翻訳

ボヤン・マンチェフ(著)、横田祐美子井岡詩子(訳)

世界の他化 ラディカルな美学のために

法政大学出版局
2020年10月
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バタイユから出発して、バタイユとともに思考する。

それによって著者自身の哲学とバタイユ思想の新たな解釈を提示した本書は、訳者あとがきで触れた脱構築思想との関係や「アリストテレス左派」としての哲学的なバタイユ読解以外にも様々な展開可能性を有している。

ここでそのひとつを紹介すると、原著の刊行から10年ほど後に書かれた日本語版への序文では、「オブジェクト指向哲学」や「思弁的実在論」といった日本でも注目されている潮流との関係が指摘されている。それらとは対照的な部分があると留保しつつも、マンチェフは「オブジェクト指向哲学」や「思弁的実在論」の台頭以前から、自身もまたブリュノ・ラトゥールらと同様に「オブジェクト」や「モノ」について問うてきたのだと主張する。

たしかに本書では、実体としての主体とは明確に異なる「主体としての‐物質」が議論の俎上に載せられており、「モノ」とその欲望が他化(アルテラシオン)の運動の中心をなしている。それは人間を特権視せず、人間以外の「モノ」も含めたうえで、絶えず「他となる」運動の主体を論じる態度である。その意味で、トリスタン・ガルシアがラトゥールに対して述べた「存在論的な鷹揚さ」をここに見て取ることもできるだろう。

興味深いのは、『エロティシズム』や『宗教の理論』などで明らかに人間と動物を区別しているように見えるバタイユの思想もまた、これらの潮流と間接的に結びつけられている点である。バタイユを思考の同伴者とするマンチェフは、いったいバタイユのどこにそのような読解の糸口を見出したのか。『ドキュマン』だろうか。

私たちの思考を駆動させる多くの問いを提起する本書に、ぜひ触れてみてほしい。

(横田祐美子)

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2021年3月7日 発行