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国際シンポジウム 「現代芸術における保存と修復」

報告:小松浩之
  • 日時: 2016年9月22日、於:京都大学
  • 主催:学術振興会科学研究費基盤研究A(代表:岡田温司)
  • 司会:岡田温司(京都大学大学院教授)
  • 登壇者:
    • ジュゼッペ・パテッラ(ローマ・トル・ヴェルガータ大学教授)「アイデアを修復できるのか」
    • 平芳幸浩(京都工業繊維大学准教授)「美術の保存、建築の保存」
    • 桝田倫広(東京国立近代美術館研究員)「荒川修作初期作品の内部構造─X線撮影調査から─」
    • パオロ・ダンジェロ(ローマ第3大学教授)「現代芸術の修復とチェーザレ・ブランディの修復理論」

20世紀以降、芸術作品はもはや素材とならなかったものなどないと思われるほどに多種多様な素材によって制作されてきた。当然、現代芸術作品もまた経年変化し、場合によっては我々の想像をはるかに超えて急速に消滅に向かっている。2016年9月22日、京都大学にて開催された国際シンポジウム(主催:学術振興会科学研究費基盤研究A、代表:岡田温司[京都大学大学院教授])が掲げたテーマ「現代芸術における保存と修復」は、ここ20年のあいだに議論されはじめたばかりであり、制作、鑑賞、研究、行政のいずれの立場にとっても今後ますます差し迫った課題となることが予想される。ジュゼッペ・パテッラ氏(ローマ・トル・ヴェルガータ大学教授)、平芳幸浩氏(京都工業繊維大学准教授)、桝田倫広氏(東京国立近代美術館研究員)、パオロ・ダンジェロ氏(ローマ第3大学教授)、以上4名の登壇者による発表は、今まさに生じているさまざまな問題を浮き彫りにするものであった。

まず、パテッラ氏は、現代芸術の保存と修復において問題となるのは、たんに作品に用いられる素材の多様性や脆弱さではなく、古代の新プラトン主義にさかのぼり、ロマン主義に受け継がれた精神主義的な芸術概念、作品概念であることを指摘した。作品の物質性よりも作者の意図を重視する現代芸術作品の修復と保存には、介入の技術的な可能性の問題以前に、作者の意図を理論的・批評的に理解することが重要となる。こうした現状を踏まえ、パテッラ氏は、ウィリアム・ケントリッジの《勝利と哀悼》(2016年)をとりあげ、物質的な儚さを本質とし、非物質化へ向かうことに意義をもつ作品には介入しないという選択肢もありうることを示唆した。テヴェレ川の堤防の壁面を覆っていた汚れを落とすことで浮かびあがった全長500メートルにわたる巨大なドローイングは、ローマの光と影の歴史を表している。エフェメラルな素材を用いて身体の動きに依拠した伝統的な技法によって制作されたこの時間についての作品は、その有限性によって「永遠」と形容されるこの都市を流れる時間に参入する。ここではいかなる修復的な介入も、作者の意図を裏切って、作品を作品たらしめる特徴を損なうことになりかねない。

次に平芳幸浩氏は、建築家の設計意図と建造物の機能性の維持を重視する近代建築保存の議論を参照しつつ、《養老天命反転地》(1995年)をはじめとする荒川修作の後期作品が抱える保存上の問題点を浮き彫りにした。芸術と建築のあいだにある荒川の環境作品は、何をどのように修復するのか不透明な状況に置かれている。いずれに定義したとしても、作者の意図が保存と修復の方法を左右する鍵になるわけだが、荒川作品の修復と保存の難しさは実はこの点にこそある。身体の可能性を切り拓く人間の実験場として企図された《養老天命反転地》は、日常生活では経験しない傾斜や空間の歪みを体験せざるをえない空間である。言うなれば、この作品はけがをして当然の空間ではあるが、一方で岐阜県の条例のもとで運営される公園であるために、来園者に身体的な危険を喚起する警告が各所に掲示されている。また、作者の意図を尊重するならば、荒川が自身の作品の長期的な保存を望んでいなかったことも議論の対象となるだろう。作者の意図を尊重するという修復と保存の理念は、作者が狙った作品の状態を継続できないとき、さらには保存そのものを望まないとき、作者自身が大きな障壁として立ちはだかる。

続く桝田倫広氏は、同じく荒川修作の「棺桶」シリーズと呼ばれる初期作品から東京国立近代美術館所蔵品3点のX線撮影による調査結果を報告した。おもに1950年代末から1960年代前半に制作された「棺桶」シリーズは、蓋のある木製の箱のなかにセメントのオブジェが布に包まれるように置かれた作品群である。美術館収蔵の現代芸術作品は原則的に保存と修復、そして展示の対象となる。桝田氏は、作品の物質的変化を不可避的に誘発する展示と、作品の現状を留めようとする保存が本質的には二律背反的な営みであることを強調した。こうした保存と展示の関係を調停しうる修復が、作者の意図の理解にもとづくべきだとするならば、X線撮影調査を含め、作品構造や制作プロセスの研究が必要となる。だが、作者の意図はかならずしも現状の作品への処置を容易にするわけではない。桝田氏によると、「棺桶」シリーズは作品の現状に望ましい展示方法と、内部構造から把握される作者の展示意図が根本的に違うのだという。現状に即した展示方法は作者の意図に適っていないかもしれないが、制作当初に作者が意図した展示方法は作品の消滅を早めてしまうおそれもある。このように、作者の意図や作品それ自体をいかに評価し、定義するのかによって修復、保存、展示の方向性は大きく変わるのだ。

最後にパオロ・ダンジェロ氏は、イタリアにおける古典芸術修復の牽引者チェーザレ・ブランディの修復理論の射程を確認し、現代芸術への応用可能性とその限界について論じた。ブランディにとって修復が、作品の物質的な構造を忠実に遵守することではなく、可能なかぎりその外観を保護し、その美的価値を保全することであった。それゆえブランディは、修復士にたいして、たんに物質の経年変化に技術的に対処するだけではなく、その美的価値が何によって支えられているのかを見きわめる批評家であることを要請する。ダンジェロ氏によると、こうした観点は、作品を作品たらしめる特徴を見きわめることが不可欠な現代芸術の修復にもあてはまるという。とりわけ、展示や収蔵の環境を整えることで作品の変質を抑制する「予防的修復」というブランディの概念は、多様で脆弱な素材で制作されることが少なくない現代芸術にこそ有用である。もっともダンジェロ氏は、おもに過去の芸術作品を対象にしたブランディの修復理論すべてが現代芸術に適応可能としているわけではない。実際、作品における経年変化の痕跡を保全することで、修復の判別可能性と可逆性を尊重するブランディの態度は、少なからぬ現代芸術作品への修復介入と齟齬をきたすからだ。

本シンポジウムは、「現代芸術における保存と修復」というテーマについてなんらかの確定的な見解を導きだそうというものではない。このことにはきわめて自覚的な登壇者はいずれも、現代芸術作品の修復、保存、そして展示がまさにいま抱えている諸問題を提示し、その困難さを葛藤として引き受けることを我々に要請するものだった。

小松浩之

広報委員長:横山太郎
広報委員:江口正登、柿並良佑、利根川由奈、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2017年3月29日 発行