第13回研究発表集会報告

研究発表1

報告:小澤京子

日時:13:00 - 15:00
場所:山形大学小白川キャンパス 人文社会科学部1号館 201教室

  • 芸術の前線──ローマ・クアドリエンナーレの貫戦史/鯖江秀樹(京都精華大学)
  • サクリ・モンティとしての岐阜大仏──アルド・ロッシの宗教建築観における胎内の表象/片桐悠自(東京理科大学)
  • 細胞としての建築──フレデリック・キースラーの「コルリアリズム」/瀧上華(東京大学)

司会:小澤京子(和洋女子大学)


建築(展示空間や空間構想、あるいは巨大聖人像の内部空間といった「建築的なもの」も含め)、劇場性、そしてモダニズムの再考──三つの発表が出会うことで、偶然にも共通する問いやモティーフが複数浮かび上がり、その有機的な連関の中から、さらに豊かな思考が導き出すことができる──この研究発表1は、そのような予感を与えてくれるものであった。

鯖江秀樹の発表は、1948年にローマで開催された第5回クアドリエンナーレを、イタリア国内の美術状況という共時的な軸と、1930年代の抽象美術とのつながりという通時的な軸の交点として位置づけ分析することにより、戦中戦後を貫くイタリア近代美術史に、従来とは異なる「前線」を引き直すものである。(なお、当初の発表要旨には「第5、6回クアドリエンナーレ(1948年および1951-52年)を考察対象とする」とあるが、台風により海外出張がキャンセルとなったという拠ん所無い事由により、この日の発表は第5回に対象を絞ってのものとなった。)鯖江はまずこのクアドリエンナーレが、1948年というタイミングゆえに、まさに戦後美術の具体的状況を反映することになったと指摘する。それは端的に言えば、「ファシズムからの脱却」であった。同年の重要な出来事として、鯖江は東西対立の最前線となった「20世紀イタリア美術展」(1948年、ニューヨーク近代美術館=MoMAで開催)、そして「ネオキュビズム」の動向とイタリア共産党との乖離を挙げる。すなわち、1948年総選挙での左派敗北とイタリアの西側資本主義陣営への参入という政治的な文脈が、上記の2つに反映しているというのだ。この年を境に、イタリアでは芸術の政治的・思想的基盤が大きく転回し、東西のイデオロギーの「前線」によって分断されたことを鯖江は明らかにする。さらに、クアドリエンナーレの展示構成における「前線」の所在と、芸術家たちの国際的な連帯の中核ともなっていた画家プランポリーニにつき詳細な分析がなされる。ここに、1948年のクアドリエンナーレを成立せしめた、イタリア国内外の政治的状況と美術界の複数の条件が詳らかとなった。さらには、抽象主義の芸術家たちの「コレクティヴ」性という鍵語も導き出された。鯖江の発表は、いまだ先行研究の無い、しかしながらイタリア近代美術と国内外の政治的文脈との相互関係を歴史的に考察する上で決定的に重要な、一つの点を炙り出すものであった。

片桐悠自の発表は、アルド・ロッシの建築論に、イタリアのサクリ・モンティと巨大聖人像であるサンカルローネ像、そして日本の岐阜大仏との間にこの建築家が見出した共通点が反映されていることを、「胎内」の表象、さらには「青色」というテマティークを軸に分析したものである。ロッシは『都市の建築』(1966年)でも『科学的自伝』(1981年)でも、サクリ・モンティに触れ、それが幼年時代の自分にとって重要な視覚的経験となったと言う。さらにロッシは、自作の着想源ともなったサンカルローネ像と岐阜大仏が、その断面図において「同じ表現」であるとしている。ロッシはまた岐阜大仏の「胎内」の断面図を、「建築の類型」とも見なしている。この「胎内」という発想は、ロッシが「青のノート」に描いた岐阜大仏の背景の青(長い横壁の青)は、彼の設計によるモデナ墓地(着想源はバタイユの『空の青』)やゴイトの単家族住居、ダッラルジオーネ廟などの屋根や壁面の青、さらには(ロッシが幼年時代に見たと推測される)ソマスカのサクロ・モンテの室内の青とも呼応していると片桐氏は指摘し、さらには先述の「胎内」というテーマが、これらの「建築」(サクリ・モンティやサンカルローネ像、岐阜大仏も含めて)に共通していることを示した。片桐の発表はまた、形態やイデオロギーの面から論じられることの多かったロッシに対して、「宗教性」という観点を導入するものでもあった。

瀧上華の発表は、フレデリック・キースラーの建築理論「コルリアリズム」と建築案《エンドレス・ハウス》との連続性を、同時代的状況の解明や、精緻なテクストと作品の分析を通して検証するものである。キースラーにとって建築の根本をなす統一的法則「コルリアリズム」は、correlation(相関関係)という既存の単語と、「人間と環境との間に常に働いている相互的な力の交換」を指すキースラー自身の造語「コ−リアリティ(相互の/二つの−現実)」の二つに由来する。この概念に、1930年代にキースラーが置かれていた人間関係や知的状況が影響していることを、瀧上氏は丹念に検証していく。ここから、キースラーにとって建築の目的とは、生命活動を恒久的に維持・発展させるための、人間と環境との間の相互的な平衡状態の創出にあったことが導き出される。そのうえで、キースラーによる生命維持装置としての建築は、細胞と機能的に類似すると瀧上は指摘する。すなわちそこでは、人間と環境、内部と外部との関係は、細胞膜を通した「動的な力の交換」として扱われているというのである。発表の後半では、1950年代にキースラーが作成した「エンドレス」な建築物の設計案に、コルリアリズムの理論がいかに反映されていたかが考察される。内外の恒常的な交換を可能とするような空間の連続性を確保するために、キースラーは楕円や螺旋から眼球、突起、さらにはメビウスの輪からドローイングの連続線へと、建築案を変化させてゆく。コルレアリズムの理念も「エンドレス」建築案も、ともにキースラーにとっては建築を通した「死への抵抗」であった、と瀧上は結論づける。瀧上の発表は、1930年代のキースラーをヨーロッパの前衛芸術との関係から共時的に考察する先行研究の動向に対して、彼の思想と作品を通時的に捉え、コルレアリズムという観念的理論と後年のエンドレスという具象的な建築計画とを架橋する概念を、みごとに抽出するものであった。

発表者たちと会場との間でなされた質疑応答の概要は、以下の通りである。

鯖江に対しては、まず20世紀イタリア美術展(第二次大戦後のアメリカという文脈でMoMAにて開催)のナラティヴについて、確認がなされた。第二未来派など1930年代の作品の欠落につき、「政治的な理由ではなく、抽象に対する具象の流れを提示しようとしたのではないか?」との質問に対して、鯖江はこの解釈も成り立つことを認めたうえで、具象/抽象という図式は視覚を前提とした美術史の流れであり、そこから離れて、MoMAでの展示が抱えている「いびつさ」の操作性を明らかにするのが自身の研究の目的であることを明らかにした。そのうえで、1930年代を「不可視化」するような強固な時代性があったというのが自らの仮説であり、そこで鍵となるのが発表で着目したプランポリーニであるとした。

片桐には、バタイユの「空の青」とゲーテの『若きウェルテルの悩み』に登場する「川の幻視」の関連性につき、より詳細な説明を求める質問が呈された。片桐が答えるには、まずロッシにとってゲーテは中心的なテーマである。ウェルテルは「見えない距離」を幻視するが、ロッシは同タイトルの論文を著し、モダニズムの乗り越えを目論見ている。また、自作である福岡のホテル・イル・パラッツォとウェルテルの「川」のシーンを繋げてもいる。ロッシは噴水や手水鉢など「水」を建築で頻用するが、これは「水と空」のテーマ系に敷衍され、そこに「空の青」と「川の幻視」の二つが投影されているというのである。

瀧上に対しては、まずエンドレス・ハウス案の第2・3ヴァージョンでは境界が曖昧だが、これは無境界ということなのか、それとも境界の交換なのか、という問いが出された。これに対し瀧上は、キースラーは単なる境界の撤去を目的とはしていないと言う。境界が無いと生命は外部にさらされ死に向かうからである。ここから、エンドレス・ハウスは、境界の有無を問題にするのではなく、細胞膜の動的な平衡状態に焦点があり、内外の動的な交換を目指すものであるという発表の要点が、改めて確認された。また、突起の形態が喚起するセクシュアルな印象を指摘したコメントに対しては、キースラー自身も重視しており、「エンドレス・ハウスは女性の建物である」という発言もしていること、今回の発表からは割愛したが、エンドレス・ハウスについては、子宮、胎内回帰、生と死におけるエロスというテーマも重要であるとの補足がなされた。

会場との応酬を通して、限られた発表時間内には織り込めなかった重要な論点が確認され、またそれぞれの発表の要点と、三者の発表に共通するテーマがより鮮明に浮かび上がる──そのような有意義な質疑応答がなされた30分間であった。

小澤京子(和洋女子大学)


芸術の前線──ローマ・クアドリエンナーレの貫戦史
鯖江秀樹(京都精華大学)

ヴェネツィア・ビエンナーレやミラノ・トリエンナーレなど、イタリアには長い歴史を有し、かつ現在もつづく定期美術展がある。日本ではほとんど知られていないが、ローマ・クアドリエンナーレもそのうちのひとつである。この美術展は、ファシズム体制下で、国内作家のための芸術振興を目的に1931年に設立された。その後、第二次大戦による中断、予算不足による開催取りやめなど、幾多の難題に直面してきたが、2020年には17回目の開催が予定されている。

本発表では、大戦直後に再開された第5、6回クアドリエンナーレ(1948年および1951-52年)を考察対象とする。この時代のイタリア美術は、新興の芸術家グループの乱立と、共産党を巻き込んだ激しい論争などを特徴とする、混乱の時代として語られてきた。言いかえれば、戦後の社会再建にあって未来の造形文化はどうあるべきかが探求された時期であった。しかしながら、この探求は単なる未来志向というよりむしろ、ファシズムを含めた直近の美術論に依拠していたと考えられる。クアドリエンナーレは、そうした趨勢の鑑であるとともに、芸術闘争の前線が幾重にも非対称に重なりあう「内戦地帯」であったのではないだろうか。本発表は、「貫戦史」という観点から、クアドリエンナーレに対極的な姿勢で臨んだレナート・グットゥーゾ(1911-87)とエンリコ・プランポリーニ(1894-1956)というふたりの画家の作品と言説を手がかりに、この内戦の実像を炙りだす試みである。


サクリ・モンティとしての岐阜大仏──アルド・ロッシの宗教建築観における胎内の表象
片桐悠自(東京理科大学)

アルド・ロッシの建築論は幼少の頃より慣れ親しんでいたカトリックの教育的影響が色濃く反映されている。本研究では、「サクリ・モンティ」と、ロッシが感銘を受けた日本最大級の籠大仏・岐阜大仏の関連を明らかにする。ロッシの著作で数多く言及がなされる「サクリ・モンティ」とは、北イタリアの反宗教改革の巡礼地であり、山を登りながら、キリストの受難劇の彫刻を内部に含むパビリオンを順に訪れる宗教空間である。発表者は、ロッシの父方の地元ソマスカ、世界遺産のヴァラッロとヴァレーゼ、37mの聖人像のあるアローナのサンカルロを訪れ、「サクリ・モンティ」を実地調査した。そのうえで、岐阜大仏を実地観察し、彼の言説・スケッチと合わせて建築表象を考察した。ロッシが岐阜大仏をアローナの「サンカルローネ」像と結び付けたことは、大仏断面図が「内部に人が入れる」ようだと彼が添え書きしていることから、〈胎内〉の表象を両者に見出していたことがわかる。また、ロッシの大仏断面図のスケッチには「絵葉書風」と添え書きされて青空が描かれたが、これはサクリ・モンティのパビリオン内部の描かれた空、《モデナ墓地》設計競技案説明文「空の青」と関連づけられる。さらに、これはロッシが言及するバタイユ『空の青』の墓地のシーン、ゲーテ『若きウェルテルの悩み』での川での幻視とも関連付けられ、〈胎内〉の表象が「母体回帰」のイメージに重ねて合わせられると考えられる。


細胞としての建築──フレデリック・キースラーの「コルリアリズム」
瀧上華(東京大学)

フレデリック・キースラー(1890-1965)はアンビルドの建築家といわれる。たしかに、キースラーの建築で実現したものは生前においても少なく、現存する建築物としてはイスラエルに建てられた《本の神殿》(1965)が唯一のものである。一方で、彼が発表した《エンドレス・ハウス》案(1950)は、卵や洞窟のような模型の姿が圧倒的な存在感を放ち、キースラーの代表的作品としてしばしば言及される。それは実現していないがゆえに、既存の建築とは異質の立ち位置を獲得しているといえよう。

キースラーのこのような独自の形態は、彼が1930年代から発展させてきた建築理論「コルリアリズム」によって導かれたものであった。キースラーは、当時の生物学や進化学を導入しつつ、人間と環境との関係性という観点から「建築」を新たに捉え直そうとする。彼は、建築の目的とは、人間と環境との間の相互的な平衡状態(=健康)を築くことであり、人間の生命活動を維持・発展させることだと述べる。ここで、建築は生物の細胞と機能的類似を見せる。「細胞としての建築」においては、内部が外部から保護されると同時に内部と外部とが貫入しているという状態が成立している。そこには、内と外との境界を曖昧にしたり皮膜化したりするのではないやり方で、内部と外部との関係性を扱おうとする思考を見出すことができる。

本発表では、キースラーの建築理論「コルリアリズム」について、1939年に発表した「コルリアリズムとバイオテクニック」を読み解き、彼の人間や環境、建築についての捉え方を検証する。そして、それが彼の建築案にどのような形として表れているのか、特に《エンドレス・ハウス》にみられる滑らかな卵型から穴隙をもつ洞窟のような形状へと発展していく形態と、彼の建築理論との関係を探る。

広報委員長:香川檀
広報委員:利根川由奈、白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2019年2月17日 発行