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セミナー ロシア・ソ連映画のなかの住宅

報告:小川佐和子・本田晃子

日時:2023年3月14日(火) 13:00-18:15
会場:京都大学文学部第6講義室
使用言語:日本語、ロシア語(日本語通訳あり)
登壇者:本田晃子(岡山大学)、小川佐和子(北海道大学)、オクサーナ・ブルガーコワ(マインツ大学)
主催:京都大学文学研究科、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター、国際的な生存戦略研究プラットフォームの構築(SRC)、科学研究費基盤研究(B)「ロシア・旧ソ連文化におけるメロドラマ的想像力の総合的研究」(19H01243 研究代表 安達大輔)


今回のセミナーでは、19世紀末から21世紀初頭までの間に激しく変転したロシア・ソ連の住宅とその住民像を、映画のスクリーンを通して眺めていった。本セミナーでは三つの発表と関連する映画上映(『エレナの惑い』)が行われた。

最初の発表者の本田晃子は「ロシアは誰に住みよいか:19世紀末から21世紀初頭までのロシア住宅史概観」と題して、本セミナーの趣旨とソ連・ロシアにおける住宅史の概要をレクチャーした。この一世紀の間に、ロシアにおける住宅の姿はめまぐるしく変化した。19世紀、ロシアの都市部には新興中産階級のためのアパートメントが次々に建設され、ロシアの都市文化は爛熟期を迎えた。しかし1917年、十月革命によって政権を握ったボリシェヴィキは、住宅の私有を否定し、家族の解体を唱え、生活の集団化を推進した。そして都市部のアパートメントを強制的に接収し、「コムナルカ」と呼ばれる共同住宅へと作り変えた。深刻化する住宅難も相まって、スターリン時代の都市住民は、これらコムナルカやバラックでの集団生活を余儀なくされた。

だがスターリンの死後、状況は一転する。ソ連の指導者の地位に就いたフルシチョフはスターリンの建築政策を批判し、いわゆる「団地」と呼ばれる集合住宅の大量供給を自身の政策の目玉に掲げた。その結果、1950年代後半から1970年代にかけて、ソ連の景観を一変させるほどの大量の団地が各地に建設されることになった。人びとも大挙してこれらの新しい住まいへと引越した。ただし団地という家族単位の住宅は、家族の解体を目指した初期社会主義住宅の理念を根本から否定するものであった。

そしてソ連崩壊後、住宅は再び個人の所有の対象となった。とはいえ住宅市場は活発とはいえず、2000年代に入ると都市部には富裕層向けの高級集合住宅が続々と建設されたものの、空室も目立つ。その一方で、多くの市民は老朽化したソ連時代の住まいに未だに取り残され続けている。

こうした住宅の変遷をスクリーンはどのように映し出してきたのか、続く発表では帝政期から現代のロシア映画を対象に議論がなされた。

次の発表者の小川佐和子は「メロドラマ的空間:帝政期映画における家と劇場」と題して報告した。ロシアでは欧米に比べて遅れを取ったが、しかし急速な近代化が社会不安を生み、都市化と産業化が古い階級制度の崩壊と女性の自由の増大を引き起こした。この状況はとりわけ帝政期のスクリーンにおけるヒロインの表象と結びついた。近代化がもたらす解決の不可能性は、私的空間において近代化の困難に巻き込まれた女性の身体に表出し、女性の「受苦」や「死」という形となって現れた。

ヒロインの身体の受苦は、革命前のロシア映画において二つの特徴的なメロドラマ的空間とメロドラマ的身体を生み出した。家と劇場である。近代化から取り残された19世紀的なヒロインの多くは、「家」という空間にとどまり続け、日常のささやかな悲劇の物語の主体となる。彼女たちは衣装や身振りにおいて旧い身体の表象を保持している。一方で、近代化されたヒロインは、自立した「新しい女性」として、新たな身体・身振り・衣装・空間を獲得した。その多くは、バレリーナ、オペラ歌手、舞台女優といった芸術家の職業に就き、劇場空間で間テクスト的身体を纏う。しかしながら、旧い女性も新しい女性も、新旧価値観に引き裂かれると、不具の身体や亡霊、死体といった身体の破壊に直面することとなった。

帝政期のメロドラマ映画において、象徴的な家族を担保する場としての家という住空間は、もはや私的領域=家庭として機能を果たせなくなっていた。ヒロインは「悪」として描かれるか、救われない「美徳」として描かれる。そして住宅は「消費する女」たちに占領され、妻や子は裕福なブルジョワジーに奪取される。ファミリー・メロドラマの聖域である住宅空間は、登場人物の自殺と共に自己破壊し、もはや聖域たりえないことが示された。

最後の発表者であり、本セミナーのメインイベントとなったのがオクサーナ・ブルガーコワによる講演「幸福には何平方メートルが必要か:ソ連・ポストソ連映画におけるキッチン内の情動」である。ブルガーコワは、マインツ大学名誉教授をつとめ、ロシアとドイツの映画研究を専門としている。とりわけエイゼンシュテインの研究に注力し、伝記の執筆や理論的研究のほか草稿『メソッド』の編集でも知られる。

ブルガーコワの講演では、映画は、建築の形態やインテリア、そこで暮らしていた人々にまつわる事物を架空の物語でいかに文脈化するか、そして社会的なコードがどのように映画に浸透し、あるいは逆に映画がその形成にどのような影響を受けるか、という問いが掲げられた。そうした問題意識のもとで、ソヴィエト映画、ポスト・ソヴィエト映画、そして現代のロシア映画におけるキッチンという空間にブルガーコワは着目する。

キッチンとは、最も規格化された部屋であり、住むための機械である。劇映画において、個人と標準的な規格化された家具はどのように組み合わされたのか。ハリウッド映画では、キッチンはさまざまなジャンル、シナリオ、演技の舞台となってきた。そこでは映画の制作時期に関係なく、朝食も殺人も自殺もセックスも同時期に描かれえた。一方、ソ連映画では、キッチンという空間の歴史的連続性と突然の変容が描かれてきた。20世紀初頭のキッチンは、1920年代までは使用人の活動場所であり、その後は、シーンとシーンをつなぐ空間へ、親密さの空間へ、調和の空間へ、攻撃性の空間へ、そして皮肉、感傷、反感を含んだノスタルジーの空間へと変容していった。

1920年代から1950年代にかけての喜劇映画では、キッチンは構成主義的ではなく、古めかしい場所であり、都市に移り住んだ元農民の家政婦たちの空間だった。1950年代後半から1960年代にかけてのネオ・リアリズム映画においても、キッチンのシーンは副次的であった。1960年代の「雪解け」の時代、キッチンは質素で調和の取れた空間から革命的な変貌を遂げ、女性の分離された労働の場ではなく、家族全員のための空間となった。しかし依然として、ソ連映画では目立った役割を果たさない。ソ連映画におけるキッチンが劇的に変化するのは1970年代である。この「停滞」の時代には、明るい色彩と重厚な家具、ピカピカのキッチンへと変化した。キッチンはスクリーン上にはじめて「親密な」空間として出現した。私的空間の親密化は、1950年代末から60年代初頭にかけて、強制された共同体から脱出し、家族単位の団地に移り住んだソ連の人々の生活の中で実際に起きたことだが、それがスクリーン上に反映されたのは1970年代以降であった。そして1970年代の映画ではキッチンがとうとう主役になる。立場の表明や対立はキッチンへと移され、そこで主人公たちの価値観や感情、嗜好が観客に明らかにされ、ときには性愛の空間としても利用されえた。

その後も、ペレストロイカ期における社会の暗黒面を描いた映画ジャンル、そして懐古主義の映画・連続ドラマを含む2010年代の豪華絢爛さへと台所空間は変容していった。とりわけノスタルジックな視線は、コムナルカの共同キッチンを社会主義共同体に属する人々が集合する心地よい場所として皮肉に、あるいは感傷的に詩化した。

本講演では、キッチンが象徴や症候として、あるいは批評的考察の対象として描きうる可能性が導き出された。この小さな空間での出来事や情動の範囲は、社会の調和から家族の調和まで、あるいは殺人や自殺を引き起こす攻撃性まで、素朴な魅力から陰惨さ、華やかさ、ノスタルジーまで信じられないほどに広かったことが、さまざまな映画の事例から議論されていった。

質疑応答も盛り上がりを見せ、中村唯史(京都大学)からは、「戦後の日本の映画や文学では、家庭というものが親密圏の象徴として機能し、戦争などの社会的状況が、外から家庭に襲い掛かって来るというイメージが一般的だったと思われる。だが、ロシア(ソ連)映画では、家庭というものが、日本のように一つの閉じた親密圏として表象されてはこなかったという印象を受ける。この印象は正しいか、正しいとすれば、それはなぜか」といった質問が投げかけられ、日本におけるコンテクストとの比較にも議論は広がった。

(小川佐和子・本田晃子

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広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、髙山花子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2023年10月17日 発行