編著/共著

レフ・マノヴィッチ (著)、久保田晃弘、きりとりめでる (編訳)、 甲斐義明、 芝尾幸一郎、筒井淳也、永田康祐、ばるぼら、前川修増田展大(分担執筆)

インスタグラムと現代視覚文化論 レフ・マノヴィッチのカルチュラル・アナリティクスをめぐって

ビー・エヌ・エヌ新社
2018年6月
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本書は、メディア理論家であるレフ・マノヴィッチのオンラインブック「Instagram and Contemporary Image(インスタグラムと現代イメージ)」の全訳に対して、今日のデジタル写真とマノヴィッチの周辺領域を巡るテキストを他に9編収めたアンソロジーである。

今回訳出したマノヴィッチの論考は、インスタグラムで2012年から2015年の間に共有された膨大な写真画像の定性計算分析とその可視化による研究に依拠している。

その調査手法は「カルチュラル・アナリティクス」と呼ばれるものであり、毎分300万枚以上の写真画像がSNSで共有される現代の文化に伴走する方法として、2005年からマノヴィッチが提唱してきたものである。この研究は、写真画像の定性分析を土台とした近年の多くの研究を踏まえた上で、インスタグラムを社会の窓として、現代の(写真画像)文化を探るものであると同時に、定性的に研究可能な問題の定式化を試みている。

すなわち、「インスタグラムと現代イメージ」は、インスタグラム研究であると同時に、カルチュラル・アナリティクスで研究可能な領域を測定するためのメタ研究と言えるだろう。また、マノヴィッチは本論で、自身が標榜してきたソフトウェア・スタディーズの系譜に触れずに、インスタグラムという一つのソフトウェアとその文化領域から、ある時代性を導き出している。

この意味においても、マノヴィッチが本論で描き上げた理論は(本人も書くように)第一段階目であり、今後のさらなる文脈化や定性分析や学際的検討が前提となっている。

そこで本論を日本に紹介するにあたっては訳出だけでなく、読者が本論の射程を精査する手立てとして、研究者としてのマノヴィッチに対する内在的な検討、デジタル写真や現代の視覚文化に関するさまざまな議論の歴史的な整理、データサイエンスに立脚した論考が必要であると考え、多角的なアンソロジーを組んだ。

マノヴィッチの本論に対して裏面に組まれたアンソロジーは、3部に分かれている。

第1部は、「インスタグラムと現代イメージ」の理論自体を考察したものである。甲斐義明は、マノヴィッチがインスタグタムの写真画像分析から示したアマチュア写真の美学を、スナップ写真史を軸に検討した。次のきりとりめでるは、デジタルメディア・テクノロジーが日々変化する時代を記述し続けてきた、マノヴィッチの理論の一貫性を探求している。第1部の幕間は、マノヴィッチとは異なる方法で、インターネットをアーカイヴするばるぼらが、日本のインスタグラムについて論じる。

第2部は、デジタル写真論の現在についてである。まず始めに、「現在の写真」を考える上で多くの示唆を与え続けてきた前川修による、00年代以降のデジタル写真論についての重要論考を再編し所収した。増田展大は、マノヴィッチが取り上げなかった「自撮り」を、認知科学と人文学をつなぐ視点から精緻に論じる。前川と増田は、写真研究の前提そのものを議論していくが、美術家の永田康祐はAdobePhotoshopが前提となった作品をどう言語化するべきなのか、デジタル写真=画像という立場から論述した。第2の幕間では、データビジュアライズの実践者である芝尾幸一郎が、カルチュラル・アナリティクスを「コードを書く」という視点から分析している。

第3部「文化はどこにあるのか」では、計量社会学者である筒井淳也が、計量に際した「そろえること」を出発点にマノヴィッチの文化分析を検討し、その背後にある「斉一性」について議論する。最後の久保田晃弘は、自身らによるカルチュラル・アナリティクスの前史、学際的な使用の現状、今後カルチュラル・アナリティクスが取り組むべき対象をオープンエンディドに論じた。

マノヴィッチが度々用いるロシア語の翻訳監修は河村彩に依頼した。また、デザイナーの杉山峻輔と編集者の岩井周大によって、文字組や紙の選定など、書籍というメディアの構造に意識的な設計となっている。手にとって見ていただきたい。

(きりとりめでる)

広報委員長:香川檀
広報委員:利根川由奈、増田展大、白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2018年10月16日 発行