第11回研究発表集会報告

研究発表3 作品の生成・変容・受容

報告:阪本裕文

日時:2016年11月5日 13:30 - 15:30
場所:青山学院大学青山キャンパス17号館(17402教室)

サイ・トゥオンブリー論におけるロットノートのナラティヴの特異性
鈴木葉二(東京藝術大学)

演劇から映画へ──里見弴による演出をめぐって
宮本明子(東京工業大学)

白昼夢の建築──『全線』に見るソフホーズの形象とその分析
本田晃子(早稲田大学)

【司会】中村秀之(立教大学)


本パネルのタイトルは、「作品の生成・変容・受容」と題されており、ある対象が、本来はスタンダードな読み方とは見なされないような周縁的なコンテクストから読まれることによって、興味深い変容をみせるということを明らかにする、実践的なパネルだったといってよい。美術雑誌や展覧会カタログなどにおけるサイ・トゥオンブリーについての言説と、オークションカタログにおけるロットノート(買い手向けの解説文)。小津安二郎監督による『早春』(1956)と、里見弴が『早春』の台本に書き込んだ、大量の科白やト書きの修正。現実のソビエトにおけるソフホーズと、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督による『全線』(1929)において表れた、醒めない夢としてのソフホーズ。いずれの発表も、資料の精緻な読み込みと分析によって、このような実践をものにしており、私にとっては大変好感の持てるパネルだった。

第一発表は、鈴木葉二による「サイ・トゥオンブリー論におけるロットノートのナラティヴの特異性」である。アメリカ出身の画家であるサイ・トゥオンブリーは、高く評価されている画家であるが、抽象表現主義の第二世代という位置付けに回収できない作家であることからも明らかなように、ある種の説明のしにくさや、神秘性において評価が定着し、アートマーケットにおいても価値付けられてきた存在である。鈴木はまず、トゥオンブリーに関する言説史を概説し、トゥオンブリーが一つのナラティヴで語りにくい神秘性を持つがゆえに、論者各人の多様なナラティヴを浮かび上がらせてきたことを指摘する。そのうえで鈴木は、ロットノートにおいて、トゥオンブリーがどのように語られて来たのかについて着目する。鈴木によると、アートマーケットにおけるオークションカタログには、1990年前後からロットノートが付くようになり、トゥオンブリーについても、2000年頃から「ブラック・ボード・ペインティング」シリーズにロットノートが付くようになったという。また、ロットノートには、美術雑誌や展覧会カタログの評論に比べて顧みられることは多くないが、複数のナラティヴを取り込んで、ナラティヴの多様性を示すという特徴があるという。すなわち、ロットノートには先行言説に対する批判が存在せず、それは専門家による既存の見解をつなぎ合わせたものであり、取引の仲介者としての中立性を担保するものであるということだ。鈴木の指摘する通り、このような解釈なきロットノートのあり方は、例えばトゥオンブリーのような、複数のナラティヴにおいて語られてきた作家を論じるにあたっては、奇妙に高い親和性を発揮する。そのうえで鈴木は、ロットノートの無機的な語りには、言説の立ち位置の相対化が進む近年の状況において、多様な論点を内包するテクストとしての可能性があるのではないかと提起する。

第二発表は宮本明子による「演劇から映画へ──里見弴による演出をめぐって」である。作家である里見弴は小津安二郎と親交が深く、その作品は小津の映画の原作にもなっている。しかし、宮本の発表はさらに一歩踏み込んで、『早春』(1956)において、里見による台本への科白やト書きの修正書き込みが、最終的な映画の科白・演出に一部採用されていることを、具体的に明らかにするものだった。宮本は、鎌倉文学館の資料をもとに、里見が『早春』にどう関わったのかを分析してゆく。里見の手が入った台本には、おびただしい数の科白・ト書きの修正を認めることができる。まず科白についてであるが、宮本によると、実際に完成した映画の複数の箇所で、里見の修正が実際に採用されているという。その一方、ト書きについては、映画には一切採用されていないという。演劇と映画の違いも関わるが、この落差は確かに興味深いものである。そして宮本は、里見が関わることによって、小津の映画の何が変化したのかという点について、科白による描写の変化があったことを指摘し、これは小津の映画においてト書きと比較して科白が可変的であるということを意味するものであると説明する。

第三発表は本田晃子による「白昼夢の建築──『全線』に見るソフホーズの形象とその分析」である。本発表では、セルゲイ・エイゼンシュテインの『全線(古きものと新しきもの)』(1929)において、農婦マルファの夢のなかに表れるソフホーズが主題となる。本田によると、本作以前のエイゼンシュテインの作品は、革命の前史を描くため、場所の真実性を確保する必要があったという。しかし『全線』は、それらの作品とは異なり、セットによる虚構の空間が舞台になった。このような前提を説明した上で、本田は映像資料を用いながら分析を進める。まず、マルファの夢のなかには、雄牛、ミルクの雨、加工されてゆく食肉が次々と現れ、やがて巨大なセットとしてのソフホーズの建築物が登場する。そして、テロップによって、これが夢ではなく現実であることが告げられ、マルファはついに目醒めることなく映画は終わる。まず、ソフホーズについてであるが、本田によると、遅れた農村に突然あらわれるソフホーズの建築物の形象には、当時すでに存在した遺伝子研究所と、コルビジェの「住むための機械」という思想が影響を与えているという。次に「醒めない夢」についてであるが、本田はこの「醒めない夢」という構成が、後の社会主義リアリズムにおける、ある種のイデアリズム的側面を先取りしていたと指摘する。エイゼンシュテインは『戦艦ポチョムキン』(1925)の上映に際して、ラストシーンでスクリーンを突き破る演出を考えたが、本田によると、それはスクリーン内部の等価物(革命後の社会)がすでに現実に存在していたからこそ、可能になったのだと説明づけられる。これに対して『全線』においては、そのようなスクリーン内部の等価物(理想化されたソフホーズ)は、現実に存在しなかったのである。本田はこのような明快な対比を行ったうえで、「醒めない夢」が1930~1940年代の社会主義リアリズム映画のなかでも、時折見られるものであることを付け加える(例として、アレクサンドル・メドヴェトキン『新モスクワ』1938、グレゴリー・アレクサンドロフ『輝ける道』1940 などが挙げられた)。「現実をその革命的発展において、真実に、歴史的具体性を持って描くことを芸術家に要求する」という1934年のソビエト作家同盟第一回大会の決定は、社会主義リアリズムの公式といえるが、発展段階における典型を描くことは、不可避的にイデアリズム的側面を抱え込まざるを得ない。その一形態が「醒めない夢」として展開したということだろう。そして本田は、『全線』におけるソフホーズは、現実の等価物を持ち得ず、イリュージョンに終わってしまった。さらにマルファが目醒めないことによって、夢と現実の境界が曖昧化し、その後の社会主義リアリズムのイデアリズムをも先取りするものとなってしまったと結論する。

その後の全体討論は、やはり実践的な発表が揃っていたためか、個別の発表への質問というかたちで進んだ。もう少し「作品の生成・変容・受容」という流れに議論を持ち込むような発言があれば変わったかもしれないが、それは、個別の発表がそれぞれにおいて充実しており、聴衆の知的好奇心を強く惹起するものだったということだろう。

阪本裕文(稚内北星学園大学)


【パネル概要】

サイ・トゥオンブリー論におけるロットノートのナラティヴの特異性
鈴木葉二(東京藝術大学)

サイ・トゥオンブリー(1928-2011)は高く評価されるアーティストだが、抽象的な作風と作家自身の長い沈黙のために、その解釈については専門家の間でもしばしば「説明しがたい」などと言われ、美術批評上の位置づけは明快ではない。そのため、彼(あるいはその作品)を論じるにあたっては、論者はそれぞれ独自の観点を採らざるを得ず、結果として様々な方法論=ナラティヴが試みられている。

ロットノート(オークションカタログに掲載される作品解説文)は、この十数年ほどの間に目立って長文化してきた。商取引の媒介者としての立場上、オークションハウスは価値中立でいながら、かつ価格を肯定する必要がある。そのためロットノートは「無記名で」「専門家の見解に基づく」ことによって、主観性を排除した中立なナラティヴを確立しており、これを比較的新しい作品論の方法とみなすことができる(批評とは呼べないにせよ)。トゥオンブリーのように主観的に語らざるを得ない対象においては、ロットノートは単なる解説文というに留まらず、複数のナラティヴの無用な対立を無効化し、ひとつのナラティヴで多様な論点を語るテキストとして積極的に読まれることも可能である。例えば「ブラック・ボード・ペインティング」と呼ばれるシリーズは最も高額で落札されるが、これらの作品については、トゥオンブリーが古典文学や神話への大げさな傾倒をやめてミニマルなスタイルになったことを好感する評価が批評上の主流である。しかしロットノートにおいて複合的に示された論点を統合すると、むしろ時空間の表現におけるダ・ヴィンチやデュシャンへの接続など、他にも多岐に亘る要素が市場における高評価に繋がっていることが一望できる。

演劇から映画へ──里見弴による演出をめぐって
宮本明子(東京工業大学)

里見弴は、小津安二郎が親しくしていた作家のひとりとして知られる。演劇の脚本、演出も手掛けていためか、『戸田家の兄妹』(1941年)や『晩春』(1949年)では、演出の効果について具体的に意見を述べ、後に小津がその一部を作品に反映したことが指摘されている。『早春』(1956年)では、台本上の科白やト書きへの加筆修正の一部が、実際に映画に採用されていたことが明らかになった。

以上をみれば、里見は少なからず小津の映画に寄与していたといえる。しかし、その全貌は未だ明らかにされていない。本発表では、里見の寄与が、小津の映画の会話に指摘できることを、複数の資料から確認する。従来、小津の映画の台本は第一稿すなわち決定稿として知られてきた。替えられたとしても、誤字脱字や語尾の訂正にとどまるか、それに準じる微細な変更であるというものである。このうち、科白は、ある条件のもとでは大幅に変更されることさえある。その際に重視される可能性のあるものとして、『早春』の事例では、人物造形、語順が挙げられる。一方、同台本で里見が行ったト書きへの修正は、科白よりも詳細な言及であるにもかかわらず、映画に一切採用されていない。この背景には、人物の動きは「ト書きで説明する」という里見の演出方法との差異があるとみられる。

現時点では、里見による加筆修正の事例は、演劇台本の場合に限り認められる。それに対して、映画台本で里見はどのような演出を試みようとしたのか。新たに鎌倉文学館所蔵資料も対象として、里見の演出方法の実態を探る。

白昼夢の建築──『全線』に見るソフホーズの形象とその分析
本田晃子(早稲田大学)

セルゲイ・エイゼンシテインの『全線(古きものと新しきもの)』(1929年)は、それまでの彼の作品『ストライキ』(1924年)、『戦艦ポチョムキン』(1925年)、『十月』(1927年)とは、幾つかの点で大きく異なっていた。本報告は、これらの相違の中でも特に背景となる建築空間に注目する。革命の前史を描いたそれまでの作品では、実際に事件の起きた場所で撮影することが物語の「真正さ」を担保する上で不可欠であったのに対し、現在と未来の農村を描く『全線』では、場所の具体性は重視されず、さらに終盤ではソフホーズの巨大なセット、つまり虚構の空間が主要な舞台となった。一体なぜ、何が彼にこのような転換を促したのか。

『全線』のソフホーズの場合、そのイメージの源泉のひとつとなったのが、同時期のル・コルビュジエの住宅群だった。エイゼンシテインはロシア構成主義の建築家アンドレイ・ブーロフをセットの設計者に抜擢し、ル・コルビュジエの「住むための機械」を、文字通り機械化されたソフホーズへと翻案させる。書割ではない実物大のソフホーズを背景に用いることで、スクリーン上のイメージが母型となり、同様の、しかし現実のソフホーズがスクリーンの外部に出現することを、エイゼンシテインは期待していたのである。

本報告では、このように『全線』のソフホーズの形象について、とりわけそれが占める虚構と現実、夢と現実の間の曖昧な位置について論じる。

広報委員長:横山太郎
広報委員:江口正登、柿並良佑、利根川由奈、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2017年3月29日 発行