第12回大会報告

パネル8 荒川修作+マドリン・ギンズ ──22世紀の身体論にむけて

報告:平倉圭

日時:2017年7月2日(日)14:00-16:00
場所:前橋市中央公民館5階501学習室

・荒川+ギンズと体験過程理論──意味創造の基盤について/三村尚彦(関西大学)
・22世紀の身体論 荒川+ギンズとともに──受容し変化する能力としての主体性/染谷昌義(高千穂大学)
・切り閉じという技術──荒川・ギンズの手続き的知の試み/稲垣諭(東洋大学)

【コメンテーター】小林康夫(青山学院大学)
【司会】門林岳史(関西大学)


荒川修作とマドリン・ギンズの実践が、主に理論的観点から考察された。関西大学東西学術研究所身体論研究班(荒川+ギンズ『建築する身体』をめぐる考察)メンバーによる発表だ。

最初の発表者、三村尚彦氏は、アメリカの心理学者ユージン・ジェンドリンが提唱した体験過程理論と荒川+ギンズの思想とのあいだに同種の構造を指摘した。身体的に感じられる前概念的な意味としての「フェルトセンス」にフォーカスすることを重視するジェンドリンは、言葉を越える多様で流動的な身体感覚から私たちがたえず「生成」し続けていることを論じた。三村氏はこの考えと荒川+ギンズの「ランディング・サイト」という生成的な世界モデルとの類似を示唆する。ジェンドリンは実際、2013年に荒川+ギンズを生成の観点(inging)から論じたが、三村氏によれば、現在整理中の荒川+ギンズのアーカイヴ資料には、ギンズらがジェンドリンの諸論文をかなり細かく読み、さらにそれについて論文を準備していた跡があった。現実に影響関係があったのだ。ここから荒川+ギンズの思想の解明が進むことが期待される。

二人目の発表は染谷昌義氏。染谷氏は、人工的に改変された環境を用いて有機体-人間を作り変えるという荒川+ギンズの「建築的身体」のアイディアに触発されつつ、これまで十分に展開されていない哲学的身体論の新たな可能性を示す。染谷氏は近代以降の代表的な哲学的身体論(機械的/有機的/現象学的/構造主義的/多様な文脈への埋め込み・拡張)を踏まえた上で、アンダーグラウンドな系譜として、被作用性・感受性・受容性・受動性に注目する身体/魂論をアリストテレスに遡って取り出す。「動かす」ものは環境であり、生命は周囲の潜在性を受容し受動的に「動かされる」。ここから荒川+ギンズにも通じる、生物を変容させる建築的環境の設計というアイディアが導かれるが、最後に染谷氏は、このアイディアは環境操作による人間の標準化・画一化の危険にも開かれていることを指摘した。

三人目は稲垣諭氏。稲垣氏は、荒川修作および舞踏家の笠井叡の発言を引きつつ「「身体の形成」を本気で受け止める」という課題を設定する。それは笠井の舞踏において身体が内的に自らを超え出てしまうこと、また荒川の建築において外部の環境制御によって身体が構成され直すことを、私達の身体に生じうる現実的可能性として捉えることだが、そこでは、運動能力の新たな形成が極端に「時間がかかる」ことが問題化する。稲垣氏は、特に人間の身体がいちど壊れた後にそれを変容・再構成することの難しさを、半側空間無視・バリント症候群・片麻痺等のリハビリテーション臨床の事例を紹介しつつ、身体・空間への定位(ランディング)が失われている場合に調整の手がかりを見つけることの困難として論じた。そこから、身体の現実的変容には荒川的な外的環境制御だけでなく、舞踏に通じる内的・現象学的経験も手がかりとした個別的な見極めが必要であることが主張された。

長く荒川との対話を続けてきた小林康夫氏は、コメンテーターとして、荒川+ギンズの建築的実践には反転された形での「隠された形而上学」があったのではないかという問いを発した。この問いを引き受けつつ、ディスカッションでは、「ジェンドリン/荒川+ギンズにおける「意味」の意味は何か」・「身体の受動性の背後には主体が保存されているのではないか」・「ランディングは臨床における認知・感覚に還元されうるのか」・「フレキシビリティの全面化は現在の資本主義が求めるものと同一ではないか」・「受動性から自然史を切断する契機は生まれるのか」等の点が議論された。

私自身のコメントは2つ。

荒川+ギンズの言葉を、具体的な物的構成から切り離された思想として扱うことはできるのだろうか。荒川+ギンズは強力で魅力的な理論を言葉で展開した。しかしその「理論」と、彼らの建築的物体が実際におこなっていることの間には差異がある。今回のパネルは、主に荒川+ギンズの言葉に注目してその理論的可能性を引き継ぎ、批判的に展開しようとするものであったが、具体的な物的構成そのものの分析も同時に必要であるように思われた。ただこれは芸術学を専門とする筆者の関心である。

もう一つは、学問に根ざしつつも(ex.心理学の重視)学問の「他者」として現れる(ex.「天命反転」)荒川+ギンズの理論と実践を、学問の場でどう扱うことができるかについてだ。今回のパネルでは、小林氏からの事前挑発も受けつつ、学会の形式性を回避し、荒川+ギンズの仕事の意味を各自が主体的に受け止める即興的な発表形態が部分的に試みられたが、そのことでかえって、各自の私性への刻印を通して、他者である荒川の「カリスマ」が強調されてしまうようにも思われた。

これらのことはしかし、既存のカテゴリーを大きく超える荒川+ギンズの仕事じたいに由来する困難だろう。ここからさらにラディカルな身体/論研究が盛り上がることに期待したい。

平倉圭(横浜国立大学)


パネル概要

『養老天命反転地』『三鷹天命反転住宅』などの作品で知られる現代美術家の荒川修作+詩人のマドリン・ギンズは、その一連の芸術創作活動から、最終的に「建築する身体」「天命反転」という思想を「建築」によって表現し、自らを芸術・科学・哲学を総合する“コーデノロジストCoordinologist”と称するようになった。それゆえ、彼らの思想や創作活動に関しては、学際的な研究が必然的に求められている。

本パネルでは、荒川+ギンズが「建築する身体」という概念(およびArchitectural bodyという著書)をとおして提唱した思想がもつ可能性について、「22世紀の身体論」として3人のパネリストがそれぞれの専門領域から提題する。

三村は、フォーカシング指向心理療法を提唱したことで著名なアメリカの臨床心理学者Eugene Gendlinの荒川+ギンズ論を手がかりにして、新しい意味や価値を生み出す基盤としての身体について論じる。染谷は、荒川+ギンズ「建築する身体」が目論むいわゆる「反転」の内実を、能動と受動の転換という視点から捉えようと試みる。稲垣は、認識の再編および脳の可塑性にもとづく身体の快復と、荒川+ギンズの試みを対照して、彼らによる経験改変の手続きについて考察する。

荒川+ギンズに関するこうした解釈の試みをとおして、未だ出来していないが待望される(死なない?)有機体-身体論を、「22世紀の身体論」として、思想の力を駆使して描き出す冒険に乗り出してみたい。

荒川+ギンズと体験過程理論─意味創造の基盤について
三村尚彦(関西大学)

荒川+ギンズは、一貫して「意味」を問うていたと捉えることができると思われる。『意味のメカニズム』(1971/1979)は、そのタイトルが暗示しているように、意味の生成、意味と無意味の境界に関わるものであるが、彼らの図式絵画、インスタレーション作品、建築もまた「意味」を問題にしていた。その際、彼らが依拠したのは、「身体」であった。日常的に慣れ親しんだ身体の感覚を揺さぶり、違和感を引き起こすことによって、自明と見なされる「環境」「人間」「生・死」といった事象の意味を問い直し、「天命反転」「人は死ななくなる」という主張を展開したのである。

荒川+ギンズにとって、身体は新しい意味を創造する媒体であり、かつまた主体であると言えよう。しかし、身体はいかにして新しい意味や価値を創造するのであろうか。この問題に取り組んだ心理学者として、Eugene Gendlinの名前が挙げられる。ジェンドリンは、言葉に先立って感じられている身体的なフェルトセンスfelt senseこそが、新しい意味を創造するという体験過程理論を唱え、フォーカシング指向心理療法を開発した。さらにジェンドリンは荒川+ギンズ論を執筆し、フェルトセンスと「建築する身体」の類似性を指摘している。

本提題は、ジェンドリンの体験過程理論と荒川+ギンズ論をふまえながら、意味創造の基盤として機能する身体について考えていく。

22世紀の身体論 荒川+ギンズとともに─受容し変化する能力としての主体性
染谷昌義(高千穂大学)

アラカワ+ギンズの「建築する身体」が前提とする生命観と主体性の考え方が目論む転換は、主体性・生命・心のはたらきにおける能動/受動の転換である、このことを示してみたい。

心のはたらきが内的で能動的であるという見方は、近代以降、現代まで、わたしたちを捕えて離さない。たとえば心の科学では、知覚経験の成立には、身体的な水準で外界から刺激を受動的に感受するだけでなく、脳や神経の能動的はたらきかけが不可欠とされる。

ここで主体性のベクトルを逆立ちさせてみよう。心のはたらきは、むしろ外的世界から与えられるものをその能力に応じて受容し、世界のあり方に寄り添うように自らを変化させることだと。進化・発達・学習とは、世界に合わせて有機体の形態と行動が不断に変化する歴史のことだ。生命は、環境の多様性に対して変化と変異で対処した。心のはたらきも生命現象の一種である限り、受動性を本性とするとは考えられる。

さらに生命は、自らの周囲を作り変えることによって自らを作り変えてきた。人類が、技術・建築・アートによって環境に介入し変形することは、環境を受容する有機体の変化を結果するからだ。「建築する身体」の背後には、この受動し受容し変化すること自体を有機体のもつ能力の発現であり発揮であるとする主体性観がある。

切り閉じという技術─荒川・ギンズの手続き的知の試み
稲垣諭(東洋大学)

人間はそうやすやすと変化しない。進化史からみた10万年程度の種の持続は、新たな種を生み出すには短すぎる。道具、言語、農業の発明が、人間の文化水準を極度に切り上げ、生活様式を変えたのは確かである。フーコーは19世紀に有限な人間という概念が言説ネットワーク内で組織され、人間の認識の再編が行われたという。クレーリーはその19世紀初頭に、カメラ・オブスキュラからステレオスコープへと技術水準が変化したことで視知覚の特権性が非連続的に高まったという。とはいえ、たかだか数世紀という歴史の中で、人間は根本的な変化を経たといえるのか。

他方、人間の脳の一部が壊れた場合、現代の科学技術でも復元することはほとんど無理である。リスザルであれば、リハビリを行うことで人間以上の回復力を示す。裏返せば、人間の脳はあまりに複雑な神経ネットワークを形成するため、可塑性の度合いが少なく脆弱さを抱えているともいえる。この治癒という変化における脆弱さは、克服できるものなのか。

これら2つの課題に取り組み、有機体としての人間を更新し、「死なない存在」へと転換しようと試みたのが荒川修作+マドリン・ギンズである。A/Gは、肉体をもつ人間を「クリーヴィング」、「ランディング・サイト」といった概念群を用いながら建築作品の中で改変することを実行しようとした。本発表では、A/Gによる人間という経験の局面を変える手続きについて論じてみたい。

広報委員長:横山太郎
広報委員:江口正登、柿並良佑、利根川由奈、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2017年11月11日 発行