単著

髙山花子

鳥の歌、テクストの森

春秋社
2022年7月

声や歌、音響をめぐる思想史、表象文化論を専門とする著者二冊目の単著である。大江健三郎、石牟礼道子、泉鏡花、武満徹、オリヴィエ・メシアン、そしてモーリス・ブランショにそれぞれ一章が割かれ、芸術家や思想家が鳥の歌になにを聴き、その姿形や声をどのようにテクストに書き残したかが検討される。文学と音楽、思想といった諸領域を横断する本書は、各節・各章の内容が多孔質的に相互浸透する作りになっており、読者はそこに思わぬ連関を発見する作業を楽しむことができる。

本書における著者の眼差しは、まずなにより日常性に向けられているように映る。大江論では超越的・SF的な終末や救済のヴィジョンよりも、鳥の鳴き声をめぐり作家と息子とのあいだに積み上がる日々の祈りと待機の時間性が強調され、石牟礼作品に現れる「鳴かない鳥」は声を奪われているというその事実を通じて日常の暮らしの尊さを照射する。怪異譚や幻想譚で知られる鏡花作品にしても、著者はむしろ生活風景のなかに訪れる鳥たちをめぐる筆致の方にこそ注意を促すし、敬虔なカトリック教徒であるメシアンの創作については、鳥の歌の宗教的・象徴的な意味ではなく、そのさえずりをリアリスティックに採譜する作曲家の営みが論じられる。このように、著者はこちら側の世界にたしかに存在する、日常風景のなかの鳥たちの存在、それらと芸術家との関係性に目を向け、耳を澄ます。その上で、それと同時に、此岸と彼岸、日常と非日常を往還する鳥たちの様相、そして二項の境界の線引きを曖昧にしてゆく鳥たちの歌というものが論じられる。後者の例を挙げるならば、武満やメシアンをめぐる章では、自然のざわめきやノイズとしての鳥のさえずりと楽音とのあいだの境界が問題にされ、鏡花やブランショをめぐる章では、人の声と鳥の歌のあいだに不可識別ともいえる領域が立ち上げられる。

以上はラフスケッチに過ぎないが、今後、本書は「鳥の歌」というこの魅力的なテーマをめぐる更なる考察のひとつの起点・参照点となるはずだ。試みにメシアンをめぐる第5章だけをとってみても、幾つかの問いが喚起される。たとえば、メシアンが鳥の声を克明に採譜し始めたのは1950年代に入ってからだが、そのリアリズム的な態度を《世の終わりのための四重奏曲》(1940)や《アーメンの幻影》(1943)といったそれ以前の作品に遡及的に適応することは可能なのか。あるいは『音楽言語の技法』(1944)の「序文」だけから、信仰を語ることと技法を語ることのあいだでのアンビバレンスを抽出することについてはどうか。「序文」に続く第1章冒頭でメシアンはすぐさま自らのリズム語法や移高の限られた旋法が持つ「不可能性」への魅力を宗教的感情と結びつけてみせるがこのことも踏まえたとき、著者の言う「技法」としての「鳥のさえずり」はどのように位置付けられるのか、などなど。本書を手に取るものは、そこに様々に展開できる魅力的なトピックを発見するだろう。

(原塁)

広報委員長:増田展大
広報委員:岡本佳子、髙山花子、福田安佐子、堀切克洋、角尾宣信、居村匠
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2023年2月22日 発行