンドン『個体化の哲学 形相と情報の概念を手がかりに』藤井千佳世 監訳 法政大学出版局 2018, p.18に対応。
*2 新記号論については、石田英敬×東浩紀『新記号論 脳とメディアの出会うとき』(ゲンロン 2019)。さらに、2021年よりシラスチャネル『石田英敬の現代思想の教室』での「新記号論講義」シリーズ回https://shirasu.io/c/igiturを参考にされたい。
*3 情報記号論については、石田英敬「『情報記号論』講義 総括と展望」『東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究』No.96. March 2019, pp.1-26を参照されたい。本稿と此の論文とのあいだには記述の重複が多数存在するが、本稿は情報記号論の趣旨を表象文化論学会のために改めて説明したものだからである。

1 「記号の正逆ピラミッド」

 情報記号論の狙いを理解してもらうために、わたしは、パース記号論のアイコン・インデックス・シンボルの三分類をもとに図式化して、「記号の正逆ピラミッド」(図1)として表現している。ダニエル・ブーニューがパースの記号論を組み替えて提示した「記号のピラミッド」の図式*4をさらに発展させて、その下部構造に「記号の逆ピラミッド」を加えることで、メディア・コミュニケーションにおける〈記号過程〉とメディア・テクノロジーによる〈情報処理〉のインターフェイスを概念化する記号図式である*5

1.jpeg図1「記号の正逆ピラミッド」

 アナログ・メディアとの界面においては、記号の痕跡は、信号化される。アナログ信号は、さらに、デジタル変換され数値化され、さらにプログラムによる計算化・アルゴリズム化のプロセスへと向かう。〈記号過程〉の痕跡は、機械によって〈情報処理〉されるようになる。
 「記号の逆ピラミッド」の部分が、20世紀以後のメディア文明の「記号の生活」を支えるようになった。
 人間の心(mind)は、身体(body)のレヴェルで情報処理(information processing)のプロセスと接する生活を営むようになった。コンピューターとの界面(interface)で、人間の心(mind)と機械の計算(computation)が向き合うようになった世界である。人間がセミオーシス(記号過程)しているあいだに、マシンは情報処理している生活である。そのように情報記号論の基本図式として機能するのである。
 この図式を使って、機械による情報処理のプロセスをマッピングすることができるばかりでなく、メディア・インターフェイスにおける、精神・身体・機械の関係(左辺矢印)、文字・像/痕跡・数字・式という痕跡技術(右辺矢印)との対応を示すことができる。
 この図式は、さらに、知の見取り図をも与えるのであって、記号の正ピラミッドの上位には、ことばと論理の知、中位には、イメージの知、下位には、現象と痕跡の知、逆ピラミッドの情報処理のプロセスには、物理信号、二項数値化とアルゴリズム計算の知をマップすることができる。下部構造をなす逆ピラミッドの機械化のプロセス(アナログ信号からデジタル信号、プログラム・アルゴリズム化へと向かう、メディア・テクノロジーの進化)が、上部構造の記号のピラミッドで起こる知の組み替え(言語学、記号論、メディア論、現象学、一般文字学といった20世紀の知の台頭や論理学の数学化)と平行して進むことも、この記号図式から理解されるはずである。

*4 ダニエル・ブーニュー『コミュニケーション学講義──メディオロジーから情報社会へ』、西兼志訳、書籍工房早山 東京 2010, p.60
*5 石田英敬『大人のためのメディア論講義』ちくま新書 筑摩書房 東京 2016, p.129

2 構造主義とサイバネティクス

 この図式にはじつは別の読み方もあって、それは同じ図式を90度回転させて水平にしたときに明らかになる。
 図2は、ソシュールの「パロールの回路」とシャノンの「コミュニケーション・モデル」を組み合わせた図なのだが、図1とは構造的に相同である。

2.jpeg図2 「パロールの回路」と「シャノン・モデル」

 さきほど述べた、記号過程(semiosis)と情報処理(information processing)のインターフェイス関係を提示するために、ソシュールの「パロールの回路 le circuit de la parole」とシャノン・ウィーヴァーの「コミュニケーション・モデル」との補完関係を示した図である。
 「パロールの回路」[図3]はソシュールが1910年頃におこなった講義のなかで提示されたものである*6

3.jpeg図3 ソシュール「パロールの回路」

図から明らかなように、言語記号のやり取りを電話コミュニケーションのモデルにもとづいて理論化したのである。

4.jpeg図4 「パロールの回路」概念図式

[図3]をさらに概念化した [図4]では、脳内で起こる「概念Concept」(=シニフィエ)と「聴覚イメージImage acoustique」(=シニフィアン)の連合作用も書き込んでいる*7。このソシュールのコミュニケーション図式で、固有に言語学が関わるとソシュールがいうのは、脳内の概念(シニフィエ)と聴覚イメージ(シニフィアン)との連合作用にかかわる心的プロセスとしての「言語体系(ラング)」の部分であって、脳から発話(phonation)へ、あるいは聴取(audition)から脳へという生理的プロセス、および発話と聴取を結ぶ音波にかかわる物理的プロセスは、言語学──より厳密に言えば言語記号学──にとっては非関与的であるとされる*8
 他方、ソシュールの図式からほぼ40年をへて1948年に提出されたクロード・シャノンの数学的通信理論もまた電話モデルに基づいている[図5]。よく知られているように、メッセージが情報源から符号化をへて受信機で復号化されて受信者に届く回路の情報量計算を可能にした図式(通称「シャノン・モデル」)である。

5.jpeg図5 シャノン「コミュニケーション・モデル」

シャノンの通信理論がもっぱら関わるのは「工学的問題 engineering problem」であり、「しばしばメッセージは意味を持っており、メッセージは何らかのシステムによって物理的あるいは概念的な一定の実体を参照する、あるいはそれらと関連づけられるものである」としても「コミュニケーションにおけるそれらの意味論的な側面は工学的問題には非関与的である」*9とされる。つまり、「情報源」と「受信者」とを結ぶ工学的回路の部分にのみシャノン・モデルは専ら関わるものであるとされる。
 そこから浮かび上がるのは、ソシュールの「パロールの回路」が意味作用(signification)の心的プロセスにもっぱら関わり生理的・物理的プロセスを切り離すのとちょうど対比的に、シャノン・モデルが意味論的プロセスを切り離してもっぱら物理的信号の伝達という工学的プロセスに専念するという相互補完的な関係が電話のコミュニケーション回路を分け合って対面している構図である。
 ソシュールのことばの回路が1900年のアナログ・メディア革命の図であり、シャノン・モデルが1950年のデジタル・メディア革命の図であることを見れば、20世紀をとおして、この構図が出来上がっていったことが分かる。
 それはまた、20世紀の知の見取り図でもある。
 左側の「パロールの回路」の延長上では、構造主義やポスト構造主義と呼ばれた人文諸科学の革新の動きが展開していった。右側の「通信の数学理論」の回路がフィードバック回路を備えることで、ウィーナーの「サイバネティクス」、そして、「人工知能」の研究が発展していった。
 じっさい、ヤコブソンやレヴィ゠ストロース、ラカンが、明確にサイバネティクスを意識し、それとの対話においてかれらの象徴システムの研究を進めていったことは、いまでは大量の歴史研究が証している*10。一方における構造主義、ポスト構造主義、他方における情報理論、サイバネティクスは、フーコー的にいえば、同じ「エピステーメー」に帰属しているといえそうだし、それこそが20世紀の〈知〉というものだったと今では整理できそうなのである。
 そして、表象文化論研究は、この20世紀のエピステーメーのなかに、その東アジア的具体化のエピソードとして記入されているというわけである。

*6 Ferdinand de Saussure Cours de linguistique générale, éd. critique par Tullio de Muro Payot Paris, 1967, p.27
*7 同書 p.28
*8 同書 p.28-29
*9 Claude E. Shannon and Warren Weaver The Mathematical Theory of Communication, The University of Illinois Press Chicago 1963, p. 31; 邦訳 クロード・E・シャノン、ワレン・ウィーバー『通信の数学的理論』植松智彦訳 ちくま学芸文庫 東京 2009 p. 22
*10 Ronan Le Roux Une histoire de la cybernétique en France (1948-1975) Paris Classique Garnier 2018を参照。

3 「心の装置」と「無意識」

 以上、ひとつの図式を縦に置いたり横に置いたりしながら考えてきた。しかし、むろん、図式問題の核心は、そこには何が記入されていないか・・・・・・・・・・・を読み取ることにある。
 20世紀のエピステーメー以後、ヒトの心の回路とテクノロジーの回路との間には、明示的なギャップが存在し、そこがインターフェイスの無意識・・・・・・・・・・・・を構成するようになった。
 この問題は、ソシュール「パロールの回路」にも、「シャノン・モデル」にも、じつは限界として・・・・・描き込まれている。一方は、心的プロセスにのみかかわり、他方は、工学的プロセスにのみかかわる、とされていたからだ。言語学ではこれを、emic/etic問題という。
 そこには、カント的に言えば、人間の「有限性」という超越論的な問題が書き込まれている。しかし、「人間が消え去った」(フーコー)20世紀以後は、その問題は、「総合-定立的アプリオリ le synthétique apriori」の認識問題として書かれているというよりは、「前-定立的アプリオリle prothétique apriori」の問題として書き込まれているのである*11
 じっさい、私の「記号の正逆ピラミッド」の図式で、正ピラミッドと逆ピラミッドの接合を保障しているものは何か。あるいは、ソシュールの「パロールの回路」と「シャノン・モデル」の対面を保障しているのはどのような機序なのか。冒頭に引いたシモンドンの「情報」概念が言うように、この「二つの相異なる現実の間にシステムが生成する」ときにのみ「情報」は「意味作用」として出現するのである。
 20世紀以後の人間にとっての「心の問題」がそこには横たわっている。
 ソシュール、フロイト、フッサールらの仕事は、メディアを心のモデルを書くための文字としているところに特徴がある。そのモデルはフロイトにおいて「心の装置」と呼ばれた。心はメディアの形をしている、というのは心がテクノロジーの文字で書かれる時代に必然的な認識論的メタファーである。
 フロイトにおいては、さらに、心は脳のかたちをしている・・・・・・・・・・・・という、フロイトの第二局所論が示す脳神経科学的なメタファーとも心のモデル化は重なっている[図6]*12。19世紀後半以後、メディア・テクノロジーの発達とニューロンが発見され脳の機能中枢が発見されていく過程とは同時的に進行する。メディア・テクノロジーと脳神経科学のこうした平行関係のなかで、心を理論化する認識の配置は、その後の二〇世紀後半の認知科学から人工知能まで継続しているといえる。

6.jpeg図6 フロイト第二局所論

 脳とメディアが出会うとき、心の問題は、こうした知と技術のインターフェイスにおいて理論化される。フロイト以降の二〇世紀思想の主体パラダイムは基本的にこの構図のなかで描かれてきた。
 フロイトの論文「不思議のメモ帳 についての覚え書き」 で取り上げられた筆記用具Wunderblockがフロイト局所論の図と近似していたように[図7]*13 Apple iPadのようなメディア端末はヒトの「心の装置」とますます相似を深めつつある。

7.jpeg図7 「不思議メモ帳」と「心の装置」

 心の装置と心の補助具が一対一で対応する日常生活へと人びとの生活は移行している。
 メディア・インターフェイスとの関係がこのように密着していくと何が起こるのか。心の補助具が心と同形化してアヴァター化し、人間の心とマシンとの境界の画定が焦点化してくる。記憶と外在化されたメモリー、リアルとヴァーチャル、意識化とデータ化、等の原理的対比が逆にクロースアップされてくる。情報処理の論理と記号過程の論理が記号のピラミッドのボトムの部分で認識論的な突き合わせを求められるようになる。パース記号論のいう「基底」や「感覚質(クオリア)」、フッサール現象学のいう「意識流」や「時間性」、デリダ文字学のいう「原エクリチュール」や「差延」などの理論的射程が、「記号接地問題」や人工知能の「深層学習」等との対比であらためて問われるようになるのである[図8]*14

8.jpeg図8 「記号の正逆ピラミッド」と「記号接地問題」

*11 Bernard Stiegler « Du jugement prothétique a priori » Conférence au séminaire « Les supports de la mémoire » Laboratoire COSTECH, équipe PHITECO (philosophie, technologie, cognition) 1994 https://arsindustrialis.org/node/1938
*12 フロイト「自我とエス」『フロイト全集18 1922-24年 自我とエス みずからを語る』岩波書店 東京 2007 所収。図13は邦訳p.20の図にフロイト原典の略号と「聴覚帽(akust)」の原意「聴覚知覚」を石田が補って記入したものである。
*13 フロイト「『不思議のメモ帳』についての覚え書き」同書 pp.317-323。図14では、フロイトの論文の指摘する「不思議のメモ帳」の構造を、『夢解釈』第7章「夢過程の心理学」で提示される第一局所論の「心の装置」の図式(『フロイト全集5 1900年 夢解釈Ⅱ』岩波書店 東京 2011)および「心理学草案」(『フロイト全集3 1859-99年 心理学草案 遮蔽想起』岩波書店 東京 2010)で示された神経学的知見を記入して重ね合わせることで、フロイトが理論化する心の装置と不思議メモ帳という心の補助具の対応関係を示している。この対応関係について、石田英敬「〈テクノロジーの文字〉と〈心の装置〉──フロイトへの回帰」(石田英敬、吉見俊哉、マイク・フェザーストーン 編集 『デジタル・スタディーズ2 メディア表象』東京大学出版会 東京 2015 第4章 pp.95-131)及び、石田英敬・東浩紀 前掲書「第2講義 フロイトへの回帰」を参照されたい。
*14 これらの問題について詳しくは、石田英敬・東浩紀「第3講義 書き込みの体制2000」を参照されたい。

4 〈補助具をつけた人間〉のコギト

 わたしはいつも、フロイトの『文化の中の居心地悪さ Das Unbehagen in der Kultur』の一節を引用して「メディア文明のなかの居心地悪さ」を語ってきた*15

 人間はいってみれば一種の「補助具をつけた神」、補助器官をまとえばたしかに目覚ましいが、人間とともに成長したわけではなく、しばしば危難を人間にあたえる補助器具をまとった神となった。*16

 現在では、人類の過半数がインターネットに接続しモバイル端末を携行して日々生活している*17。情報通信機器という補助具をまとえば世界中のどこからもいつでも遍在的コミュニケーションに参加することができる。人間はたしかに「補助具をつけた神」に近づいたといえよう。しかし、それらは「人間とともに成長したわけではなく、しばしば危難を人間に与える補助具」である*18
 メディア・テクノロジーには、人間の意識がテクノロジーの無意識によって生みだされることにともなう、人間にとっての抜きがたい不安──まさしくフロイトのいう「居心地の悪さ das Unbehagen」──がつきまとっている。人間の意識の自律的コントロールを外れたところで、テクノロジーの無意識が社会を結びつけ集団的な意識/無意識をつくり出している。ヒトと機械、意味と情報との界面に「情報記号論」の問題領域を私は設定した。機械がヒトの意識下で意識をつくりはじめると〈人間〉がゆらぐ。〈無意識〉が露呈する。二十世紀の人間科学はその断層の上に無意識の知として生まれた。〈記号〉の問いはこの人間のゆらぎに発している。
 記号はテクノロジーの文字によって書かれ、ヒトによって事後的に認知される意味および意識の要因である。二〇世紀以後、人間にとって意味・意識はつねにすでにテクノロジーの文字に遅れてやってくるようになったのである。
 この遅れはしかし、意味の知/意識の知の無効化を意味しない。そうではなく、むしろ意味の知/意識の知の根本的な更新を私たちに求めて記号を送ってきている。シン・記号論が応えようとするのは、そのような新たな記号論の再開への要請なのだとわたしは考えている。

*15 例えば次のシンポジウム基調講演:“Le malaise dans la communication”, 13-14 Febrary 2002 Komaba Le colloque international « Colloque franco-japonais autour de la Médiologie”;with Régis Debray, Daniel Bougnoux, Monique Sicard, Louise Merzeau, Karine Douplitzky, Jean Marc de Biasi, Nishigaki Toru Watanabe Moriaki, Yoshimi Shunya, Hara Hiroyuki, Ito Mamoru
*16 石田による訳、『フロイト全集20 1929-32年 ある錯覚の未来 文化の中の居心地悪さ』高田珠樹監修 岩波書店 東京 2011, p.100に対応。「補助具をつけた神」と訳した原語 Prothesengott(邦訳は「人工義神」と訳)について、邦訳は「義足や義歯などのように、欠損した身体器官を補う人工補装具を意味する Prothese と神を意味する Gott からなる複合語」と解説している(編注(44)同書 p.302)。
*17 "ITU releases 2018 global and regional ICT estimates For the first time, more than half of the world's population is using the Internet" (https://www.itu.int/en/mediacentre/Pages/2018-PR40.aspx : 2019/01/31 18:00 JST アクセス)。
*18 デリダやスティグレールが言うように、メディアという補助具が示しているのはプラトンの『パイドロス』に語られた「ファルマコン」問題なのである。プラトン「パイドロス」藤沢令夫訳『プラトン全集 5 饗宴 パイドロス』岩波書店 東京 1974参照。

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年6月30日 発行