研究ノート

リジア・クラーク初期オブジェ論考察 『ナォン・オブジェトの理論』を足がかりとして

飯沼洋子

はじめに

1950年から1980年代にかけて本国ブラジルと亡命先フランスで活躍したリジア・クラーク(Lygia Clark, 1920-1988)は、2014年ニューヨーク近代美術館での回顧展を契機に、再び世界的に注目されその研究はより国際的な広がりをみせている。クラークの作品や芸術思想は〈作品の脱物質化〉や〈芸術と生活〉をめぐる西洋を中心とした当時のアートシーンにおける命題をはらんでおり、その最前線に立っていたといっても過言ではない。クラークの作品が近年再考されその特異性が認められる所以は、西洋の芸術運動の潮流に共振し、それらの命題をブラジルの社会・文化的文脈にあてはめた表現を模索したため、南米における西洋美術の適応例として参照されるからであるといえるだろう。その姿勢は西洋と非西洋圏という二項対立を強調するものではなく、むしろブラジル芸術の中心的思想である『食人宣言』(1928)が示すように、外部要素の吸収による一体化として捉えることができる。さて、ブラジルにおけるこのような運動はエリオ・オイチシカ(Hélio Oiticica, 1937-1980)やリジア・パピ(Lygia Pape, 1927-2004)などクラークを含む新具体主義運動(ネオ・コンクレティズム)の担い手が中心となり、ブラジル近現代美術史において大きな功績を残している。運動の核となる『新具体宣言(Manifesto neoconcreto)』は、1959年3月に美術批評家かつ詩人であるフェへイラ・グラール(Ferreira Gullar, 1930-2016)が中心となり提唱されたが、活動期間はわずか2年足らずと短命であった。その主な理由の一つとして、クラークやオイチシカの芸術思想と、グラールの思想とが一致しなくなったことが挙げられる。運動脱退後の彼らの活動は現在ではポスト・ネオコンクレティズムとして知られている。このポスト・ネオコンクレティズム、つまり1960年代以降のクラークの活動は、西洋ではあらゆるアーティストが取り組んでいた上述の命題を引き継ぎつつ、しかし次第にそのような美術の文脈を敬遠し、精神分析の影響などを反映した独自の手法を模索した時期である。経験こそが作品であるとしたクラークは、これまでの物理的な物体としての作品という形式を排除し参加型実践を採用した。そこで目指されたのは胎児の知覚感覚を伴った原初的な生の経験の再獲得であり、身体感覚をあえて鈍らせる仕掛けが施された「知覚するオブジェ(Objeto sensorial)」が使用された。しかし知覚するオブジェは芸術経験を誘発するためのオブジェとして扱われ作品そのものではなかった。これらの制作されたオブジェは、原初の経験を蘇らせるための儀式━━クラークがいうところの「神話なき神話」━━における祭具であるということもできるだろう。晩年のセラピー型芸術実践では、それらのオブジェは「関係性のオブジェ(Objeto relacional)」として再び利用されるが、途中、クラークの後期作品においてオブジェの形体は糸やゴムなどでできた可変型の膜、形が定まらない軟体形態をとっている。クラークが独自に展開した芸術経験を獲得するための作品構造を分析するためには、これまであまり注目されてこなかったこの後期における物理的な物体を考察し、それらが知覚するオブジェと同じく儀式的な芸術実践を補助するためのオブジェとして定義できるかどうかを明らかにすることが課題である。そのための手がかりとして、第一にクラークのオブジェ論を整理する必要性があるだろう。本研究ノートではこのような目的意識より、クラークが捉えるオブジェ論の起源へと遡る。クラークが両手を上げて賛同しなかったグラールの『ナォン・オブジェトの理論(Teoria do não-objeto)』(1959)と『ナォン・オブジェトに関する対話(Diálogo sobre o não-objeto)』(1960)を通じて、クラークとグラールのオブジェ論の差異を読み解き、クラークが意図したところのオブジェの様相を紐解く端緒とする。

『新具体宣言』

クラークの活動初期にあたる1950年代のブラジルでは、第一回サンパウロ・ビエンナーレ(1951)が開催され、マックス・ビル(Max Bill, 1908-1994)のメビウスの輪の形体を模した彫刻作品《三部一体(Tripartite Unity)》(1948-49)が紹介された。この作品はブラジルのアーティストらに大きな影響を与え、ブラジルにおける具体主義運動(コンクレティズム)*1**1の火付け役となり賞賛された。機械主義的構造や数学的アプローチに心酔し、合理性を推し進めた具体主義*2に危機感を抱いたリオの具体主義アーティストらは、現象学を軸とした個人の経験をより重視する新たな芸術運動を求め、具体主義へのアンチテーゼとする『新具体宣言』を掲げた。メンバーは後に参加するオイチシカを除いた、詩人三名(Ferreira Gullar, Reynaldo Jardim, Theon Spanudis)、彫刻家二名(Amilcar de Castro, Franz Weissmann)、画家一名(Lygia Clark)、版画家一名(Lygia Pape)の計七名で構成され、宣言に署名している。新具体主義運動はこのように領域横断的でジャンルに捕われない性格が特徴的である。そのうち新具体宣言を執筆したグラールは、運動の理論的指導者であり、ブラジルにおける近現代芸術のあり方を思索していた。特にクラークの作品が平面の幾何学絵画の域を脱し、可変的な動きのある、立体的な幾何学彫刻の域へと展開する中で発見された〈有機的な線(Organic line)〉(1956)に感銘を受け、そこに〈作品の空間化(spatialization of the work)*3〉という鍵概念を見出している。その影響は新具体宣言においても見受けることができる。グラールはアーティストによって表現される空間がフレームや土台を越えて鑑賞者がいる日常空間へと拡張し、鑑賞者へと直接働きかける点や作品中における鑑賞者の体験を、メルロ=ポンティの現象学と照らし合わせて捉えていた。すなわち参加者(鑑賞者)は「生きられる世界(the lived world)」と即座に結びついている人間の主体を具現化したものであり、その「現象学的身体」を以て「世界の原初的な経験(a primary experience of the world)」を獲得する*4というものである。グラールは参加者が実践を通じてこのような経験を得ることで、作品は初めてその意味を提供する*5としている。従来の芸術表現の言語であった形体・空間・時間・構造の概念は、具体主義が示す先験的で数学的な概念に還元されるのではなく、むしろ個人の感情や情緒と結びつき、参加者の身体、つまり生物(living organisms)*6のうちに見出されるとした。よって新具体主義運動では芸術を機械や物体ではなく〈準身体(quasi-corpus)*7〉として定義している。このような芸術観を背景とした新具体宣言のドグマとは、端的にいえば現実世界における最初の経験の復活であり、オブジェに関しては、物体として見做されてきた従来の作品形態に対する否定のみが記載されている。それを補完するかのように、グラールは新具体宣言発表の九ヶ月後に『ナォン・オブジェトの理論』、さらにその三ヶ月後には『ナォン・オブジェトに関する対話』を発表し、独自のオブジェ論を繰り広げた。

*1 都留ドゥヴォー恵美里『日系ブラジル人芸術と<食人>の思想:創造と共生の軌跡を追う』 三元社、2017年、94-96頁。1952年には、サンパウロのグルーポ・フプトゥーラ(Grupo Ruptura)、そしてリオデジャネイロのグルーポ・フレンチ(Grupo Frente)といった具体主義の二グループが結成された。
*2 Ferreira Gullar, “Manifesto neoconcreto,” Jornal do Brasil, Rio de Janeiro, March 22, 1959. In: Amilcar De Castro, Cold America: Geometric Abstraction in Latin America (1934-1973), Catalogue of Exhibition, February–May 2011, Fundación Juan March, Madrid, 2011. pp. 442-443.
*3 Mónica Amor, Theories of the Nonobject: Argentina, Brazil, Venezuela, 1944-1969, University of California Press, 2016. p.104.
*4 Mariola V. Alvarez, The Anti-Dictionary: Ferreira Gullar’s Non-Object Poems, Article Issue 9, Open access journal of Nonsite, Emory College of Arts and Sciences, April 30, 2013. [https://nonsite.org/the-anti-dictionary-ferreira-gullars-non-object-poems/](最終閲覧日:2021年11月12日)Alvarezに拠れば、グラールはメルロ=ポンティの『行動の構造』(1942)、『知覚の現象学』(1945)、『セザンヌの疑念』(1945)を精読していた。
*5 Op. cit., F. Gullar.
*6 Ibid.
*7 Ibid.

ナォン・オブジェト

グラールが提示するナォン・オブジェトは文字通り訳せばノン・オブジェ、つまり非物体となる。この語は1959年3月22日の日曜版ブラジル紙に発表された新具体宣言においては使用されていなかったが、同年10月、グラールが執筆した第一回新具体美術展(Exposição do Arte Neoconcreta)*8に関する記事において初めて使用され、一ヶ月後には日曜版ブラジル紙に『ナォン・オブジェトの理論』が掲載された。理論はまずナォン・オブジェトについての短い定義から始まり、その後「絵画の死(morte da pintura)」、「構造と物体(obra e objeto)」、「原初の形式(formulação primeira)」の三部で構成され、ナォン・オブジェトが目指す方向性が示されている。しかしながら、この掲載された文章は予言的であって不完全であり*9、多くの疑問が残るものであった。その補助線として、グラールと架空の対話者のインタビュー形式で書かれた『ナォン・オブジェトに関する対話』では、ナォン・オブジェトの具体的な内容がわかりやすく説明されている。

*8 Op. cit., Mónica Amor. p. 111. バイーア州で開催。
*9 Ibid. p. 5.

グラールの理論の現象学的な視野が導入されており、以下のようなオブジェ観が読み取れる。1. 現実に実存する物体、2. 現実を参照しながら色や形などの芸術言語を用いて表現される虚構の物体(o objeto representado)あるいは「準オブジェ(quase-objeto)」、3. 純粋な現象としての表象(uma presentação)であるナォン・オブジェトの物体が存在するとしている*10。グラールが提唱するナォン・オブジェトとは物体そのものに反対するアンチ・オブジェという含意ではなく、世界における「ある形体の最初の姿(o aparecimento primeiro de uma forma)」として捉えられている*11。グラールによれば人間世界は意味と意図の網によって構成されており、世界を認識する際に様々な情報が付加されるため、事物は知覚に対して不透明な存在*12となっている。このような世界では通常、事物には名前があり日常的な用途による意味が付与されている。主体はそれらを手がかりに事物を認識するため、不透明なオブジェから名前や用途を取り除いてしまうと、事物は主体にとって不快で認識しづらい不可解なものとなってしまう。主体はそもそも純粋な事物を名前なしでは認識していないのである。よって、グラールによるオブジェとは自然界における物質とそれに付けられた名前のことであり、現象学的意識において不透明な存在の準オブジェなのである。それに対し、ナォン・オブジェトは元来「名前のないオブジェ(os objetos sem nome*13」として知覚に率直に認識される物質のことである。それ自体が純粋な現象(uma pura aparência)*14として存在しているため世界の認識秩序に組みしておらず、その枠組みの外にある。よって、認識する主体とナォン・オブジェトの間には名前や情報などといった仲介物(intermediário)はなく、その性質は透明であるとされる。つまりナォン・オブジェトは物質の形体の内に存在する純粋な意味(pura significação)*15、言い換えれば、形体が本然的に有する内在性(imanente)*16であるとされる。

*10 Ferreira Gullar, Teoria do Não-Objeto, Suplemento Dominical do Jornal do Brasil, 19 dezembro, 1959. [https://icaa.mfah.org/s/en/item/1091374#?c=&m=&s=&cv=&xywh=-637%2C295%2C3007%2C1697](最終閲覧日:2022年5月28日)
*11 Ferreira Gullar, Diálogo sobre o Não-Objeto, Suplemento Dominical do Jornal do Brasil, 26 março, 1960. [https://icaa.mfah.org/s/en/item/1091374#?c=&m=&s=&cv=&xywh=-637%2C295%2C3007%2C1697](最終閲覧日:2022年5月28日)
*12 Ibid.
*13 Op. cit., F. Gullar, Diálogo sobre o Não-Objeto.
*14 Op. cit., F. Gullar, Teoria do Não-Objeto.
*15 Op. cit., F. Gullar, Diálogo sobre o Não-Objeto.
*16 Ibid.

芸術作品に鑑みれば、絵画や彫刻など現実を表現している作品はアーティストによって様々な意味や解釈を付与されるため、グラールによれば、これらもまた虚構であり準オブジェなのである。しかし同時代の絵画や彫刻はフレームや台座から解放される傾向にあり、既存の名称の枠組みでは呼ぶことのできないものとなっている。それらの表現空間が日常生活の次元である空間に直接表出しているため、もはや従来の文化的枠組みや慣習に捉われることのないナォン・オブジェトへと向かっている。グラールの理論によれば、これまでの絵画や彫刻を含むすべての芸術作品はこのナォン・オブジェトという共通の一点に収斂する動向があるとし、彫刻、絵画、詩などの呼称では括ることができない新しい特別な物体(um objeto especial)*17へと生成する。これまでイリュージョンによる空間操作によって表現されてきた作品が既存の枠組みを越え、物質として直接、現実空間へと挿入されることでナォン・オブジェトが誕生するのである。現実空間へと表出した作品はナォン・オブジェトとして純粋な表象へと超越し、作品であると同時に、空間を再創造(um refundar desse espaço)*18する作用がある。ナォン・オブジェトはこのように、空間に働きかけそれ自体を変容させるのである。よってアーティストがすべきことは形、色、空間という芸術言語を駆使し現実を参照しながら絵画や彫刻を制作するのではなく、むしろ生きている人間が属する世界の次元において、原初の形体における内在性を浮かび上がらせ、再発見させる経験を与えることなのである。

*17 Op. cit., F. Gullar, Teoria do Não-Objeto.
*18
Op. cit., F. Gullar, Diálogo sobre o Não-Objeto

さて、このようなナォン・オブジェトに集約されるグラールの現象学的なアプローチやオブジェ論は、主に西洋を中心とするアーティストらによって推し進められていたため、特にアメリカにおける研究ではミニマリズムとグラールを中心とした新具体主義の比較研究*19が進んでいる。特に、美術史家モニカ・アモール(Mónica Amor)は西洋圏での研究において、ブラジルのナォン・オブジェトはドナルド・ジャッドの「特種な物体(Specific Object)*20」(1965)と同義的に扱われることが多いとした上で、しかし、ジャッドのオブジェ論における連続性と統一性が機械的な経済を示唆しているため、ブラジル美術の情動的次元(the affective dimension)における幾何学への探求とは対極的に位置していると主張している。西洋美術史の文脈で読解することのできるナォン・オブジェトの実践は、知覚経験が重要視された主体の認識論や人間の感情への働きかけを強調するために、やはり完全な同一視はできないのである。

*19 ミニマリズムと新具体主義に関しては以下のような研究がある。Paulo Herkenhoff, “Divergent Parallels: Toward a Comparative Study of Neo-concretism and Minimalism”, Geometric Abstraction: Latin American Art from the Patricia Phelps de Cisneros Collection, Harvard University Art Museums, Yale University Press, 2001. pp. 123-125.; Michael Asbury, “Neoconcretism and minimalism: On Ferreira Gullar’s Theory of the non-object”, Cosmopolitan Modernisms, The MIT Press, 2005. pp.168-189.;Anna Dezeuze, “Minimalism and Neoconcretism”, Guest Lecture in the series on Brazil: A Site and Subject for Sculpture, Henry Moor Institute, Leeds, March 2006.など。これらの論考では、しばしばロバート・モリスの「彫刻についてのノート」などが比較対象となっている。またグラールは理論の中でレディメイドを例に挙げ、ナォン・オブジェトとの差異を提示している。レディメイドは日常と使用の文脈からオブジェを取り出し、再びアートの文脈に配置することでオブジェの意味と関係性を作り直している。そのためレディメイドは日常的な習慣などの意味の世界秩序から脱出しておらず、ナォン・オブジェトの位置にまで達していないとしている。
*20 ドナルド・ジャッド、河合大介訳「特殊な物体」『フィルカル』4巻1号、2019年3月。342-357頁。

新具体主義アーティストの作品比較:フェヘイラ・グラール《空間的な詩》

現在では美術批評家として知られるグラールの新具体主義運動時代の作品はこれまでほとんど取り扱われることはなかったが、本研究ノートでは、グラールの作品に注目する唯一の研究ともいえる美術史家マリオラ・アルヴァレズ(Mariola Alvalez)の研究を参照しつつ、グラールによるナォン・オブジェトの理想的な実践例を確認し、クラークの作品と比較検証する。

グラールの新具体詩人としての作品には《空間的な詩(Poemas espaciais)》シリーズ(1959)があり、それは《祭壇(Ara)》や《ノー(Não)》など、合わせて七作品から構成されている。これらの作品はすべて可動可能なパーツを伴った幾何学形体の構成物である。可動部分には単色または一色から二色の原色が彩色されおり、参加者はそれを操作することで、その下に隠されていた文字を発見することになる*21。これらの作品はいずれも詩的な芸術経験を喚起させるナォン・オブジェトであり、彫刻と詩というジャンルの領域を横断している。参加者はそれらを直接操作し、移動させたりすることが芸術経験の発動条件として前提となっている。この方法は本という物体に記された文章を読者が熟視し内向的に読むという従来の読書体験とは異なり、読者が文章を読むためには、熟考から行動へと移行しなければならない。読者/参加者が行為に参加することで空間のうちに詩を読むという体験が繰り広げられ、そのような詩的経験こそが作品なのであるとされた。よってグラールにとってオブジェとは芸術経験の獲得のための、いわば装置であり、その構造にはナォン・オブジェトの使用というルールが存在する。その定められた規定の中で参加者は文字を発見し、詩的な言葉の意味を、身体感覚を伴って知覚するのである。

*21 Op. cit., M. V. Alvarez.

このナォン・オブジェトの詩的な経験の発現構造について、美術史家マリオ・ペドロサとグラールと共に議論したとするクラークの手稿を参照することができる。それによれば、参加者が文字を発見するその瞬時に「言葉はまるで爆発物のように弾け」、色や形などで制作された「構築物として、それを取り囲んでいた全てのものがその意味を失う」としている*22。つまりグラールにとってナォン・オブジェトとは「言葉が詩的表現として現れるために作られた条件*23」でしかないのである。そのような条件によって知覚される言葉の表現は通常の読書体験とは異なり、作品内において読むというジェスチャーがその意味を明らかにする。さらに《空間的な詩》では、ナォン・オブジェトは読者の作品を扱う動作に依存し、読者がナォン・オブジェトを持って場所を移動することから、作品の空間性は、手元にある従来の本という読書スタイルと比較し、より広がりを見せる。また読書に参加するというこれまでの耐久的な時間は、身体や人間が生きている世界と直接結びつくことで、オブジェ自体が提示する有機的な時間へと変容する。そして読み終わった後に次の人へ手渡されることで、参加が終わった直後に再び参加が始まる*24のである。視覚的なサインとしての表面に記される文字の意味は放棄され、読者は見ることで読むのではなく、オブジェを通じて意味生成の場に参加するのである。

*22 Lygia Clark, Lygia Clark, Cat. (Fundació Antoni Tàpies, 1997 ; Musées de Marseille, 1998), éd. Fundació Antoni Tàpies, 1998. p. 141. (原文は1960年)
*23 Ibid.
*24 Op. cit., M. V. Alvarez.

このようにグラールの作品において、ナォン・オブジェトは本という幾何学形体から出発した彫刻とも詩とも区分できないオブジェであり、ナォン・オブジェトの形や色といった視覚的な要素、表記される言葉、操作する触覚感覚が参加者の現象学的身体を通じて融合される。グラールはさらに、オイチシカの家の庭にある地下室で実現された《埋められた詩(Poema enterrado)》(1960)と題されたポエム・インスタレーションを制作した。このインスタレーションには一度につき一人の読者のみが参加することができ、縦横2メートル40センチほどの四角い部屋の地下室へと降りていく。地下室は暗闇に包まれており、読者は唯一の光源が照らす赤い小さな立方体を前にする。赤い立方体を持ち上げると、緑の立方体が配置されており、さらにその中にある白い立方体を見つけると、読者はそれを持ち上げる。その下には「若返らせる(rejuvenesça)」という動詞が書かれており、読者はそれを読み上げなければならない。最後に、読者は全ての立方体を元の状態へと戻し、その段階で空間内に漂うジャスミンの香りに気づくという作品である。ここではナォン・オブジェトは《空間的な詩》のような幾何学形体のオブジェから人々が生活する空間全体へと拡張され、詩的次元における参加者の身体と行動そのものが、読むという動作として機能しているといえる。部屋全体がナォン・オブジェトの構造そのものとして拡張された《埋められた詩》では、《空間的な詩》と同様に詩の発見による言葉の新たな知覚という経験が重要視されたため、それを支える色や形などの芸術的言語や幾何学構造物は装置として蔑ろにされていた。さらにグラールの作品では作者と読者、アーティストと参加者、言い換えれば主体と客体の関係性は崩されない。参加者が得る経験はアーティストによってある程度指示され、管理された経験*25として提供されるのである。

*25 Op. cit., M. V. Alvarez.

このようなグラールの作品に対しクラークの作品では、参加者が獲得する経験をアーティストが操作できず作品の自律性が生じ、その結果アーティストの存在はもはや必要なくなるという現象が起こる。ブラジルの詩分野をも包括する、ジャンルの境界を超える横断的性格を帯びた新具体主義運動において、アーティストらが目指した芸術経験とは現象学を手がかりとしたものであったが、彼らの表現における経験の様相は一様ではなかった。

新具体主義アーティストの作品比較:リジア・クラーク《動物》

鑑賞者の作品参加とその身体的な知覚によって芸術と生活空間を結びつけようとし、幾何学形体に感情を吹き込むことを目標とした新具体主義の現象学的経験の獲得というドグマはクラークの作品《動物(Bichos/Animals)》(1960)においても顕著に見ることができる。しかしながら、1959〜1960年に発表されたグラールのナォン・オブジェトの理論とは必ずしも一致することはなかった。

《動物》はクラークの作品の中で鑑賞者が初めて直接的に参加する参加型作品で、金属板と蝶番を組み合わせて構成された幾何学型の可変的なオブジェであり、参加者はこのオブジェを操作し気の赴くまま自由に動かすことができる。この作品は参加者が触れる前は頼りない平たく閉じたオブジェだが、一度参加者が触れることで有機的な動きを宿し、まるでものの内部に息が吹き込まれたかのように動き始める。参加者がクラークに《動物》をどれくらい動かせば良いかと尋ねた際に「それは私には分からないし、あなたにも分かりません、でもそれ〔動物〕は知っています…*26」と返答していることから、クラークは《動物》の自律性を認めている。クラークにとって《動物》とは軟体動物や貝殻と類似性を持つ裏表のない背骨のような有機的な生物(une entité organique)であり、それは参加者による外部からの動きと、その刺激に瞬時に反応する独自の動作回路(un circuit de mouvement)*27、つまり《動物》自身のダイナミズムの動きが、作品においてそれぞれ連結することで、両者の間で新たな関係性が生まれ、身体的な対話が行われるのである。《動物》は生きており、グラールのナォン・オブジェのような「ゲームの中で自由自在に際限なく操作できる、独立した静的な形体*28」ではないのである。静かな物体としての作品のあり方やアーティストのエゴが投影される作品を否定し、クラークはオブジェそれ自体に宿る作品の自律性を主張した。そのような観点から生体だと見做された《動物》は、まるで動物が繁殖していくかのように1959年から1963年にかけて数多く制作され、ポケットに入れることができる持ち歩きタイプなど様々なヴァリエーションの《動物》が制作された。

*26 Op. cit., L. Clark. p. 121.
*27 Ibid.
*28 Ibid.

この作品はクラークの以前のレリーフ作品がそのまま立体へと展開したような様から、絵画とも彫刻とも断言できないジャンルの曖昧な名前をもたない作品、ナォン・オブジェトとして捉えることができ、1960 年 12 月に開催された第二回新具体美術展ではナォン・オブジェトとして展示されている。しかしながら、グラールのようにアーティストとして参加者の行動に制限や条件を規定しなかった点や平面の生物化という新たな美学を打ち立てようとした点において両者のナォン・オブジェトはまさに異なっている。さらにグラールが名付けたナォン・オブジェト(非物体)とクラークの作品タイトル《動物》――生きた物体――という名称のややこしさによる参加者の混乱が生じ、日曜版ブラジル紙ではその混乱を揶揄したカートゥーン作家フォルトゥナ(Fortuna, 1931-1994)の漫画*29による展覧会紹介が掲載されている。そのうちの一コマには以下のような会話が描き出されている。

-あ、動物!
-知っているよ、これは「非物体(ナォン・オブジェト)」だよ。
-いいや、《動物》だよ。
-いいや、それは動物じゃないよ。
-それならこれは「非動物」だね。*30

このような会話からも、展覧会の鑑賞者が読み取る文字通りの非物体や動物という本来の語の意味と、アーティストらが定義する語の意味との間における曖昧さが読み取れる。さらにこの展覧会の時点で既にクラークは生き物としての作品の自律を主張しているため、グラールのナォン・オブジェトの理論から徐々に逸脱していくクラークの様子を伺い知ることができる。

*29 Op. cit., M. Amor. p. 5.
*30 Op. cit., F. Gullar, Teoria do Não-Objeto.

これらの観点以外にも、クラークはすべての芸術がジャンルを超えてナォン・オブジェトへと収斂されていくといった理論に限界を感じており、彼ら以外の芸術運動の流れに鑑みても芸術作品のナォン・オブジェト化は起こっておらず、さらにクラーク自身が少なくともそうではないと指摘している。特にクラークにとって問題であったのは、ナォン・オブジェトでは造形的な平面の問題*31が扱われていなかったことである。クラークは平面に生を与えることによって絵画的な平面からの脱却とオブジェの自律性を引き起こした。それに対しナォン・オブジェトは物体の問題を克服しておらず、むしろ知覚による感性のあり方が問題となっているために詩的表現の領域*32に留まっていると指摘している。造形表現が主体となる作品において、平面などの形体がそのオブジェ自身の可能性を克服する時に、超越性が生まれる。クラークはこのような造形的作品において適用されるべきは、詩的領域にあるナォン・オブジェトではなく、むしろオブジェが自分自身を超越するところから「トランス・オブジェ(trans-objeto)*33」であると見解の違いを示している。

*31 Op. cit., L. Clark. p. 141.
*32 Ibid.
*33 Ibid.

おわりに

1961年グラールのナォン・オブジェトへの意見相違によりクラークは新具体主義を脱退し、またグラールがリオや詩から離れブラジリア文化財団のディレクターとなったことも加わり、新具体主義運動は解散することになる。クラークはその後も新具体主義のアーティストであったエリオ・オイチシカと生涯にわたる友情を育み〈生の経験(vivências)〉という観念を共有する。そしてクラークは生きた幾何学形体の可能性から出発し、より個人の身体における内向的な知覚感覚へと働きかけることで独自の〈芸術と生活〉のあり方を模索するのである。

ジャンルという壁を取り払いナォン・オブジェトへと向かう領域横断的な実践を行った新具体主義のアーティストらは、ペドロサが表現するところの「みな詩人」であり、実際メンバーの半数は詩人たちであった。芸術運動の特性として芸術実践を通じた現象学的身体による原初の知覚経験の獲得という点では共通していたが、これまで使用されてきた視覚的な芸術言語が言葉に意味を与える付与物として扱われたことに鑑みても、詩の領域による影響は強く、その結果としてアーティスト間に断絶が起こったといっても過言ではない。よって、クラークは造形芸術の領野を、グラールは詩の領野を完全に超えることはできなかったともいえるだろう。しかしながらグラールが制作した数々のナォン・オブジェトは、詩の物質性の発見といった点や、絵画にとっての額縁に値する詩にとっての本の限界を突破し、新たな読書体験を発見したという点において、特に新具体主義アーティストで自らも具体詩を書いていたリジア・パピに大いに影響を与えている。パピによれば、このような操作可能な本のあり方は詩をページの中に閉じ込めておくものではなく、分解したり開いたりすることが可能な表現方法*34として、詩をより公共の領域へと開いたとしている。ナォン・オブジェトを否定したクラークにおいても、《ブックワーク(Livro Obra)》(1964)や《知覚の本(Livro Sensorial)》(1966)など本の形体をとった作品を複数制作しており、詩という表現が展開される舞台である幾何学形体としての本の新たなあり方を提示した詩人グラールの影響は再考の余地があるだろう。

*34 John Rajchman, “Lygia Pape’s vital ideas”, Lygia Pape: a multitude of forms, exh. Cat. (New York: The Metropolitan Museum of Art, March21 – July 23, 2017), Yale University Press, New Haven and London, 2017. p. 37. 新具体主義やブラジル美術に寄り添ったイギリスの美術史家ガイ・ブレットの論文「閉ざされた開放性:ブラジル美術における箱と本」(2012)ではこれらのアーティストの作品を通じて見出すことができる開いたものと閉じたものの関係性という主題を提示しており、このようなジェスチャーはブラジル美術において、特に新具体主義アーティストらの作品において、その内実を明らかにする上で重要な視点であるといえるが、また次回の課題とする。Guy Brett, “Aberto fechado: Caixa e livro na arte brasileira / The Enclosed Openness: Box and Book in Brazilian Art”, ed. Guy Brett, Cat. (Sao Paulo: Pinacoteca do Estado, 2012).

本研究ノートでは、クラークの初期オブジェ論を検証するため、グラールの『ナォン・オブジェトの理論』とクラークの作品における齟齬を中心に考察してきた。クラークのオブジェ論において重要な要素として造形芸術の文脈における絵画平面の立体化によるジャンル横断の特徴があることは明確であるが、生活次元へと拡張される作品の空間化と参加者の行為によって現れる、アーティストの思惑が混入しない純粋に生きている有機物の生成が試みられたことがクラーク初期オブジェ論の中核となっていることが明らかとなった。

(飯沼洋子)

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年6月30日 発行