単著

細馬宏通

フキダシ論 マンガの声と身体

青土社
2023年6月

マンガはなぜ、読み始めると止まらなくなるのだろう。つい寝食を忘れて何巻も続くシリーズを読み耽ってしまったという経験は、マンガ好きであれば多かれ少なかれ覚えがあるはずだ。このような読みの牽引力は、どのようにして発生するのか。本書は、マンガにおけるフキダシの機能に注目することで、この疑問に1つの答えを与えてくれる。鍵となるのは、フキダシを介して達成される「共同注意」である。

本書がフキダシを論じるにあたって中心的に行うのは、フキダシ内の文章から物語を解釈することでも、フキダシの形状に注目してその効果を分析することでもない。主要な関心は、マンガの中にフキダシが登場する際、そこでどのようなコミュニケーションが発生しているのか、という点にある。分析の道具立ては、以下のようなものだ。まず、それぞれのフキダシには原則的にその「話者」と「聞き手」、そして発話が指し示す「注意の対象」を想定できる。例えば、船長と共にイカダに乗る少年から「アッ島だ島だ」というフキダシが伸びている場面では、少年が「話者」、船長が「聞き手」、遠くに見える島が「注意の対象」だと考えられる。フキダシを中心として、このような「話者」「聞き手」「対象」の「三項関係」はどのように編成されるのか。これが、本書を貫く関心である。

第一部で示される以上のような「関係分析」の枠組みを用いながら、第二部では具体的な作品に即してさまざまなフキダシが検討されていく。第二部第一章で話者との関係性の強さというフキダシの基本的な性質が確認されたのち、第二章ではフキダシと読みの推進力との関係に焦点が当てられる。ここで特に注目されるのが、「共同注意」の過程である。多くの場合、フキダシの発話には、話者が対象を指し示すことで、それを聞き手との間で共有するという働きがある。そして、作中の登場人物だけでなくマンガの読者もまた、このような「共同注意」に参加しながら物語を追いかけていくことになる。本章は、フキダシを活用することで読者の注意を惹きつけ、「共同注意」の連鎖へと巻き込むことが、先へ先へとマンガを読ませるための推進力につながることを、具体的な分析を通して明らかにしている。

同時に、宍戸左行『スピード太郎』や大城のぼる『汽車旅行』といった戦前のマンガと、戦後まもなく発表された手塚治虫・酒井七馬『新宝島』を比較したこの章は、マンガ史の理解にとっても重要な示唆を含んでいる。著者はここで、『新宝島』が、読者を注意の連鎖へと引き込むために、戦前のマンガとは大きく異なる手法を活用していることを示している。この作品については、これまでもさまざまな観点からその革新性が検討される一方で、戦前のマンガ表現との連続性を見直すべきだという反論もなされてきた。本書の第二部第二章は、『新宝島』の表現上の特質を従来とは異なる点に見出すことで、これらの議論を新たな段階へと導いている。

著者自身も注において慎重に記しているように、読者の注意を誘導する『新宝島』の手法を歴史的にどう位置づけるかは、マンガ史研究にとってさらなる課題となるだろう。私見であるが、『新宝島』の革新性と戦前からの連続性のいずれを重視するにしても、有効なのは、中村書店のシリーズやいわゆる赤本のような娯楽性の高いマンガ単行本とのさらなる比較だと考えられる。物語を先へ先へと読み進ませるような手法が発達するためには、高い娯楽性と、次々にめくらせるだけのページがなければならないからだ。

あるいは、本書では専らフキダシとの関連のなかで検討された共同注意という現象を、フキダシ以外の表現に応用することも、今後のさらなる展開として期待される。マンガにおいて、作中のキャラクターに注意を促し、同時に読者の注意をも惹きつけるような表現は、必ずしもフキダシだけではないはずだ。例えば、これまでしばしば革新的な表現として取り上げられてきた『新宝島』の最初の見開きでは、フキダシや発話の表現を一切使わずに、疾走する自動車のイメージが描かれている。しかしここでも、読者の注意は何らかの方法で引き込まれ、続く展開へと誘導されていたのではないか。本書の議論は、フキダシに限らず読者の注意を喚起するさまざまな表現に注目し、マンガが読みの推進力を獲得する仕組みを総合的に明らかにする可能性にもつながるものである。

以上のように、本書にとって1つの核となる第二部第二章では、マンガを先へ先へと読ませるようなフキダシの活用法が明らかにされた。とはいえもちろん、マンガはいつでも、ただ読み進めやすいばかりではない。流れのなかでふと視線をとどめ、じっくりと見つめることを求めるような表現こそが作品を印象付けるということも、少なくないはずだ。第二部第三章から第七章にかけては、ときにスムーズで、ときに(良い意味で)読みを滞らせるさまざまなフキダシが、次々と分析されていく。第三章では注意の対象、第四章では聞き手、第五章では話者をめぐる表現が検討され、第六章では作中でフキダシそのものが見えている(かのような)例が、第七章ではキャラクターたちによる世界の捉え方を視覚的に示すようないくらか特殊なフキダシが取り上げられる。

『正チャンの冒険』から『ルックバック』まで、あるいは『河童の三平』から『ギガタウン 漫符図譜』まで、さまざまな時代のフキダシを縦横無尽に論じる自在な語り口は、軽やかで楽しい。小気味よく積み重ねられていくコンパクトな作品論を前に、ページをめくる手が止まらなくなる。どうやら、これまで数々のマンガや映像作品を驚くべき緻密さで分析してきたこの恐ろしく注意深い著者は、読者である私たちの注意をも巧みに誘導し、次々と提示されるフキダシを共に見つめる「共同注意」の経験へと巻き込んでいるようだ。本書自体が、読み始めると止まらなくなる、マンガのような一冊となっている。

(陰山涼)

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、髙山花子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2023年10月17日 発行