オンライン研究フォーラム2

ワークショップ 戯曲音読ワークショップ『グロい十人の女』を読む

報告:福田安佐子

日時:2020年12月19日(土)17:30 - 20:30

【司会】北村紗衣(武蔵大学)


本ワークショップ「戯曲音読ワークショップ『グロい十人の女』を読む」は、第二回オンライン研究フォーラムの初日夕刻に開催された。

前回の第一回オンライン研究フォーラムが開催された八月から半年ほどのあいだ、様々なイベントがオンラインを介したものとなり、試行錯誤が繰り返されてきた。また各種学会もオンラインでの開催が常態化した。オンラインでの発表や配信を一方通行的に視聴するという方法には、多くの人が物珍しさよりも、慣れを感じ始めた頃合いだろう。一方で、双方向的なやりとりを前提とするイベントは未だ多く存在しているわけではない。このような状況において、戯曲音読ワークショップの意味合いは大きいだろう。

ワークショプは以下の手順で進められた。まず物語全体を五幕にわり、参加希望者の中から役が割り振られ、役の担当は幕が変わるごとに交代した。また、参加者には作品が所収されている書籍を事前に入手することが前提とされつつも、共有画面にも戯曲の台本が提示され、物語の進行とともに緩やかページが繰られた。また前回に引き続きコメント欄も活用され、台詞についての詳細なツッコミや、それを受けての検索結果、個々の感想などが並行して流れた。

今回もちいられた戯曲『グロい十人の女』(王谷晶、2014)は、様々な女性が登場し、それぞれの出会いと活躍を通じて関係性が変化し成長する「ガールミーツガール」ものである。ただし本作では、舞台となったスーパーマーケットに、突如ゾンビが登場するという特殊なファンタジーもが組み込まれていた。

前回用いられたテクスト、ベン・ジョンソン『錬金術師』 (1610)では、疫病流行を背景に暗躍する詐欺師たちがテーマとなっていた。今回も引き続き、疫病、感染をキーワードとしながらも、「ゾンビ」という、現代を舞台にし、非日常感も増した題材が選ばれた。そもそも「ゾンビ」なるものは、とりわけ60年代以降には噛みつくことによって増殖するという特徴から、血液や体液を介した感染症を連想させ、エイズやエボラウイルスの比喩として使用されてきた。だが、同じ「感染」という共通項を持ちながらも、現在の「コロナ」的状況において散見され、より多くの人々に強い印象を残したのは、「感染」という事象が与える直接的な恐怖というよりはむしろ、食料やトイレットペーパーの入手が困難になるかもしれない、といった「デマ」を真に受けた人々がスーパーや薬局に殺到する様子や、人がいなくなった都心部の映像など、感染の周縁にある人々の反応であった。つまりは「生きた人間が一番怖い」という紋切り型を現実において再確認するという状況である。

本戯曲は、ゾンビ作品をメタ的に取り扱いつつも、過去に起きた何らかの感染症のメタファーとしてではなく、3.11という出来事と、それに関連したメディアの反応を中心的なテーマとして据えていた。つまりは東日本大震災以降に見られた「絆」の称揚である。ただし本作では、「絆」や繋がりの強調は、かなり執拗に繰り返されることで皮肉に響いていた。当時、「絆」や「人々の繋がり」といったポジティブな言葉は、出来事から距離がある場所から連呼され、連帯感を鼓舞していたが、実際の被災地においてはその大手メディアにありがちの、東京中心主義的な、無責任であるがゆえのポジティブさに対し、一部では批判や拒否感が起こっていた。

現在のコロナ禍において、メディアにおける偏向報道はいうまでもなく問題視されていたが、一方で我々全員が多かれ少なかれ当事者であり、ゆえに誰もがただポジティブなだけではいられなかった。さらには、「人と人との繋がり」や「親密さ」といったものの反作用、つまりこれまでは大切にされてきたはずのものの別の顔が露わになった。つまり、「ソーシャルディスタンス」や「濃厚接触」という言葉に見られるように、距離の近さがむしろ忌避すべきもの、病のリスクを高めるものとなる、という認識である。または「連帯」や「公共性」が自粛警察やマスク着用をめぐる同調圧力といったものに簡単に翻ってしまうことへの気づきである。

しかしながら、その距離についての新たな身体感覚について、両極端な結果をアファーマティヴに受容し、可能性を見出すことこそ、人文諸科学の使命であり、芸術の社会的意義であろう。この戯曲朗読イベントにおいてもその一端が垣間見えた。すなわち、 オンラインにおいて開かれたイベントとなることで、移動や時間の制約がなくなったことはもちろん、研究者以外の参加者を多く集めることが可能となった。実際、本ワークショップの参加者は多種多様であり、学会の垣根を超えた人々が集まった。またzoomを使用したイベントにおいて慣例となった司会者以外全員画面オフという状況も、戯曲の朗読というイベントにおいては、むしろプラスに働いていた。声だけという情報が限られた状況おいて、その演技に集中することが可能となり、また、先ほど違う役を演じていたはずの声が、役の交代によって全く異なる声色に響くことに気づく。役と声が次々と変わる中で、ただ筋を追うのではなく、その場面における登場人物の感情についての理解が深まるよう仕向けられているのかと思うほどであった。

顔や身体を感じられないが、画面だけに名前が出ている状態、そのたくさんの名前の羅列──それは、理性や名を失いただ肉体の物理性だけになったゾンビとある意味で対極の存在かもしれない──だけのイベント、オンライン学会が常態化した現在において、その虚空について別の仕方で再考する機会となるイベントであった。


パネル概要

本ワークショップではZoomを用い、参加者全員で役柄を振り分けて戯曲を最初から最後まで音読する。複数人が集まって戯曲の音読を行うというイベントは以前から演劇好きの間で広く行われており、実際に音読をすることで登場人物の性格や演出を考えやすくなるため戯曲の理解が深まるということで、演劇に関する教育的なイベントとして人気を博してきた。新型コロナウイルス流行以降はZoomなどを用いた音読会も盛んに行われている。表象文化論学会の第1回オンライン研究フォーラムでもベン・ジョンソン『錬金術師』の音読イベントを行い、比較的好評であった。現在も感染症の流行に終わりの兆しが見えず、舞台上演が中止・延期されたり、配信のみになったりするなど、舞台芸術は厳しい状況に置かれている。こうした状況を鑑み、演劇文化と演劇研究の活力維持にわずかでも貢献すべく、戯曲音読ワークショップを2回目のオンライン研究フォーラムでも実施する。

第1回ワークショップでは感染症が流行している状況をふまえ、疫病流行下の近世ロンドンを描いた17世紀の芝居である『錬金術師』をとりあげた。第2回ワークショップでは日本の戯曲で比較的新しいものをとりあげることとし、ゾンビ禍を描いた2018年の日本の戯曲である王谷晶『グロ十人の女』を音読することとする。テクストについては『完璧じゃない、あたしたち』(ポプラ文庫、2019年)に収録されたものを使用する。

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2021年3月7日 発行