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EAAオンラインワークショップ 石牟礼道子と世界を漂浪(され)く

報告:髙山花子

日時:2020年11月21日(土)14:00-18:00(日本時間)
主催:東アジア藝文書院(EAA)
使用言語:日本語

第1部
14:00-14:10 開会の挨拶:髙山花子(EAA特任研究員)・宇野瑞木(EAA特任研究員)
14:10-14:50 基調講演:宮本久雄(東京大学名誉教授)「アニマへの旅──本願の会とハン(晴恨)」
14:50-15:10 討論

第2部
15:30-15:50 発表1:宮田晃碩(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
「亀裂としての言葉──『苦海浄土』と『椿の海の記』をめぐる言葉の主体性と共同性への問い」
15:50-16:10 発表2:建部良平(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
「「苦海浄土」と共に──狂いと救い、そして笑い」
16:10-16:30 発表3:佐藤麻貴(東京大学連携研究機構HMC)
「もの語るということ──主観と客観のはざま」
16:45-17:55 コメント・質疑応答・討論
18:00 閉会の挨拶:石井剛(EAA副院長)

コメンテーター:張政遠(東京大学大学院総合文化研究科)
司会:鈴木将久(東京大学大学院人文社会系研究科)

詳細は以下のURLをご覧ください。
https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/ja/2020/10/26/3939/


2020年6月以来、報告者が所属している東京大学東アジア藝文書院(EAA)では、世界文学ユニットのメンバーを中心に、石牟礼道子を読む会を隔週でつづけている。本稿を書いている2021年1月時点で、立ち上げから、およそ7ヶ月が経った。『苦海浄土』第3部までを読み終わり、関連する土本典昭の記録映画『水俣──患者さんとその世界』(1971年公開)の鑑賞会を経て、これから『流民の都』(1973年)をはじめとする別作品を読み始めよう、というところである。はじめは、2、3人の小さな集まりを想定していたが、思いがけず、すでに石牟礼を読み込んでいたり、読みたいと思っていたりする研究者がEAA内外の各方面から集まり、10人に満たない小規模ではあるが、毎回、関連文献を用意してテクストについて報告を行い、意見交換を2時間前後行う、静かながらも熱気のある会として継続している。クローズドの会であるため、もともと経過報告としてワークショップ開催を予定しており、その第1回「石牟礼道子の世界を開く」を2020年9月4日(金)にZoomウェビナーを利用して開催し(宮田晃碩氏による詳細な報告文がある:https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2020-3539/)、その後、『苦海浄土』第2部、第3部を読み始めたところで、哲学、思想系の若い読書会メンバーを中心とする2回目の経過報告の企画が動き出し、実現したのが、2020年11月21日(土)に開催されたEAAオンラインワークショップ「石牟礼道子と世界を漂浪(され)く」である(拙文だが、個々の発表についての詳細はこちらからご覧いただければ幸いである:https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/ishimure-201121/)。第1回が『苦海浄土』第1部や『あやとりの記』を中心とするテクスト分析にもとづいた石牟礼文学の世界の拡がりを問うものだったとすれば、第2回のこの集まりは、言葉そのものとわたしたち人間がどのように関わることができるのか、あるいはできないのか、科学的言説や法制度、理性的言語や概念言語では組み尽くされない「余剰」とでも呼ぶべきものと、いまここでどう向き合うことができるのか、新型コロナウィルス感染症の拡大する状況の中で、議論される場になったと言えるだろう。そこまで多くの聴衆が集まったわけではないが、対面での集まりが簡単ではないなかで、ウェブ主体で読書会をつづけ、その報告を外に向けて開き、言葉を交わす、というリズムを刻む試みとしては、貴重な機会になったのではないかと思う。純粋になにかを読み、言葉を交換し、ほかの人の考えを聞きたい、というささやかな想いが、こうした形で結実したのは、企画者にとっても、思いがけないことであった。第1回、第2回のワークショップの記録は近いうちにささやかながら論集として公にするべく準備を進めている。石牟礼道子を読む会そのものも継続予定なので、もしも読書会に興味のある学会員の方がいらっしゃれば、専門外の者たちの集まりで恐縮ではあるが、コンタクトをいただければ、と思う。

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広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2021年3月7日 発行