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シンポジウム 「映像のテクノロジーと人間のイメージ」

報告:岡本源太
  • 日時:2016年10月28日(金)16:30〜18:30
  • 場所:岡山大学津島キャンパス 文学部・法学部・経済学部1号館 文学部会議室
  • 登壇者:
    • 増田展大(立命館大学)「生命のメディエーション──バイオテクノロジーの歴史をつうじて」
    • 松谷容作(同志社女子大学)「シミュレーション論──宇宙と映像」
    • 門林岳史(関西大学)「ポストヒューマン映画論序説」※…「ポストメディア映画論序説」より訂正
  • 司会者: 岡本源太(岡山大学)
  • 主催:平成28年度岡山大学文学部プロジェクト研究「映像表現と人文学」

去る10月28日、岡山大学でシンポジウム「映像のテクノロジーと人間のイメージ」が開催された。映像メディア論を専門とする登壇者3名、美学を専門とする司会者、いずれも本学会員である。ニュースから娯楽、医療に戦争、経済と科学まで、映像のテクノロジーの進展が現代の人間観や世界理解に及ぼしている影響の大きさは、言を俟たない。本シンポジウムはそれを、バイオテクノロジーにおける映像の利用というミクロな知のレヴェル(増田発表)、宇宙科学におけるシミュレーションやヴァーチャル・リアリティの使用というマクロな知のレヴェル(松谷発表)、そして『ターミネーター』や『ロボコップ』にうかがえるポストヒューマンのイメージという想像的なもののレヴェル(門林発表)、の三つの水準で探究するものであった。

映像のテクノロジーがほかさまざまなテクノロジーのなかで特異であるのは、「可視化」によって、人間ばかりかテクノロジーそのものを変質させてしまうことだろう。たとえばシミュレーションは、それ自体としては可視化を必要としない。しかし、シミュレーションの結果が可視化されることで、わたしたちはそれを新しい訓練の手段として、新しい経験と知識の源泉として、活用できるようになる。さまざまなテクノロジーは、映像のテクノロジーを介して可視化されることでこそ、良かれ悪しかれ、いっそう人間に対して緊密に作用するようになるのである。そうして映像のテクノロジーは、極小であれ極大であれ、現実であれ空想であれ、人間を桁外れのスケールのものに感覚的に直面させるにいたる。

けれどもまた映像のテクノロジーは、そうした桁外れのものを、感覚という人間的なスケールに翻訳するものでもあるだろう。気晴らしとしての娯楽のイメージが、その反面で、ぞっとするような社会の構造を示す。不正や脅威を警告する恐怖のイメージは、その反面で、可視化の享楽をともなっている。テクノロジーは、たえず人間をポストヒューマンの地平へと引き込みながらも、可視化されることでつねにものごとをヒューマン・スケールに引き戻している。可視化がもたらすこの振幅と反転の運動なかで、今日の人間のイメージはかたちづくられている──本シンポジウムを通して、しだいにそのような考えが浮かび上がってきた。

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岡本源太

広報委員長:横山太郎
広報委員:江口正登、柿並良佑、利根川由奈、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2017年3月29日 発行