翻訳

田中純(訳)

サイモン・クリッチリー(著)

ボウイ その生と死に

新曜社
2017年12月
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本書は哲学者によるデヴィッド・ボウイ論の翻訳である。ただしそれは、12歳でボウイの映像と音楽に出会ったときの性的な初体験に似た衝撃に始まり、著者の母の死と時期的にちょうど隣接したボウイの死をめぐる思索にいたるまで、著者であるクリッチリー自身のきわめてパーソナルな経験を主軸に綴られている。しかし他方では、ボウイの歌詞に頻出する「無(nothing)」という概念の考察や、ボウイのアートを「非本来的(inauthentic)」なものと規定する点など、この哲学者のハイデガー論やデリダ論などと共振する部分も多く、著者の哲学のエッセンスを凝縮した内容にもなっている。

訳出にあたっては、Nothing remainsを「何も残らない〔=無が残る〕」と表わしたように、ボウイの歌詞にあってはnothingを筆頭とする否定的表現が同時に肯定の意味を強くもつという両義性に注目している本書の論旨を、日本語の訳文で直接伝えることに腐心した。また、ボウイの声をテクスト内に響かせようと、歌詞の翻訳にルビを多用することもあえて行なっている。本書のために訳者が作成したSpotifyプレイリストを聴きながら、この多声的な構造を体験していただきたい。

(田中純)

広報委員長:横山太郎
広報委員:柿並良佑、白井史人、利根川由奈、原瑠璃彦、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2018年6月22日 発行