第16回大会報告

パフォーマンス・イベント 言葉と(食べ)物

報告:細馬宏通

日時:2022年7月2日(土)17:00-18:45
場所:1階120番教室(ハイブリッド中継)

稲田俊輔 Cook'n' Talk Show
対談:食べること、書くこと、しゃべること
稲田俊輔(エリックサウス総料理長)× 三浦哲哉(青山学院大学)
司会:福田貴成(東京都立大学)

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イベントはまず、稲田さんの実演から始まった。壇上の調理を大教室で見る。不思議なシチュエーションである。稲田さんはIHヒーターに置かれた鍋に油、マスタード・シード、そしてウラド・ダルを加える。スパイスは弱火でゆっくりと「テンパリング」される。稲田さんは、鍋の様子を見ながら、テンパリングとは何かについて急ぐことなく話す。微かにぱちぱちという音がして、ようやくタマネギ、ショウガ、青唐辛子、そしてカレーリーフが投入される。次第に白い蒸気が上がり始め、壇上から広い教室に広がり始め、やがて中程の席に居るわたしにも届く。豆のような芋のような、あるいはナッツのような香ばしさ。今までかいだことのない匂い。もうこの匂いで、会場にはマジックがかかったようだった。

ここまでですでに4、5分経っている。3分間で袋ラーメンを茹でるのに慣れている者には意外なほどの長さだ。こうした「テンパリング」は、じつはさまざまな文化の料理で行われているのだという。イタリアならオリーブ油ににんにくと鷹の爪、中華料理ならにんにくとしょうが、フランスならバターにたまねぎにセロリ、にんじん。ところがどういうわけか、このテンパリング文化を行わない食文化があって、それが和食。和食は世界でも例外的な文化である。そんな話をしながら、稲田さんはようやく最後の食材を加える。スジと呼ばれるインドの粗挽き小麦粉、塩、以上。それをしゃもじでさっくり混ぜているうちに、粉がくっついて、何かふわふわした、不思議な塊になっていく。「ウプマ」という料理だそうで、残念ながらコロナ禍ゆえ、出演者の三浦哲哉さんと司会の福田貴成さんのみが実食。「口から鼻に抜ける香りに直撃されている」という福田さんの食レポがひたすら羨しい。

教室に漂う匂いが消えぬうちに、三浦さんと稲田さんによるトークが始まった。まずは、稲田さんの南インド料理本の特徴である、徹底的な計量主義について、その考え方が語られた。ともすれば、家庭料理では「目分量」が尊ばれることがあるが、稲田さんの著作では、キッチンスケールで計ることが推奨されており、各材料が「大さじ/小さじ」「ひとつまみ」「1切れ」といった単位ではなく、はっきりとグラム数で記されている。なんといっても驚きなのは、投入される材料の重さを計るだけでなく、最後の仕上がりを計る点だ。この仕上がりの重さを計ることで、水分がどれくらい飛んだか、べちゃべちゃ過ぎないか、ぱさぱさ過ぎないかが正確に把握できる。このように徹底した計量を本に記したのは、かつて洋書でレシピを勉強したのがきっかけだったという。西洋の料理本では、分量や時間の表現はしばしば曖昧で、その通りにやっても料理を再現できないことが多い。これに憤慨した稲田さんは、自分が本を書くときは徹底して計る方針で行こうと決めたのだという。もちろん、レシピに頼らずに自分自身で味を探っていくことも大事だが、その前に「最初にきっちり計量することが、そこからどれくらいの離脱が許されるのかを知る最短距離」。

ここで三浦さんが、稲田さんの本に従って料理を作っているときの感覚を「自分のキッチンが再生機になる」と表現していたのがおもしろかった。「再現」と違って、「再生」ということばには、時間の概念が感じられる。単にレシピから目標とする味を「再現」するのではなく、レシピに時間を与え、料理する時間を与えること。「再生」ということばは、冒頭のテンパリングの時間を思い出させて詩的に響いた。

南インド料理は、石臼でスパイスをひき、土鍋で煮られ培われてきた。一方、稲田さんの著作ではキッチン・スケール、マジックブレットといった現代の調理器具が活躍する。こうした器具については、単に便利だから使うというのではなく、「かつてはなぜそんなことをやってたのかという理由が腑に落ちてから使う」と言っておられたのも印象的だった。個人のアイディアよりも、やはり集合知のほうがはるかに優れている。では、その集合知によって培われてきたことのどこに、料理を左右するものがあるのかを見極めて、どこは代替できるかを考える。こうした態度には、単なる効率主義とは違う、おいしい料理を作るための合理性が感じられた。

稲田さんはレシピ本の他にも多くのエッセイを著しており、その中では高級料理店のみならずファーストフードやファミリーレストランの味にも「おいしさ」が見出されている。三浦さんからは、料理に添えることばの力について問いかけがなされた。これに対して、稲田さんは意外にも「ロマン」という、計量主義とは一見相反するを使って答えた。稲田さんは、渡辺玲の本によって南インド料理への「ロマン」をかき立てられたという。じつはおいしさとは、生理学的な「味覚」+「ロマン」ではないか。ではその「ロマン」とは何か。さらなる例として稲田さんが挙げたのが、昔の農村の食事のことだった。農家ではある時期、一度に特定の野菜が大量に収穫される。いまのように冷蔵庫もなく直売場もなかった時代には、その大量の野菜の味噌煮込みを作り、ご飯のたびに出しては何日も食べ続けた。それを稲田さんは「なんてロマンのある話だろう」と感じるという。どうやら、稲田さんの言うロマンには、見知らぬ味への想像力のみならず、ある暮らしぶりがもたらす生の長い時間、そこに生まれる生活の甘みや苦みへと分け入っていく態度が含まれているようだ。

質疑応答では、食言説に関する鋭い質問が相次いだが、その都度、稲田さんは、単純な二分法を避け、矛盾するものを受け入れていくような答え方をした。たとえばからだによい料理とおいしい料理は両立するか、という質問に対して。バターは体にいいか悪いかと考えるのではなく、おいしいけれどカロリーが高いものだと考える。チーズはおいしいけれど塩分が多いものだと考える。バターを食べたなら、別のもののカロリーを少なくする。チーズを食べたら別のところで塩分を控える。たまにはハメをはずして食べたいだけ食べる。こうした稲田さんの答え方をきいていると、著書の中で徹底されている計量もまた、単に正確さを求める方法ではなく、0/1の二分法を逃れ、グラデーションを見出す方法なのだということがわかってくる。また、稲田さんの、一回の食事のおいしさだけでなく、長い目で見た食生活を見据える態度もうかがえる。

ところで、稲田さんが最もこれまで読んだ本で最も笑える料理は「青べか物語」に出てくる「玉葱ライス」なのだそうだ。さっそく読んでみたら、想像していたグルメ話とはまるで違っていた。人と人とのあいだで取り返しのつかない諍いが起こり、長い年月を経てそのできごとをやり直すための企みが虚しくやりとりされる。そこに、ふいに玉葱ライスが立ち上がる。矛盾を抱えたまま鮮やかになる、奇妙な味。壇上では詳しいお話をきく時間がなかったが、この話を選んだところに、稲田さんの食に対する感覚が見事に顕れていると思う。最後に、この、玉葱ライスの味をどこか彷彿とさせる稲田さんの名エッセイとして「ホワイトアスパラガスの所在」を挙げておこう。

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パフォーマンス・イベント概要

おいしい食はおのずとゆたかな言葉をたぐり寄せ、またその言葉は人をさらなる食のよろこびへと誘っていきます。雑誌やテレビに止まらず、YouTubeそしてInstagramやTwitterといったSNSにいたるまで、食をめぐる膨大な言葉がイメージとともに氾濫している今日、言葉と食べ物とはいったいどのような関係を取り結んでいるのだろう? その奔流のなかに生きる私たちにとって、食のよろこびはどのように変わりつつあるのだろう?──こうした素朴な疑問が、今回のパフォーマンス・イベントを企画するきっかけでした。

パフォーマンス・イベント「言葉と(食べ)物」。前半では、南インド料理ブームの火付け役、エリックサウス総料理長の稲田俊輔氏をお迎えし、コロナ禍ゆえに会食の禁じられたこの学会の場で、あえて実況解説つきでお料理をご披露いただきます。題してCook’n’Talk Show。メニューは当日までのお楽しみ。場に満ちる香りとおしゃべりから、ぜひ味わいを想像してみてください。後半では、『食べたくなる本』(みすず書房)で「料理本批評」というあらたな分野を開拓した映画研究者、三浦哲哉氏をステージに迎え、「食べること、書くこと、しゃべること」について、稲田氏と存分に語りあっていただきます。言葉と食べ物との関係を支えるエピステーメーが垣間見える時間になることを期待しましょう!

広報委員長:増田展大
広報委員:岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年10月23日 発行