PRE・face

日本語と人文学

木下千花

京都大学で開催された第14回表象文化論学会大会が終わって1ヶ月半が経過した8月の後半、私はハーヴァード・イェンチン研究所(Harvard-Yenching Institute)の客員研究員としてマサチューセッツ州ケンブリッジ市にやって来た。2020年6月まで10ヶ月の在外研究を行うことになっている。

京都とボストン都市圏(the greater Boston area、ケンブリッジをはじめとした周辺の市も含む)は似ている。ボストン市と京都市は1959年以来姉妹都市としての協定を維持しており、それぞれの国における相対的な歴史の古さ、大学町としての側面、チャールズ川と鴨川の存在などの共通点は、ある意味で公認されているとさえ言える。なお、私は東京で生まれ育ちシカゴで大学院生活を送った粗忽な人間なので、日本であれアメリカであれ、こういった典雅な大学町での生活には「よそ者」感がつきまとう。思えばネイティヴ・スピーカーでないことも同じだ。しかし、人の出入りが多くよそ者を許容するのは思えば大学町の定義の一部である。

イェンチン研究所についての詳細は、井戸美里氏が研究ノート(『REPRE』no.11,2010)で紹介し、橋本悟氏によるエリザベス・ペリー所長の優れたインタヴューが『REPRE』no. 12(2010)に掲載されているので、そちらを参照されたいが、社会科学・人文学に特化した研究センターとして一世紀近い歴史をもち、アジア各地の提携大学で応募を行って集めた私のようなよそ者たちに研究費、生活費、机とハーヴァードのIDカードを与えて滞在させてきた。中国語圏からやってきた同僚たちは当然のごとくすべからく超ハイスペックだが、英語圏での文化的・言語的な「こなれ」度は人それぞれで大きな幅がある。韓国からやってきた三人は大まかに言って私と似たような経歴であった。このアジア人研究者集団のなかで、マンダリンも韓国語もできない私は母語と英語しか解さないマイノリティに属すのだが、そのため、日本語話者以外とのコミュニケーションは英語で行っている。

こうした環境に身を置き、表象文化論学会での10年間を振り返ってしみじみと考えさせられるのは、英語ではなく日本語で人文学の研究を行う意味についてだ。とはいえ、これは表象文化論学会英語化のススメではない。私は北米から帰国した翌年の2011年からの一時期、表象文化論学会で英語パネルやシンポジウムを企画するワーキンググループの一員であった。とりわけ最初の二年間はある程度の人数の英語話者が大会で英語発表をしており、この試みは成果を上げたと思われるが、やがてパネルやシンポジウムの「ネタ」にかかわりなく「英語」をやっている会員と企画者のみが集うという事態になったのも事実である。しかし、今回の大会では英語パネルが一つ普通に組織されて広く聴衆を集めていたので、英語化は力むことなく適切な着地点を見つけたという解釈も成り立つ。

イェンチン研究所の同僚たちのようなアジアの(水村美苗の用語で言えば)二重言語者は、英語、母語(複数の場合もあるだろう)、それ以外の言語と研究の間に様々な関係を持っている。シンガポール国立大学や香港大学のように元イギリス植民地で授業自体が英語で行われ、近年はテニュア・トラックをはじめとした制度のアメリカ化が進んでいる大学では、業績=英語の定式は当然過ぎて話題にもならないだろう。韓国のトップ校でも、主にランキングへの配慮から英語でないと業績と見なされないとのことだ(とはいえ、筋の良い人であればあるほど韓国語へのこだわりも感じられる)。中国本土の状況は分野によるように思われ、私の分野(映画)で学会に行くと、中国語の壁がかなりの高さで聳え立っている。しかし、英語-中国語間の双方向の翻訳が怒濤のような規模とスピードで行われており、中身の交流は進んでいるようだ。

英語で学位論文や査読論文を書き、どさ回りの結果、教室を含むかなり多様なシチュエーションに対応できるようになったとはいえ、帰国子女でもなく言語的才能に恵まれているわけでもなく、20代後半にさしかかって初めて英語圏に留学した私にとって、二重言語性は10年以上に相当する日本語でのキャリア形成と引き替えに獲得したものであり、それを最大限拡張して使っているというのが貧乏くさい実情である。他方、私の専門は日本映画史で、研究対象や一次資料のほとんどが日本語であり、自分では明確に日本研究者としてのアイデンティティを持っている。

先だって、京大学内のとある会議の席上、「映画学」というものを説明していたところ、理系の先生から「では、その学問をやっている人は、みな英語ではなくそれぞれの言語で出版しているんですか」と戦略的な呆れ顔で問い糾された。この人は世界中の非英語圏の人文学者に喧嘩を売っているのだろうか、と軽いショックを受けつつ、ほぼ条件反射で出てきたのは、「いえいえ、私も他の映画学者も英語でも「発信」しています」といういつものフレーズであった。これでは相手の土俵で相撲を取ることになる。態勢を整えてなんとか付け加える。「でも、私、英語の博論の研究をほぼ一からやり直してようやく出した単著は、日本語で書いたんです」。

なぜ英語ではなく日本語で書くのだろう。私の場合、日本映画史をやっているので、資料と知識の蓄積の点で圧倒的な優位に立つ日本語での日本研究に参加したいという学問的な理由はあった。だが、なぜ日本語で書くのかという問いを煎じ詰め、言語としての日本語への思いをとりあえず脇に置けば、当たり前のようだが、想定している対話者が日本語読者だからだ。私について言えば、必ずしも研究者志望ではない大学生、在野の映画研究者、映画監督、シネフィル、などなどがかなり具体的に思い浮かぶ(これらのカテゴリーに属す人の多くは高度の教育を受けかなりの英語力を備えているが、私が書いたものを英語で読むことはない)。また、フェミニストとしては、英語での日本の家父長制批判は、受けが良いからだけではなく、声なき犠牲者もしくはネイティヴ・インフォーマントとして消費されないよう、これはこれで続けなければと思うのだが、やはりまず直に訴えかけたいのは日本の文脈で生きる女性である。

なお、「英語では書けないから」という向きもあろうが、本当に英語で出版するしか生き残る道がなければ、研究者はそのように努力しキャリア形成するものである。例えば、私は京大で一回生に英語を教えているが、担当している工学部、農学部、経済学部で研究者を志す学生にとっては、英語論文を書く必要性は自明である。それに対して私たちが日本語で書くのは、一方では現行制度のなかで業績として評価されるからであり、他方では、ツワモノの読み手がいて刺激的な議論が生まれ、書き手として手応えがあるからだろう。私にそのような経験を与えてくれた場としてまず思いつくのは、表象文化論学会である。

しかし、やや斜に構えて言うと、海外の最先端の思想や芸術を日本語読者に向けて高精度で翻訳・紹介し、そこから世界的に見ても新規性の高い解釈や接続を行い、アカデミアには収まらない知的な読者に日本語で訴えるという点で、表象文化論学会の活動は近代日本の知識人の正統に連なると思う。一時期は英語ベースで紆余曲折の多い研究教育人生を歩んできた私は、この正統に難癖をつけたくなることもある。また、10年ぶりにアメリカの大学町に住んで驚いたのは(この前はミシガン大学のあるアナーバーだった)、日本人留学生の体感としての減少であり、英語で読み書きする人々による「世界」における日本の未来に対して切羽詰まった危機感を抱いたのも事実だ。私自身は、英語でないと対話できない人々の顔がいろいろ思い浮かぶので、英語でも書くことをやめるつもりはないし、人文学者による英語のちゃんとした回路での「発信」はもっともっと行われて欲しい。

でも、それでも。仮に日本語による人文学がすべて英語へと吸収されてしまうようなことがあれば、それは日本にとって悲惨なことであるばかりではない。英語での「世界」へと還元し、活性化する元になる知的な土壌もまた失われてしまうことになるだろう。まあ、たぶん、そのようなアポカリプスよりは、日本が言語・文化的に事実上の鎖国状態になる可能性のほうが真に迫っているのだが。

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2019年10月8日 発行