研究ノート

「記述されたはず」のファッションをめぐって

五十棲亘

0. 「理論」と「ジャーナリズム/ルポタージュ」の間隙を縫う

近年、いかなる行為を「ファッション批評」と呼びうるのか、といった議論が散見される。批評の対象として「ファッション」を射程に入れる際、文学理論が文学批評に、あるいは美学や芸術学の理論が芸術批評に適用される状況とは異なり、ファッション批評に参照される「ファッション研究における理論」の不在が指摘されている[Svendsen 2016,111-112]。こうした状況の背景には、大きく二つの論点が挙げられる。まず、「ファッション研究(Fashion Studies)」という枠組みは、英米圏を中心とした1980年代以降の学術的潮流に対応して認知され始めた新しい学術領野である。それゆえ、ファッションの「理論」と「批評」は個々に議論が組み立てられ、それらが各々何を指し示すのかは、ときに書き手の恣意性に委ねられてきた*1。そこで、「ファッション」という対象への視座を整理し、理論の枠組みを構築することが目指される一方で、整理された理論を「ファッション批評」の行為者/場/方法をめぐる議論へといかに敷衍しうるか、が重視されてきたといえる[McNeil and Miller 2014;Hee and Dyke 2018]。次にファッションは、産業と密接に関わる事象でもある。ファッションが論じられる場では、研究者/批評家/企業人といった書き手、それらを受容する消費者、そして学術雑誌/批評雑誌/商業雑誌/新聞/ウェブサイト等の各種メディアと編集者といったアクターによる相互の関わりが生ずる。そうした空間の多層性ゆえ、「記述されたファッション」は、学術的な「理論」やそれと連関する「批評」として単純に切り分けることができない。「ファッション批評」の捉え難さは、ファッションデザイナー/ブランド/コレクションの動向を出来事として記述する「ファッションジャーナリズム/ルポタージュ」*2と、より広範な対象を「ファッション」として捉え、それらへの価値付けを目的とした「ファッション批評」が、峻別しうるのか/しえないのかといった議論が途上であることからも窺える[Svendsen 2016,109-110]。ゆえに、「ファッション」という対象への研究/批評/ジャーナリズム/ルポタージュといった言説の営みを広く「記述」のアプローチと捉えるとともに、それらが展開された場や構造へと視線を移す必要がある。そこで本稿の目的は、「記述されたファッション」をめぐり、書き手/読み手/作り手の関係性が構築されてきた「言説空間」への視点を導入することにある。それでは、「記述されたファッション」に対する諸問題を念頭に置きながら、日本においては、これまで「ファッション」は誰に/どのような/どこで記述の対象として見做されてきたのだろうか。

*1 ラース・スヴェンセン(Lars Svendsen)は、ホーリー・ブラバック(Holly Brubach)、スージー・メンケス(Suzy Menkes)、キャシー・ホリン(Cathy Horyn)、ロビン・ギバン(Rovyn Givhan)、ティム・ブランクス(Tim Blanks)、コリン・マクダウェル(Colin McDowell)といった、主に英米圏のファッションに関わる評論家や編集者の名前を挙げながらも、ファッション批評に関わる先駆者の少なさを指摘する[Svendsen 2016,112]。さらに、批評の書き手の少なさと共に、批評が理論とルポタージュの織りなす連続体の内に位置付けられることを挙げる。つまり、批評が理論とルポタージュのどちらかに近接し過ぎてしまうことが、ここでは問題となっている[Svendsen 2016,112]。
*2 「ファッションジャーナリズム/ルポタージュ」に関しては、ケイト・ネルトン・ベスト(Kate Nelson Best)やジュリー・ブラッドフォード(Julie Bradford)、サンダ・ミラー(Sanda Miller)、ピーター・マクネイル(Peter McNeil)らによって、英米圏におけるそれらの歴史や特質、方法等が議論されつつある[Bradford 2014;Best 2017;Miller and McNeil 2018]。しかし、上述したように、「ファッションジャーナリズム/ルポタージュ」と「ファッション批評」の記述の仕方が、いかに差異化されるのか/されないのかに関する議論は途上である。


1. ファッションを取り巻く言説空間の多層性

哲学者鷲田清一のファッションに関する論考は、「衣服と身体」という一つの方法論的視座を提供し、1980年代以降のファッションを対象とした研究の裾野を広げ、議論を発展させてきた。しかし、鷲田や『ハイ・イメージ論』をはじめとしてファッション論を展開した吉本隆明のような、高級既製服を対象として学術的な知見をもとに言説を展開していく「雛形」は、それまでの服飾文化を記述する方法とは異なるものであった。では、どのように異なるのか。まず、戦前からの服飾文化において中心的な役割を担った人物として、並木伊三郎や遠藤政次郎、田中千代、杉野芳子、伊藤茂平、桑沢洋子ら「教育者」が挙げられる。彼らは、自身が創設した学校において洋裁教育を指導したのみならず、創刊した服飾雑誌内では服飾文化に関わる「知識人」として、洋裁教育や洋装受容の如何に関わる「言説」を展開した。彼らの言説は、読者にとっては国外の服飾や風俗を知る窓口であったとともに、洋裁の技術を学ぶ人間にとっての知識のリソースでもあった。そして、井上雅人が指摘するように、そうした教科書としての雑誌における情報の参照項となったのは、1930年代前後の家政学における知見であった*3。それゆえ、「記述されたファッション」が展開された場の歴史を紐解くためには、戦前からの服飾に関わる学校や学会の状況を検討する必要が生ずる。言説の対象としてのファッションへの関心の高まりは、戦後に刊行された『家政學雑誌』や『衣服學會誌』、『繊維製品消費科学』、『衣生活』、『衣生活研究』といった家政学・被服学系の学術雑誌や研究誌において、「ファッション」と名のつく論考や記事が掲載され始めることからも窺える。だが、これらの学術雑誌では、自然科学の方法論に基づく家政学や被服学の論考は「学術論文」という形式で投稿されていた。その一方で、同時代的な服飾様式や意匠に関わる論考の発表形式は、コラムやエッセイであった。さらに、『衣生活』や『衣生活研究』では、生地や繊維のサンプル、デザイン画が毎号添付されたのみならず、海外の高級既製服が、さながら「ファッション雑誌」のように紹介されていた。このことからも、当時の家政学や被服学における「ファッション」に対する位置付けや、研究対象として論ずることの困難が推察されよう。

また、「記述されたファッション」が展開された場は、このような学校を母体とした服飾教育の系譜だけではない。1953年のクリスチャン・ディオールのファッションショーが開催されたことを嚆矢として、日本にも高級既製服及びそれらを流通させるシステムが徐々に展開され始める。繊維会社や百貨店により国外の高級既製服ブランドが国内に紹介され、洋裁店を紐帯とした「擬似アカデミズム」[井上 2017,194]ともいえる、「日本デザイナーズクラブ」や「日本デザイン文化協会」といった団体が日本でも結成される。それらと呼応するように、1960年代前後より『ハイファッション』や『モードェモード』、『婦人画報モード』といった、高級既製服を積極的に紹介する雑誌が登場する。実用性に根ざした教科書的な洋裁の技法やパターンが誌面から消える代わりに、現在の「ファッション雑誌」の系譜ともいえる、華やかな写真と美辞麗句に彩られた「視る雑誌」としての側面が強くなる。しかし、そうした雑誌において注視すべきであるのは、その視覚性に反した「読み物」に多くの紙幅が割かれていたことだ。とりわけ『ハイファッション』においては、林邦雄やマダム・マサコ、南部あき、秦早穂子といったファッションに関わる「評論家」たちをはじめ、宗左近や東野芳明、木村浩をはじめとする詩人や美術評論家、文学者といった多領域の人間が、「読み物」のために登用された。そして、それらの内容は、服飾様式の歴史や絵画に描かれた衣服の図像としての解釈、「九鬼周造『いきの構造』の再読」といった「ファッション論」のように、美術史学や美学、社会学、哲学からの学術的な視点や成果を採用したものであった。また、論考への感想が掲載された「ハイファッションサロン」という読者投書欄の存在は、読者と編集者との関係性における、「記述されたファッション」の位置付けを捉える上で非常に重要である。というのも、こうした投書欄における編集者と読者のやり取りは、読者がそれらをいかに受容していたのかではなく、編集者が「いかに受容させようとしていたか」を他の読者に対して示すものに他ならない。日本における高級既製服の導入期において、ファッション雑誌におけるそれらの価値の差異化は、ファッションブランドやファッションデザイナーといった消費の側面からのみ進められたわけではない。その一つとして、衣服の価値を担保する歴史的文脈や文化的背景に対する「知識」の必要性が説かれたことは、特筆すべきであろう。このように、「記述」を軸としたアプローチでファッションを捉えると、言説空間それ自体が様々な要素の絡まり合う多種混淆的な場であると共に、そこへの視座も単一ではないことがわかる。では、その後いかにしてファッションの言説空間は変容してきたのか。

*3 「例えば、「装苑」が1950年代から60年代に全盛を迎えるときに、洋裁の雑誌として技術的なノウハウを参考にするために利用されたことを考えるのであれば、27年に創刊された「家事及裁縫」(東京家事講習所)のような家政学の学術雑誌の存在を無視することはできない。あるいは、洋裁が学問的な体裁を整えていき、洋裁学校の教科書や副読本として「装苑」などが利用されていったことを考えると、戦後の家政学や被服学との強いつながりを持つ30年創刊の「被服」(被服協会)も無視することはできない。」[井上 2017,143]


2. 「ファッションを取り巻くアカデミズム」をいかに捉えるか

濱田勝弘が指摘するように、1964年には文化女子大学家政学部が創立され、小川安朗や荻村昭典らを中心として、服装・ファッション・衣生活に関して社会学的な研究の必要性が説かれていた[濱田 2007,25]。また、1975年には京都国立近代美術館にて開催された「現代衣服の源流」展を契機として、1978年には京都服飾文化研究財団も設立される。服飾品の蒐集・保存・修復をはじめ、1980年より定期的に開催されるファッション展、1982年より発行されている研究誌『DRESSTUDY』(2015年より『Fashion Talks...』)等、様々なメディアを通して「ファッション」に対し多角的なアプローチが行なわれてきた。上述した家政学の系譜も加味すると、ファッションという対象は様々な領域から知的なまなざしを受け、「アカデミズム」に包摂されようとしてきたといえる。その一方で、鷲田が登場する以前の学術領野において、ファッションは周縁に置かれた研究対象であったと彼自身は回顧している*4。やはり、こうした発言からは、ファッションを研究するにあたり必要とされる体系的な方法論や視座が、「正統な場」において不在であったことが窺えよう。そして、そうした状況を端的に示す事例として、鷲田が最初に著した『モードの迷宮』は、『マリ・クレール』というファッション雑誌上での連載を基にした論考であったことが挙げられる。それは、学術的知見に基づき執筆され、ファッション雑誌という極めて商業的媒体に掲載された「ファッション論」であったといえる。さらに、同時代的には、1980年代の『ユリイカ』、『現代思想』、『思想の科学』といった「商業的学術雑誌」での「ファッション・モード」に関する特集に付随した、学者や批評家による「ファッション論の流行」ともいえる状況が出来する。のみならず、ファッション雑誌『an・an』の1984年9月21日号においても、「ニューアカブーム」を想起させるキャプションが誌面から散見されるという指摘[井上 2017,239-240]があるように、当時のファッションをめぐる言説空間と「在野のアカデミズム」との関係性が示唆される。つまり、現在のファッション研究に連なる「理論」が形成されようとした磁場=「ファッションを取り巻くアカデミズム」をいかに捉えるか、が肝要ではないだろうか。近年、社会学におけるファッション研究の論点を整理する視点[小形 2013]や、日本のファッション研究の硏究史を捉え直す視点[Fujishima and Sakura 2018]も散見される。そうした研究動向を参照しつつ、鷲田の登場と軌を一にする学術的潮流の整理と、それ以前のファッションを取り巻く状況との「断絶」をいかに掬い/救い上げるかが今後の課題となる。このように、ファッションをめぐる歴史を「記述」とそれらが展開された「言説空間」という視点で見返すと、ファッションブランドやファッションデザイナーとは関わりながらも、それらを中心に描かれる「ファッション史」とは異なる歴史が描かれることがわかる。ファッションが記述されることによって、その「思想」が結実する過程と、それらが生産/流通/消費される関係性の空間にこそ、ファッションを取り巻く力学が働いているのではないだろうか。

*4 「哲学研究者でありながら、ファッションについて文章を書きだしたときには、相当な抵抗があった。抵抗といえばかっこいいが、要するに侮辱され、冷笑されたのであった。(中略)哀しい想い出だが、哲学の恩師のひとりに、ファッション雑誌の言語分析をしたロラン・バルトの『モードの体系』のことを言うふりをして「世も末だな」と言われた日のことはいまも忘れない」[鷲田 1996,6]

参考文献
井上雅人『洋裁文化と日本のファッション』青弓社,2017年
小形道正「ファッションを語る方法と課題–消費・身体・メディアを越えて–」『社会学評論』第63巻,487-502頁,2013年
鷲田清一「「うわべの学問」と考える人にこの本は無用である。 ファッション学への誘い」『AERA MOOK ファッション学のみかた。』朝日新聞社,4-8頁,1996年
Bradford, J. (2015) Fashion Journalism, New York, Routledge Best, K. N. (2017), The History of Fashion Journalism, London; New York, Bloomsbury Academic
Choi, K. H. and Lewis, V. D. (2018), “Inclusive system for fashion criticism,” in International Journal of Fashion Design, Technology and Education, London; New York, Bloomsbury Academic, pp.107-117
Miller, S. and McNeil, P. (2014), Fashion Journalism History, Theory, Practice, London; New York, Bloomsbury Academic
Sanda Miller and Peter Mcneil, Fashion Writing and Criticism History Theory Practice, London; New York, Bloomsbury Academic
Fujishima, Y. and Sakura, O. (2018) “The rise of historical and cultural perspectives in fashion studies in Japan,” in International Journal of fashion Studies, 5(1), pp.197-209

五十棲亘(神戸大学大学院 人間発達環境学研究科)

広報委員長:香川檀
広報委員:利根川由奈、増田展大、白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2018年10月16日 発行