トピックス

講演 小田原のどか 日本近代彫刻史に見る「装飾」

報告:鯖江秀樹

IMG_3835 2.JPG

開催日時:1月19日14:00~16:00
場所:京都精華大学友愛館Y-005 

登壇者:
蘆田裕史(京都精華大学ポピュラー・カルチャー学部講師)
鯖江秀樹(京都精華大学芸術学部准教授)
筧菜奈子(京都精華大学非常勤講師)
原山都和丹(京都精華大学ポピュラー・カルチャー学部助手)

小田原のどか ODAWARA Nodoka
1985年宮城県生まれ、東京都在住。彫刻家。彫刻・銅像・記念碑研究。博士(芸術学)。版元運営。最近の論文に「長崎・爆心地の矢印:矢形標柱はなにを示したか」(『セミオトポス12』所収)。近著に『彫刻 SCULPTURE1』、『彫刻の問題』(白川昌生、金井直との共著)、共編に『原爆後の七〇年:長崎の記憶と記録を掘り起こす』。主な受賞に、アロットメントトラベルアワード2018、群馬青年ビエンナーレ2015優秀賞、第12回岡本太郎現代芸術賞入選。主宰する版元から2020年にロザリンド・クラウス『Passages in Modern Sculpture』の邦訳を刊行予定(翻訳:中野勉)。

主催:公募研究プロジェクト「装飾に関する総合的研究」(代表:蘆田裕史)


本講演は、京都精華大学萌芽的研究助成「装飾に関する総合的研究」(代表:蘆田裕史)の主催で開催された。当日は小規模な会になったが、だからこそ充実した議論が展開された。現役アーティストである小田原自身の作品に関する質疑応答や、装飾という概念そのものをめぐる研究会メンバーとの討議も白熱した(個人的に強く印象に残ったのは、講演後、若い学生に耳を傾け、熱心にアドバイスを送る小田原の姿である)が、ここでは、本題である講演「日本近代彫刻史に見る「装飾」」に絞って報告する。

冒頭、スライドにはジュネーヴ近郊の倉庫群が映し出された。そこはフリーポート(美術品の租税回避地)であり、100万点以上の作品が収蔵され、そのなかには一度も人目に晒されることなく売買が繰り返される作品が多くあるという。高騰するアートマーケット、そして投機対象と化した美術品を象徴するこの場は、いわば究極のホワイトキューブではないか。開口がなく、誰も入れないが、作品だけがある「閉ざされた箱」。

この苛烈なイメージを印象づけられた後、議論はふたつの問題系に沿って展開された。ひとつはコンテクストの「失効」をめぐる問題、もうひとつは彫刻とその台座(ないしは支持体)のあいだにある空間的コンテクストの問題である。

第一の問いの検討にあたって、例証されたのは京都川端三条の《高山彦九郎像》である。その姿勢から「土下座像」と通称されるこの像は、明治天皇の住まう京都御所に向かって敬礼する座像である。「竜顔」という語が象徴するように、天皇の姿を直接仰ぎ見ることは許されていなかった。仮にそうすれば「眼が潰れる」──。高村光太郎や吉本隆明の言葉を引きつつ、小田原が指摘するのは、「礼拝の姿」であった高山像を「土下座」と誤解させてしまう時間経過の問題である。公共彫刻のもつ意味は、およそ100年程度で消失する。彫刻にはいわば、「賞味期限」があるというのだ。このことと、ここ数年の慰安婦像や《サン・チャイルド》をめぐる問題は実は深く連動している。論争や分断の火種になるそれら像は、むしろ美術館に設置すべきではないか──それを容認する声が根強いのは、「ホワイトキューブ」という制度が、国民国家(ネイション)をめぐる歴史や記憶のコンテクストを、冷凍保存のごとく安定させてくれるからだろう。たしかに、そうすることで彫刻は、誤解や撤去、破壊のリスクを回避できる。しかしそれでは(フリーポートと同様)、本来的な観客=公共性が彫刻から剥奪されることになる。

彫像をめぐるこの袋小路は、次の問いへと接続される。それは、元々の設置場所からはぎ取られること、すなわち「彫刻の自律化」という問いである。工部美術学校の創立(1876)を嚆矢とする日本の彫刻教育は、西洋式建築の細部意匠、あるいは都市に近代的な装いを与える技術の養成を目的とした。つまり、確たる支持体=台座に付随する装飾部の加工技術として展開したのである。この事実確認を受けて、次にロザリンド・クラウスの議論が援用された。たとえばロダンの《地獄の門》。その一部であった《考える人》が、一個の独立した作品として自律的な価値を帯びたように、彫刻は次第に、それが置かれていた固有の場から解放されることになる。彫刻の自律化をめぐるこの代表的な近代史観に対して、小田原は日本彫刻史の忘れられた細部をもって応答を試みた。

紹介されたのは、理化学研究所の科学者木村一治(1908-1996)の日誌(『木村一治日記 ヒロシマ・長崎の原爆調査の記 1945年4月16日〜10月10日』、私家版、1998年)である(一部抜粋は以下のサイトを参照 http://www.odawaranodoka.com/nowaki.html)。そこには、長崎の爆心地点の測定調査に赴いた際、同僚のひとりが、崩壊した浦上天主堂で「柱の上部にありし天使の彫刻をレンガにて叩き破り取った」と記されている。明治期の教会建築を代表するこの聖堂から、近代日本の彫刻教育の具体的成果物、すなわち装飾としての天使像の一部が「記念物として」ひとりの科学者に持ち去られる――この交錯した生々しいイメージをもとに、小田原は、この天使の欠片こそが、「日本独自の彫刻の自律」ではないかという解釈を呈示した。

独自の調査に基づく充実した資料を開示しながら、彫刻の知られざる実像を検討するなかで、小田原は幾度か、自身の解釈はいまだ「見立て」の段階にあると打ち明けた。そのことが示すのは、彫刻をめぐる近代史の探訪はいまだ端緒についたばかりだ、ということであろう。目下のところ、(装飾と同じく)彫刻という概念もまた、それぞれの実体からは遊離したまま、曖昧に用いられることが多い。だからこそ、ふたつの概念にまつわる歴史、その具体像に迫ることが、今こそ求められているのではないだろうか。

(鯖江秀樹)

odawara_poster.png

広報委員長:香川檀
広報委員:利根川由奈、白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2019年6月14日 発行