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国際カンファレンス Posthumanities in Asia: Theories and Practices

報告:原島大輔

日時:2019年6月8日・9日
会場:関西大学梅田キャンパス KANDAI Me RISE

Day 1 (Saturday, June 8)

13:05–14:45
Session 1: Politics
Sucharita Sarkar (D.T.S.S. College of Commerce, India) “Posthumanities in India: Fractured Maternities?”
Yeran Kim (Kwangwoon University, South Korea)“Still ‘Sex’ ? : Revising the Problem of Power and the Body in the Asian Condition of Posthumanity”
Il Joon Chung (Korea University, South Korea)“Dropping Nukes, Deploying Nukes and Developing Nukes: Practicing Posthumanities on Asia over the Nuclear Crisis”
Chan Yong Bu (Princeton University, USA)“Other Than Postcoloniality and War Trauma: Questioning the Commemoration of the Cold War in Post­1991 Asia Through Metallurgical Posthuman”

15:00–16:15
Session 2A: Literature
Guo­ou Zhuang (University of Central Arkansas, USA)“From ‘Counterpoint’ to ‘Topology’: Posthuman Critical Theory and the Study of East­West Literary Relationships”
Chia­Hsu Jessica Chang (Binghamton University/State University of New York, USA) “When the Posthuman and the Prehuman Meet: The Yellow Peril’s Resistance in Mo Yan’s Frog”
Ilgu Kim (Hannam University, South Korea)“Yoon Ha Lee’s Ninefox Gambit and Asian Mythology”

Session 2B: Environment
Tom Looser (New York University, USA)“Cartographies of ‘Posthuman’ Love and Labor, and the Ends of the Humanities”
Wendy Wan­ting Wang (University of California, Berkeley, USA)“Making Kin with the Light: Tsushima Yuko’s Territory of Light” Naoko Toraiwa (Meiji University, Japan)“‘If the little well­made, intricate machine of a poem can connect to a different well­made, intricate machine, . . .’: Sinéad Morrissey’s Emphasis on the Body of Poems, as Being in the World”

16:40–18:40
Keynote Lecture
Rosi Braidotti (Utrecht University, The Netherlands)“What is the Human in the Humanities Today?”

Day 2 (Sunday, Jun 9)

9:30–10:10
Lecture 1
Yoshitaka Mouri (Tokyo University of the Arts, Japan)"Considering Posthumanities in Asia: Inter­Asia Cultural Studies, Practices and Activism"

10:20–12:00
Session 3: Gender
Yeon Kyoung Lim (City University of Hong Kong, Hong Kong) “WOC (Woman of Color)­Machine”
Jungah Kim (Texas A&M University, USA)“Evolving (Feminist) Cyborgs and the De­evolution of the (Posthuman) World in Alex Garland’s Ex Machina”
Gabriel Remy­Handfield (University of Montreal, Quebec, Canada)“Radical Queer Post­Humanism: Mutation and Machinic Desire in the Novel The Cage of Zeus by Sayuri Ueda”

13:00–13:40
Lecture 2
Anneke Smerik (Radboud University Nijmegen, The Netherlands)“‘Seijaku’: The Posthuman Designs of Iris van Herpen”

13:50–15:30
Session 4A: Art
Jung­Yeon Ma (Meiji University, Japan) “Posthuman Perspectives in Contemporary Art”
Stephen Sarrazin (Paris 8 University/Tokyo University of the Arts) Yangyu Zhang (Tokyo University of the Arts, Japan)“Flaming Creatures: Augmented Reality, Artificial Imagination, Diminished Animals” Mariko Kida (Ritsumeikan University, Japan)“Experiencing Puzzle Creature”
Gerald Raymond Gordon (Baika Women's University, Japan)“Playing Amidst Humanist Static: Free Improvisation as Posthuman Music”

Session 4B: Body
Naho Onuki (Kyoto University of Art and Design, Japan)“Posthuman Subjects in Body Modification”
Andrea Carmeli O. Abulencia (University of Asia and the Pacific, Philippines)“Pirated Identities, Real Fictional Selves: The Posthuman Clone Narrative in David Hontiveros’ Seroks Iteration 1: Mirror Man as Philippine Contemporary Science Fiction”
Hsin­Chi Chang (Tamkang University, Taiwan)“The Fluidity of Material Pollution: The Bio­ethical Defect of Organic Transplantation in Sui Isida’s Tokyo Ghoul”
Tomohiro Inokuchi (The University of Tokyo, Japan) “Zoomorphic Images in the Posthuman Era: A Case of Furries”

16:00–17:40
Session 5: Theory
Chung­Hsiung Lai (National Cheng Kung University, Taiwan)“Who am I?: On Posthuman Ethics between Levinas’s Dog and Derrida’s Cat”
Kunihiro Bai (Kyoto Seika University, Japan)“Base Materialism of Georges Bataille and Contemporary Materialism”
Daisuke Harashima (The University of Tokyo, Japan) “Making Sense of Lived Imagination”
Aleksandar Talovic (Justus­Liebig­University Giessen, Germany) “More Human than Human?: Mapping the Post­human Subjectivities”

17:50–18:30
Closing Discussion


いったいhumanとは何なのか、何であることになっているのか。human、そしてposthumanという言葉で、いったいひとは何を議論しているのか。日本語の思想は、そしてアジアは、humanがいったい何を意味しているのかを、ほんとうに理解してきたのだろうか。それは翻訳できる言葉だったのだろうか。それはある概念をいかに輸入するかの問題だったのだろうか。一語の外国語をいかにして一語の日本語に置き換えるかの問題だったのだろうか。人間? 人? それらは同じ意味と価値をもっているのだろうか。ほんとうのところ、われわれはそれをわかってきたのだろうか。何百年もの間。ずっと深いところで。

今日、大学ではさまざまな意味でのポストヒューマニティーズの取り組みが展開されている。それらはそれぞれ、いったいどのような意味でヒューマニティーをとらえ、それを超克しようとしているのか。そこに何かヒューマニティーズの未来を期待することはできるのか。それをどのように実現していくのか。「アジアにおけるポストヒューマニティーズ」をテーマに開催された今回の国際カンファレンスは、こうした問いに関心をもつ研究者たちが集い、2日間にわたって濃密な議論を交わす、貴重な機会となった。

その多様な議論のひとつひとつをここでとりあげることはかなわないが、あくまで一観点として報告者の関心から要約させていただくならば、話題は次の2つをめぐっていたとみることができるだろう。ひとつは、人間理性をはるかに凌駕する人工知能のような科学技術的手段を利用して、選ばれた人間をある種の神のごとくに卓越した超人へと進化させんとする、いわゆるトランスヒューマニズムのイデオロギーがもたらす人間性の危機について、自由な人間の立場から批判する、新しいヒューマニティーズの試みである。もうひとつは、いわゆる近代西洋中心主義の偏見をいまだに引き摺ったままの偏狭な人間観への批判や、人間と自然を劃然と対立させる世界観に基づいて人間による自然の支配を追求してきた人類中心主義への批判を通じて、それらがいう人間なるもの以外のものたちの側に身を寄せ、近代的な人間主義を超克する、新しいヒューマニティーズの試みである。

今回の基調講演におけるロージ・ブライドッティさんの見解にならえば、ポストヒューマンとは、トランスヒューマニズムがいうような新しい条件ではなく、これまで別々の系譜で展開されてきたヒューマニズム批判(たとえばフランス現代思想)とアントロポセントリズム批判(たとえばエコロジー)の合流が、その核心なのである。この観点からすれば、たとえば人工知能研究や神経科学と連携して人間拡張を目標に掲げるトランスヒューマニズム型のプロジェクトは、現行の大学の制度において成功が約束された新しい人文学のモデルの筆頭ではあるものの、しかし、これはポストヒューマニティーズとは決して呼べない旧態依然のヒューマニズムにほかならない。それは、人間の能力的な限界を反省しているという意味では百歩譲って分析的にはアントロポセントリズム批判と呼べたとしても、それを補完すべく科学技術的手段による人間の完成(しかもそれこそがヨーロッパ的な啓蒙の成就であると喧伝されることさえある)を目指すその視野からは、前世紀以来のヒューマニズム批判の議論が一掃され、ポストコロニアル理論もフェミニズムも全部なかったことにされてしまっており、つまるところ選び抜かれた一部のエリートがトランスヒューマンとなって世界を支配するという新しい優生学であるかのごとき様相を呈しさえしているのである。認知資本主義的な知識経済のなかでは、知識生産が生死を管理する政治的権力と断ちがたく結びついている、といよりそれそのものとなっているのであり、大学こそはまさにその中心なのである。その大学にいったい何ができるのか。ポストヒューマニティーズにいったい何ができるのか。選民主義的で普遍主義的な条件としてのポストヒューマニズムではない、多様で制度的には取りこぼされた人々の惑星規模での差異を抱えた主体たちの提携を、ブライドッティさんは呼びかける。その語調は、独特のユーモラスで勇気づけるような、批判的ながら肯定的な力に満ち溢れてはいたけれど、しかしあきらかにその視線は苛酷な世相を見据えていたように映る。

2日間のカンファレンスを通じて多くの議論がそこへと回帰した問題は、人間観の根本的な複数性多様性であったように思う。これは、とりわけ「アジアにおける」ポストヒューマニティーズがテーマとして設定されていたことにもおおいに関係があるだろうし、このカンファレンスのテーマがそのように設定されたことのひとつの重要な意義であったとも思う。むろん、それは、たんに欧米的ポストヒューマニズムなるものにたいして、アジア的ポストヒューマニズムなるものを対置する、というような話ではない。むしろ、たとえば顕著なところでいえば、東アジアの先進諸国におけるポストヒューマニズム的な産官学連携の知識生産こそが、ヒューマニズム批判の伝統のすっぽり抜け落ちたトランスヒューマニズムが破竹の勢いで世界を席巻することに多大な貢献をしているという側面のあることは、ブライドッティさんも講演で何度か注意を促していたとおりである。それに、だいたい欧米的ポストヒューマニズムとは何なのか。そういうものが一枚岩でどこかにあるのか。アジア的なそれに対応する何かとは何なのか。何かそういうものがどこかにあるのか。問題は、たんに欧米ではなくアジアという視点から今日のポストヒューマニズムを批判すればすむというようなことではないのである。ただ、このカンファレンスで確かに感じられたのは、humanの翻訳しえない境地の友情、それが問われており、そのはてしない遠さとともに、それがあるということである。

(原島大輔)

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2019年10月8日 発行