第13回大会報告

パネル1 批判的京都学派の技術論 ──その現代的含意と可能性

報告:宮崎裕助

日時:2018年7月8日(日)10:00-12:00
場所:人文学研究科B棟(B135)

・翻訳の生と死──戸坂潤の「技術的精神」/星野太(金沢美術工芸大学)
・技術と身体の内と外──木村素衞を再読する/横山太郎(跡見学園女子大学)
・物質−機械の歴史存在論──下村寅太郎哲学の生成/榑沼範久(横浜国立大学)
【コメンテーター】檜垣立哉(大阪大学)
【司会】横山太郎(跡見学園女子大学)


本パネルでは、星野氏、横山氏、榑沼氏の発表、そしてゲストとしてお越しいただいたコメンテータの檜垣氏の順で発言が続き、最後にまとめて質疑応答が行なわれた。

まず星野氏の発表では、戸坂潤の技術論を取り上げ、「秘密」と「翻訳」のモティーフに着目することによって、しばしば戸坂が依拠しているマルクス主義的唯物論の図式に回収されないような隠された技術論の射程を探ることが試みられた。

戸坂によれば、批評の本質は「文化運搬性」にあるが(「クリティシズムと認識論との関係」1938年)、これは広義の翻訳行為である。翻訳といってもこれは、いわゆる文献学的哲学にとどまるものであってはならない(戸坂の和辻批判)。翻訳対象が有していた論理を、翻訳先の文章固有の論理へとそのまま移し換えることはできず、そのかぎりで、翻訳先での論理は死んでしまうことになる。そうならないようにするためには、戸坂のいう「技術的精神」に即して出来事のアクチュアリティを捉える必要がある。

『技術の哲学』(1933年)ではこの技術的精神は「科学的精神」とも言われており、さらに「真の実証的精神」とも要約されるが、これは狭義の自然科学をモデルとするものではない。それは「歴史的過程の構造秩序」から取り出された「歴史的精神」として獲得されるべきものである。そうした歴史的過程はしかし、どこからくみ取られるべきか。戸坂はそれを「日常性の原理」に見出す。というのも、日常には、時間過程の核としての歴史の秘密が宿っている当のものだからである。したがって歴史的過程を日常性に基づけるかぎりで、文献学のように過去と現在を無批判に取り違える死んだ翻訳ではありえず、「生きた翻訳」の試みとなるのだ、と星野氏は締め括った。

次に横山氏の発表は、木村素衞の身体論を主題とすることで京都学派の技術論へのアプローチが試みられた。まず、行為主体にとって身体はどのように働くのかという横山氏の根本的な問題意識が提示された。そこで三木の技術哲学を介して技術が「目的のための手段」という図式で考えられてはならないことを確認し、木村の身体論への導入が行われた。そのうえで、木村の身体論の要点が提示された。すなわち「手心」として身体のうちに働く意志があり、他方、そのかぎりで意志は純粋に主体的な意志ではありえず、いわば精神的な客観として身体を介して自然が自由の領域に侵入するのである。横山氏はこの両義的な関係を「二重スパイ」として巧みに整理した。

この両義性は、木村において一種の歴史的生命を担う歴史的身体という論点へと拡張されてゆく。ここで横山氏が着目したのは、「日本人の美的感覚に就いて」(1942年)という木村の小論である。これはいっけん皮相な日本文化称揚論にみえるが、技術的行為表現を伝達するさいの「深さ」および「高さ」というモティーフにおいてじつは優れた洞察を含んでいる。横山氏は、木村の世阿弥論に基づき、完全性を目指す模倣的な拘束性にかかわらず、偶発事やノイズに曝されてしまっても平然と自由闊達さを実現するところに「超完全性」ともいうべき、わざの「妙位」の境地があるということを指摘して発表の結論とした。(ブルーノ・ラトゥールの技術論によって木村が展開すべきだった論点を再構成できる余地があることが示唆されたが、その議論は時間の都合により割愛された。)

最後に榑沼氏の発表は、下村寅太郎の哲学の全体を「物質−機械の歴史存在論」として読み解くという壮大な企図を示すものだった。その目論みは限られた時間枠に比して壮大にすぎ、発表は関連するアイディアを分散的にスケッチするものとならざるをえなかったが、京都学派のネットワークを恒星と内惑星の天体的なモデルによって捉えたうえで、そのうちに下村哲学の全体を位置づけ、かつその射程を押し広げてみせるという試みであった。

まず下村哲学を「世界史の哲学」として特徴づけたのち、その技術論が、世界史のメカニズムの再編技術として「世界史的技術」となることが指摘された。そのうえで、これは近代科学の世界史的な問題性に答えようとするものであり、他方、それが科学そのものの放浪性・外在性・宇宙性を示唆するものだということが述べられた。榑沼氏によれば、その背後にあるのは、自然をとりとめのない「無底」として捉えるベーメやシェリングの哲学のモティーフであり、この不安なる自然はたんなる自然科学的自然観を超えてゆくものであった。

そのような点を踏まえ、最後には下村哲学の「世界史機械」の構図が、ブルクハルト/フロイトを参考にしつつ、宇宙・エス・自我・超自我という四極構造において捉え直され、田邊、西田の世界史像とも比較対照されながら展開された。

いくつもの西田論や『日本哲学原論序説』の著者である檜垣立哉氏からのコメントはおおむね次のような論点に触れ、関連事項を問い質すものであった。まず京都学派を、恒星/惑星モデルで捉えようとする場合、西田─田邊という軸はきわめて大きなものであり、下村寅太郎をとりあげるにせよ、その関連性をより明確にすべきではないか。とりわけデモーニッシュとも言うべき西田哲学の側面を無視できない。また戸坂の技術論を取り上げるさいに「秘密と翻訳」に注目することは、戸坂が批判しているハイデガーの解釈学へと戸坂の議論を引き戻すことにならないか。あるいはむしろ戸坂のハイデガーに対する近親憎悪的要素を問題化すべきではないか。木村素衞の身体論を京都学派の全体の布置でとらえる場合、中井正一との対照が欠かせないように思われる。それはどうなるのか。

また会場からの問いかけに即して、戸坂にとっての日常性/非日常性の意味、また戸坂と中井の関係に関してのスポーツの意義、京都学派におけるヘルマン・コーエンの重要性、下村が戦時中に科学哲学の研究に従事した意味、さらには戸坂の技術の意味をめぐって科学技術の文化技術という区別がもつ射程等々について活発な質疑応答が行われた。

以上、さまざまな課題が残されたものの、その議論の拡がりから、京都学派の技術論の宇宙の広大さを新たに垣間見ることのできた活発で有益なパネルであった。

宮崎裕助(新潟大学)


パネル概要

京都学派は、西田幾多郎(1870-1945)、田邉元(1885-1962)、和辻哲郎(1889-1960)の次世代が昭和に入って批判的に西田の哲学を応用的、批判的に継承したことによって、学派として形成された。彼らは恒星の近辺をめぐる内惑星というよりは外惑星ないし、外部の思想(マルクス主義、科学論、美学、宗教哲学など)を圏外に持ちながら往還する彗星のような哲学運動を展開した。で、彼らの思想的位置は、言語論的展開以降のポストモダンに対して相関主義批判を突きつける近年の実在論的傾向と近接することになる。新カント派、生の哲学、初期現象学と対峙しながら理論形成をした西田や田邉は、意識や意志との相関のもとで世界を理解しようとしていた。それに対して弟子世代は、マルクス主義が突きつけた歴史的現実の無視しがたさを引き受けた。こうした問いの設定は師にも影響を与え、歴史的身体といった後期思想の触媒となる。京都学派は単なる西田の継承ではなく、切迫する歴史的現実への問いと「1930年代の相関主義批判」によって形成されたと見なすことができる。こうした問いの構造が最も先鋭化する局面を求めて、本パネルは京都学派の技術論にフォーカスする(技術は技とテクノロジーを含む)。近年の新しい実在論も念頭に、批判的京都学派の技術論を抽出することで、恒星と内惑星が理解しようとしながらも時代的、理論的制約のため捉えきれなかった技術論的事態、それを思考する論理、その現代的含意と可能性を解明したい。


翻訳の生と死──戸坂潤の「技術的精神」

星野太(金沢美術工芸大学)

戸坂潤(1900-1945)は、三木清をはじめとする他の京都学派の哲学者たちと同様に、狭義/広義の「技術」をめぐるテクストを数多く残した。とはいえ、そこで真っ先に名が挙がる『技術の哲学』(1933)は、当時のマルクス主義的唯物論にもとづいたいささか単純な図式に終始しており、いまだ発展途上にある著作という印象は否めない。むしろその鋭利な考察は、戸坂自身が『科学的精神』という著作にまとめることを構想しながらも叶わなかった、1930年代後半から40年代にかけてのテクストにおいて十全に発揮されていると言えるだろう。そこで戸坂は、「技術的範疇」や「技術的精神」といった概念を用いながら、これがいわゆる狭義の(自然)科学ではなく、哲学・文学・芸術といった領域においてこそ必要だという主張を執拗に繰り返す。本発表が提起するのは、この戸坂の技術論を、かれの「日常性」への着目や「文献学」批判と突き合わせることで、この時期の(いっけん雑多な)テクストから、戸坂の一貫した問題意識を引き出すことにある。戸坂が「死んだ」翻訳として批判する「文献学的哲学」との対比で言えば、「歴史の秘密」であるところの「日常性」への着目、そしてそれを通じた「アクチュアリティー」の獲得は、「生きた」翻訳の実践の試みであったとは言えはしまいか。以上の作業仮説をもとに、戸坂がついに実定的なものとして提出しえなかった技術論をある角度から再構築することが、本発表の目的である。


技術と身体の内と外──木村素衞を再読する
横山太郎(跡見学園女子大学)

本発表は木村素衞(1895-1946)が身体的な技術について論じたいくつかのテクストを検討し、行為とわざをめぐる近年の哲学・人類学等の議論とつき合わせることを通じて、木村の技術論の今日的な含意を明らかにすることを目指す。先駆的なフィヒテ研究者として、また教育哲学者として知られる木村素衞は、1930年代の京都学派が生みだした身体の哲学のなかでも重要な位置を占める。従来の研究においてすでに、「一打の鑿」「身体と精神」などのテクストは注目されてきた。本発表ではこれらに加え、従来の研究ではその存在を知られていなかった新出テクスト「日本人の美的感覚に就て」(1942年)を検討の対象とする。これは木村が世阿弥の能楽論を解釈したものだ。これら一連の木村の身体的技術論の軸となっているのは、芸術制作の場面における知覚と行為の相即的生起に対する分析である。これはさしあたって、師である西田幾多郎の理論を引き継ぎつつ、〈内と外〉の弁証法の論理を厳密化しようとしたものといえる。この試みが後の身体の現象学や生態心理学、その他「身体化した認知」の諸発想に近い面があることはつとに指摘されるところだが、木村の偏執的なまでの分析の強度には、これらとの類似に収まりきらないものが残されているように思われる。本発表では、ブリュノ・ラトゥールのアクターネットワーク理論などを参照項とすることで、新たな視点から木村技術論の潜在的可能性に迫りたい。


物質−機械の歴史存在論──下村寅太郎哲学の生成
榑沼範久(横浜国立大学)

京都出身の下村寅太郎(1902-1995)は自然哲学・数理哲学、科学史・文化史・世界史の哲学などの領域で広く大きな業績を残し、『西田幾多郎全集』や『田邊元全集』編集の実質的中心を担ったにもかかわらず、京都学派をめぐる議論の表舞台からは離れた外惑星ないし彗星のような人物であり、いまだ下村哲学の本格的研究が待たれる段階にある。下村は単なる科学思想史研究者でも、ルネサンス・バロック文化研究者でもなければ、西洋哲学と西田哲学との調和をはかろうとする「西田中間派」でもない。三木清(1897-1945)不在の座談会「近代の超克」(1942)に登壇した歴史的挿話だけで語られるべき人物でもない。本発表では、おもに1930年代から40年代にわたる前期下村の自然哲学、科学史の哲学における科学技術論・自然論の変移に着目することで、非因果律的・非充足律的・非同一律的・非合理的自然観を経由しながら、下村が世界史の哲学の下地ともなる先鋭的な物質-機械の歴史存在論を作り出していった局面を描き出す。それは三木の予感した「技術批判」と共に始まる「新しい哲学」、すなわち「カント的な物自体の概念を不用にし、ヘルムホルツ的な認識論を破棄する」哲学への生成であり、「人間の存在が世界の存在に対する動的双関関係」の次元に迫る哲学の生成だった。科学論・数理哲学への関心を共有した師・田邊元(1885-1962)や近しい先輩・戸坂潤(1900-1945)、三宅剛一(1895-1982)、そして木村素衞(1895-1946)との関係にも着目したい。


広報委員長:香川檀
広報委員:利根川由奈、増田展大、白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2018年10月16日 発行