編著/共著

木下知威、ほか(分担執筆)安井眞奈美、エルナンデス・アルバロ(編著)

『身体の大衆文化 描く・着る・歌う』

KADOKAWA
2021年11月
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国際日本文化研究センター(以下、日文研)は、5年にわたる研究プロジェクト「大衆文化の通時的・国際的研究による新しい日本像の創出」を行った。このプロジェクトでは、大衆を「群れとしての作者」として捉え、発語する主体としての大衆が文化の形成に深く関わってきたことに着目している。この視点で多角的に検討した成果物が「日文研大衆文化研究叢書」(全5巻)である。
このうち3巻目となるのが本書で、技術やメディアにおける表現と身体の生死という有限性に着目して、3部10章の構成を設定している。全体を確かめよう。

1部:「身体を表現する」では、絵を主体とする絵入り本、春画と娯楽、江戸期の公開処刑やお化け屋敷を主題とした「こわいものみたさ」、水木しげるが描いた妖怪と知覚という4章で構成されている。
2部:「身体を読み替える」は衣服と身体を再考する2章で構成されている。それは、既成服の身体、コスプレイヤーの活動という2章で構成されている。
3部:「身体に回帰する」では、絵馬と願い、車椅子の受容、近現代の音楽における身体、クイアな身体と漫画を主題とした4章で構成されている。

各章はそれぞれの主題をもつが、大衆文化とはまず何かを「纏う」ことによって生成されてきたように思われた。纏うことは衣服・皮膚論で言及される動詞のように何かを着るといった意ではなく、見る、匂う、触るといった統覚をも含蓄している。わたしたちは知っているだろう、カラッとした陽に乾いた服に袖を通すことの喜びを。繊維と肌がこすれあい、繊維が音を立てて身体とまとわり合うことの快感を。
そのように、纏うことはまず身体に引きつけることである。第1章の絵入り本の論考では木版と石版のディテールに留意しているが、その本を目に近づけなければ何も見えないだろう。一方で、纏うことは紐や布が絡まりあうように、なかなか脱げないものだ。第5章の衣服論では、クリーニング店員のお客さんの持ってくる衣服が臭くてたまらないという逸話が紹介されている。第9章では近現代の日本においてレコードを使った録音・再生技術という聴覚情報しかないものが、踊ること──盆踊りと結びついていく過程が「東京音頭」をケーススタディとして指摘されているように、わたしたちの身体にまとわりつくものを着脱することが可能な方法として科学技術があり、それによって大衆文化が形づくられてきたということができよう。

最後に、評者は日文研の共同研究員として大衆文化研究プロジェクトに関わっていた。共同研究会では学術手話通訳とともに参加し、毎回充実した議論が展開されており、ひじょうに得難い機会となった。日文研で開催される、共同研究会には多くの専門領域からの参加があり、学域的な研究者が集っている表象文化論学会とも関心が合致するように思われた。関心のある方はぜひ参加してみてほしい。

木下知威)

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年6月30日 発行