研究ノート

現代美術における「ヴァニタス」と写真メディアの時間性

結城円

現代美術におけるヴァニタス回帰

現在のコロナ禍、さらにウクライナ侵攻により、「生の儚さ」について再び考える機会を得ているのではないだろうか。生の儚さは、17世紀、北ヨーロッパを中心に静物画の主題となり、「ヴァニタス画」という1ジャンルを確立する。この寓意画では、旧約聖書の教訓をもとに、短い現世の生を示す花や果実、現実の脆さを表すガラス細工や陶器、あるいははかなく過ぎる時間の経過をテーマとしたしゃぼん玉、砂時計、消えかけているろうそく、死や腐敗を指し示すハエや骸骨などのモチーフが描かれる。これらヴァニタス・モチーフの現代美術での回帰が、2000年頃からフランスを中心に展覧会で着目され*1、2010年以降ドイツの近現代におけるバロック研究で取り扱われるようになる。特に、2019年よりフリッツ・ティッセン財団から助成を受け、ハンブルク大学のクラウディア・ベンティーン(ドイツ文学)とブラウンシュヴァイク美術大学のヴィクトリア・フォン・フレミング(美術史)の研究グループにより、宗教的な信仰が失われつつある現代においてなぜヴァニタス・モチーフが回帰しているのか、またどのようにヴァニタス・トポスの解釈が変化しているのか、社会的・文化的背景、美学的視点も含め学際的な分析が行われている。さらに2020年度より科学研究費助成事業「近現代美術における死生観の研究~「ヴァニタス」表象を中心に」(研究代表者:香川檀(武蔵大学))として日独共同研究が始められた。本稿では、この共同研究において着目されている、現代のヴァニタス画における時間構造と写真メディアの特性について、文化翻訳の可能性・不可能性という観点から考察したいと思う。

*1 Vgl. John B. Ravenal (Hg.), Vanitas. Meditations of Life and Death in Contemporary Art, Ausst.-Kat. Vrginia Museum of Fine Arts, Richmond 2000; Évelyne Artaud (Hg.), Vanités contemporaines, Ausst.-Kat. Musée de Soissons/Chapelle des Ursulines, Quimperlé/Musée d’art Roger-Quilliot, Clermont-Ferrand, Cercle d’Art, Paris 2002; Anne-Marie Charbonneaux (Hg.), Les vanités dans l’art contemporain, Paris 2010; Ausst.-Kat. C’est la vie! Vanités de Caravage à Damien Hirst, Musée Maillol, Fondation Dina Vierny, Paris 2010; Alain Tapié (Hg.), Vanité. Mort, que me veux-tu?, Ausst.-Kat. La Fondation Pierre Bergé – Yves Saint Laurent, Paris 2010 u.a.
*2 Vgl. Victoria von Flemming u. Alma-Elisa Kittner (Hg.), Barock – modern?, Köln: Salon Verlag 2010; Victoria von Flemming u. Alma-Elisa Kittner (Hg.), Barock – Moderne – Postmoderne: ungeklärte Beziehungen (Wolfenbütteler Arbeiten zur Barockforschung Band 50), Wiesbaden: Harrassovitz Verlag 2014; Nike Bätzner (Hg.), Die Aktualität des Barock, Zürich u. Berlin: diaphanes 2014; Christoph Stiegemann (Hg.), Peter Paul Rubens und der Barock im Norden, Ausst.-Kat. Erzdiözesanmuseum Paderborn, Petersberg: Michael Imhof
*3 ドイツでの「現代美術におけるヴァニタス」研究は2017年にハンブルク大学とブラウンシュヴァイク美術大学で共同開催されたワークショップからスタートする。現在までに計3回国際学会を開催し、その研究結果は論文集として出版されている(Claudia Benthien u. Victoria von Flemming, (Hg.), Vanitas, Reflexionen über Vergänglichkeit in Literatur, bildender Kunst und theoretischen Diskursen der Gegenwart (Paragrana Internationale Zeitschrift für Historische Anthropologie, Band 27, 2018, Heft 2), Berlin: De Gruyter; Claudia Benthien, Antje Schmidt u. Christian Wobbeler, Vanitas und Gesellschaft, Berlin: De Druyter 2021; Victoria von Flemming u. Julia Catherine Berger, Vanitas als Wiederholung, Berlin: De Druyter 2022年夏出版予定)。またこの共同研究は若手研究者助成の役割も担い、3名の博士論文が2022年度中に完成する予定である。

ヴァニタスと人間の時間性

「ヴァニタス」とは、ヘブライ語「הֶבֶל (ヘヴェル)(微風)」のウルガタ聖書でのラテン語訳である。旧約聖書の「コヘレトの言葉」では、人間の生のはかなさに対するなげきのメタファーとして微風が語られている。ヴァニタスには、死は不可避であるため、何ら新しいものを生み出さず、微風のように消えてなくなってしまうように見える人生において、積極的に宗教的な戒律に従い苦労を負うことへの意味に対する疑念が含まれている(vgl. Koh 1,9-10; 2,17-19)。ヴァニタスの一般的なドイツ語訳は「Windhauch um Windhauch(すべて微風)」(Koh (BB) 1, 2; 12, 8)であるが、マルティン・ルターにより「es ist alles ganz eitel(すべては空しい)」(Pred (LU84) 1,2)と教訓めいて翻訳されたことにより、「確かな実体も意味もないうつろいやすいもの」あるいは「死を前提とした俗世のむなしさ」として一般に理解されるようになる。近世初期のヴァニタス画隆盛期では、「取るに足らないこと(Nichtigkeit)」、「うわべの仮像(Schein)」、「無益(Vergeblichkeit)」、「夢幻(Traum)」、「無用で無意味なこと(Nutz- und Sinnlosigkeit)」、「偶像崇拝(Idolatrie)」、「空虚 (Leere)」、「一時的なこと(Ephemer)」、「過渡的なこと(Tranistorisch)」、「儚さ(Vergänglchkeit)」など様々な意味が付与される*4

*4 Claudia Benthien u Victoria von Flemming, „Einleitung“, in: dies. (Hg.) 2018, S. 13; 香川檀「現代美術における〈ヴァニタス〉の回帰――ジャン・ティンゲリの場合」(『武蔵大学人文学会雑誌』第51巻第2・3・4号)2020年、4頁; vgl. Dorothea Scholl, „Vanitas vanitatum et omnia vanitas: Das Buch Kohelet in der europäischen Renaissance- und Barocklyrik und Emblematik“, in: Volker Kapp u. dies (Hg.), Bibeldichtung (Schriften zur Literaturwissenschaft Band 26), Berlin: Duncker & Humblot 2006, S. 224

このような宗教的な背景を持った近世のヴァニタスは、魂の救済へと繋がる「あの世」の永遠性と対比するものとして捉えられていた*5。ここで特筆すべきは、通常回顧的に認識される死を、バロック静物画では「予兆」として様々なモチーフの組み合わせにより「メメント・モリ(死を想え)」や「カルペ・ディエム(今この瞬間を楽しめ)」という警句として伝えている。そこで表される時間性は、過去→現在→未来という直線的な時間の流れではなく、過去・現在・未来が折り重なり、統合されているのである。例えば、頭蓋骨というモチーフでは、生きていた人間が「過去」に存在しており、腐敗により解体される過程にある者の継続的な「現在」を示すと同時に、最終的に分解され無に帰するという「未来」を指し示す*6。ドイツの研究チームではこのような時間の表現を「美的な固有時間(ästhetische Eigenzeiten)」と概念化し、反復・回帰を通して時代・文化により多様に変化するものとして捉えている*7

*5 Claudia Benthien, ”Vanitas, Vanitatum, et Omnia Vanitas: The Baroque Transience Topos and its Structural Relation to Trauma”, in: Lynne Tatlock (Hg.), Enduring Loss in Early Modern Germany. Cross Disciplinary Perspectives, Leiden u. Boston: Brill 2010, S. 51-53
*6 Katharina Sykora, “Enden und Verfliegen. Schädel, Insekten und zwei Temporalitäten der Vanitas in der zeitgenössischen Fotografie“, in: Benthien u. von Flemming (Hg.) 2018, S. 193–194
*7 Benthien u. von Flemming 2018, S. 22. 「美的な固有時間」は、2013~2018年度までDFG(ドイツ研究振興協会)の特別助成(Schwerpunktprogramm 1688)のテーマ「美的な固有時間:多彩な近代における時間と表現(Ästhetische Eigenzeiten. Zeit und Darstellung in der polychronen Moderne)」となり、時代・文化により多彩に変化する時間性の表現について学際的な研究が積極的に行われている(https://www.aesthetische-eigenzeiten.de/ (最終接続2022年3月22日))。「現代美術におけるヴァニタス」研究もこの一環として捉えることができる。

ヴァニタスと写真メディアの時間性

宗教的信仰が弱まった現代社会では、永遠の死後の世界の存在は認識されず、死は個人の生命の終焉として捉えられるようになってきた*8。このような世俗的な社会においてヴァニタス・モチーフは、写真や映像といったテクノ画像の技術と相まって死の予兆を強調し伝達することになる*9

*8 Norbert Elias, “Über die Einsamkeit der Sterbenden in unseren Tagen” [1982], in: ders., Über die Einsamkeit der Sterbenden in unseren Tagen. Humana conditio, Gesammelte Schriften 6, hg.v. Heike Hammer, Frankfurt a.M.: Suhrkamp 2000, S. 40; Benthien u. von Flemming 2018, S.20
*9 Ebd. S. 22–24

特に写真メディアは、それ自体がヴァニタスの経験を与えるものであると指摘されている。写真と死の表象についての二巻本『Die Tode der Fotografie (写真の死)』(Wilhelm Fink, 2009, 2015年)を出版しているカタリーナ・ズュコラは、写真作品であるがゆえの「ヴァニタス」経験について次のように述べている。写真は、「生」としての継続的な時間と空間からある一瞬を切り取り、「死」の世界へと誘い保存する。その際、写し取られた一瞬の前後の時間は写真からは排除され、継続的な時間を表現したり、画像上に時間を封じ込めることはメディアの特性上不可能である。そのため、重要な瞬間を生の流れの中から切り取り・保存することを目的に、常にシャッターは押される。しかし、カメラにより切り取られた一瞬一瞬はその機械的構造によりすべて同等のものとして存在し、当初の目的は失敗に終わることになる。この点において、写真による切り取りの行為は「むなしい」という意味でヴァニタスであると考えられている*10。さらに、そのような写真を鑑賞する際、「今、ここ」で画像上に見ているものは「過去」に存在したものであり、「未来」には死が訪れるというヴァニタス固有の時間性を写真のメディア性を通して経験することにもなる*11

*10 Sykora 2018, S.197-198
*11 Ebd. S.204

このような写真メディア自体が提供するヴァニタス経験は、ある瞬間そうであったという痕跡を示す、インデックス的性質によるものである。写真のインデックス性については、ドイツでは写真史・写真論が大学の研究分野として確立した1990年代以降、写真研究の最も重要な基礎理論として取り扱われてきた。1994年にドイツで最初の写真史・写真論専門講座がエッセン大学に設立され、初代教授のヘルタ・ヴォルフが最初に着手した仕事も、写真のインデックス理論の翻訳であった。1998年にヴォルフ監訳で、写真史・写真論シリーズの第一巻として出版されたのがフィリップ・デュボワの写真論『Der fotografische Akt. Versuch über ein theoretisches Dispositiv(写真的行為:理論的装置に関する試み)』(フランス語初版1983年、1990年版を翻訳)である。ここで述べられる死と写真の関連付けが、ズュコラが指摘する写真が生み出すヴァニタス経験の理論的な指針となっている。デュボワ曰く、メデューサが見たものを石に変えてしまうように、写真は生としての継続的な時間と空間から一瞬を断絶し固め取り、生と死の境界に定着させるというのだ*12。このような写真メディアを通してヴァニタス・モチーフをとらえることにより、世俗的な現代社会における死の予見としての「メメント・モリ」や現在の強調としての「カルペ・ディエム」が表現されているというのである。

*12 Philippe Dubois, Der Fotografische Akt. Der Versuch über ein theoretisches Dispositiv, hg. v. Herta Wolf, aus d. Franz. Dieter Hornig, Amsterdam; Dresden: Verlag der Kunst 1998, S. 163-170

トランスカルチュアルな視点からのヴァニタス「回帰」

写真メディアとヴァニタスとの現代美術での関連付けは、西洋の作品にのみ行われているわけではない。花を捉えた日本人作家の写真作品が、欧米の現代美術分野で「ヴァニタス」として受容される傾向がある。例えば、ベルリン・ヘルムート・ニュートン財団キュレーターのマティアス・ハーダーは、蜷川実花の桜の写真『Plant a Tree』(2011年)を「現代日本のヴァニタス」と評している*13。またロサンゼルスのLittle Big Man Galleryから出版された荒木経惟の写真集『トンボー・トウキョー』(2017年)では、荒木の花のモチーフをバロック・ヴァニタス静物画の文脈で編纂している*14。東信(フラワーアーティスト)と椎木俊介(写真家)による『植物図鑑』シリーズ(2012年~)も、ドイツ語圏のメディアではヴァニタスとして受容されている*15。これは写真のインデックス性により、まず被写体である「花」が伝統的なヴァニタス・モチーフとして解読されているためである。同時に写真メディア自体が持つ時間性がヴァニタスと結びつけられているためでもあると考えられる。

*13 マティアス・ハーダー「純然たる美」(『蜷川実花―虚構と現実の間にー』株式会社パイ インターナショナル 2018年)179頁。蜷川作品のヴァニタス受容に関しては、次の論文にまとめた:Madoka Yuki, “Vanitas in Japan? Kirschblüte in der zeitgenössischen Fotografie(日本におけるヴァニタス?現代写真にみる桜)”, in: von Flemming u. Berger (Hg.) 2022
*14 https://www.shashasha.co/en/book/tombeau-tokyo-1(最終接続2022年3月22日)
*15 Roland Hagenberg, „Die Blumen des Azuma Makoto“, veröffentlicht am 25. Oktober 2016, in: AD, https://www.ad-magazin.de/article/azuma-makoto(最終接続2022年3月22日)

このような日本作品のヴァニタスとの関連付けは、西洋中心主義的権力構造の中での恣意的な作品受容だと言えるだろう。実際、上記の例において、その根拠が明確に述べられることはない。さらに、ヴァニタス画最盛期の17世紀に日蘭交流はあったとはいえ、禁教令が出され、鎖国体制にあり、その後近代化の中で西洋文化が受容された背景を持つ日本において、ドイツの研究グループが行っているようなヴァニタス「回帰」の文脈での作品解釈・分析は難しいように思われる。しかし、この受容方法を起点に、日本と西洋における花のモチーフとその表象メディアにおける「時間性」という視点から、「ニつの文化を並列し、等値の関係に置き、両者を過不足なしに評価する」ことで、西洋中心主義を制限し作品を分析する可能性が開かれるのではないかと考える*16。この点、今後の研究の課題としていく予定だ。

*16Hans Belting, “From World Art to Global Art. View on a New Panorama”, in: ders., Andrea Buddensieg u. Peter Weibel (Hg.), The Global Contemporary and the Rise of New Art Worlds, Cambridge, MA: The MIT Press 2013, S.178–185; 仲間裕子「ハンス・ベルティングのイメージ論について」(『形象』(4)形象論研究会 2019年)29頁

(結城円)

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年6月30日 発行