第15回研究発表集会報告

ワークショップ1 誰が「決める」のか 即興演劇の上演形式「The Bechdel Test」における主人公像の協働構築の方法

報告:北村紗衣

日時:2021年12月4日(土)13:00 - 15:00

発表者:
園部友里恵(三重大学)
直井玲子(東京学芸大学)

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本ワークショップは即興演劇(インプロ)「ザ・ベクデル・テスト」を実際に組織者と参加者が実施するというものであった。インプロとは即興を意味するimprovisationの略語であり、本来は即興的な舞台芸術全般を指すが、一方で何らかのフォーマットだけを与えて参加者(役者とは限らない)にいろいろな演劇的アクティヴィティを即興で行ってもらう形式をインプロと呼ぶことがある。このワークショップでとりあげられたインプロ「ザ・ベクデル・テスト」はアメリカのリサ・ローランドが立ち上げ、サンプランシスコのインプロ専門カンパニーであるBATS Improvが2016年に初演したものである。

今回行われたインプロの名前のもととなった「ベクデル・テスト」とは、もともとは映画におけるジェンダーバイアスを測定するためのテストの名称である。ある映画においてキャラクターとして認識できるような女性登場人物が2人以上登場するか、その2人が会話をするか、その会話の主題は男性以外のものかをチェックして、全て満たしている場合はその映画はベクデル・テストをパスしていると見なせる(これを全てパスしている作品は意外に少ない)。アメリカのグラフィックノベル作家であるアリソン・ベクデルの作品にこうしたトピックに関する会話が描かれており、ここから「ベクデル・テスト」という名前がつけられた。インプロの「ザ・ベクデル・テスト」はもともとのベクデル・テストとは異なっているがそこからヒントを得て作られており、演劇におけるジェンダーバイアスを考えるものである。

組織者から序盤で説明があったように、インプロはゲームのような形式をとるものも多いが、「ザ・ベクデル・テスト」はそうではない。モノローグを用いて女性キャラクターを立ち上げ、その日常を描くことを主眼としている。説明によると、これまでのインプロ作りにおいてはそれ以外の演劇同様、無意識なジェンダーバイアスが強固に存在しており、インプロを行うと男性が中心的なキャラクターになって女性はその母や恋人など付属的なキャラクターになってしまうことが多かったということである。「ザ・ベクデル・テスト」はそうした問題点に向き合うためのインプロである。本インプロにおいては主人公が3名の女性と決まっており、この3名のさまざまな面を見せることにより、単線的な物語を避けて進行する。冒頭と結末に3人によるモノローグがあり、観客からものの名前を出してもらってそこから即興でモノローグを行う。さらに3人それぞれにペインター(painter)という人物がつき、モノローグを止めたり、観客とのやりとりを通じて人物の名前やキャラクターを決定したりする役割を果たす。

ワークショップでは解説があった後、実際に聴講者が参加する形で「ザ・ベクデル・テスト」が行われた。しかしながら、インプロを実施すると組織者がアナウンスした際に、報告文執筆者も含めて、カメラをオンにして映像を出せなかった聴講者が複数いた。おそらく実際にすぐインプロを行うセッションであるということを認識していなかった参加者がかなりいたと思われる。これは要旨にインプロを本格的に行う参加型セッションであるということを明確に示す表記がなかったことも関係していると考えられ、今後こうしたセッションをオンラインで実施する場合は冒頭に参加型のセッションであることを明記したほうがよいのかもしれない。また、インプロのフォーマットじたいがやや複雑で「ペインター」などという聞き慣れない役割も登場するため、フォーマットを簡単に説明する配布資料があったほうがよかったかもしれない。

「ザ・ベクデル・テスト」は、インプロのような一見どんな登場人物でも自由に作り上げられそうなものでさえ、意図的に介入しないでそのまま実施すると男性中心的なものになってしまいがちであるということを認識できるフォーマットである。わざわざ主人公を女性に設定しないと男性中心的な物語になりがちであるというのは他のメディアの作品においてもあることであり、このフォーマットはインプロを通してそうした芸術作品におけるジェンダーの偏りを考えられるようなものになっている。「ザ・ベクデル・テスト」を実施する中で、観客があげるものの名前などを通して男女で平均的な持ち物が意外に違うことなどがわかり、我々の日常がジェンダー化されていることに気付かされる。

一方で本報告執筆者は、「ザ・ベクデル・テスト」のようなフォーマットは役者や劇作家などが実施し、ジェンダーに対する意識を高め、クリエイティヴィティや演技力を伸ばすには非常に適したフォーマットであるように思われる一方、そうでない一般参加者が行うにはややハードルが高いところもあるという感想を抱いた。「ザ・ベクデル・テスト」は女性の日常生活を描き出すものであるため、あまりストーリーテリングに慣れていない一般参加者にとっては、最初は自分の日常にかかわる個人的な情報を出す以外にうまく参加するやり方がつかめず、不用意に私的でデリケートなことがらをさらけ出してしまうかもしれないという可能性がある。とくにモノローグについては完全に虚構のお話を作ってもよいものであるにもかかわらず、何も思いつかないと自分の個人的体験だけを話すことで終わってしまい、本人としてはあまり話したくないようなことなどを不用意にほのめかしてしまうかもしれない。この点についてはセッションの中でも言及されていたことであり、注意が必要である。近年、舞台芸術においてはワークショップなどで役者に個人的経験を共有させるというプロセスが行きすぎるとハラスメントにつながり得るということが認識されるようになっている。たとえばロンドンのロイヤル・コート劇場では、信頼関係に基づく自発的な経験の共有はしてよいが、一方的に相手に経験を話させるよう要求するような行動は避けるようにというガイドラインを2017年に作っている*1。これは「ザ・ベクデル・テスト」のみならず、多くのインプロや作品づくりの際に気をつけねばならない一般的な注意事項であると言えるだろう。

*1 Royal Court Theatre, ‘A Code of Behaviour’, https://royalcourttheatre.com/code-of-behaviour/, accessed 9 January 2022.

演劇をしたことのない参加者にとっては、日常生活よりももう少しファンタジー的あるいはドラマティックな設定を用意したほうが入りやすいということもあるのかもしれない。一般的に、これまで演劇や文学などにあまり触れたことがないような人がアマチュア上演や読書会などに参加しても最初はなかなか自分のクリエイティヴィティを発揮することが難しく、初心者の段階では既にあるドラマティックな物語を通して自分の感情を表現したり、アイディアを明確化したりするほうがやりやすいのではないかということが指摘されている*2。今回、インプロのワークショップに参加して、テーブルトークRPGやライヴRPGなどの参加者が役を演じるゲームの多くはあまり日常的ではないような設定を有しているものの、非常にインプロに近いものがあり、初心者の参加を考える上では参考にすべきものがあるのではなかと思った。このような参加型の演劇ワークショップは多様な芸術を扱う表象文化論学会で実施するには非常にふさわしいものであり、今後はテーブルトークRPGとの交流セッションなど、より学際的な企画につなげていくのも可能であろう。

*2 これは刑務所における演劇教育や文学教育について、学術書でも一般書でもあげられている論点である。Jean Trounstine, Shakespeare Behind Bars: One Teacher’s Story of the Power of Drama in a Women’s Prison, University of Michigan Press, 2004、Rob Pensalfini, Prison Shakespeare: For These Deep Shames and Great Indignities, Palgrave Macmillan, 2015、アン・ウォームズリー『プリズン・ブック・クラブ──コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』向井和美訳、紀伊國屋書店、2016などを参照。


ワークショップ概要

舞台に立つ演者自身が自らの台詞や振る舞いをその場で紡いでいく即興演劇の世界では、「即興」であるがゆえに演者自身の有するジェンダーバイアスが物語構築のなかに持ち込まれることがある。こうした即興演劇におけるジェンダーバイアスの問題を扱う実践として、上演形式「The Bechdel Test」(以下「BT」と略記)がある。BTは、2016年に米国の即興演劇団体「BATS Improv」によって、主人公の多面的で複雑な姿を描き出すことを目的に開発された。主人公を3人の女性とし、各々のモノローグから始まる。各モノローグの途中で「ペインター」と呼ばれる演者がモノローグを中断させ、主人公の名前や身の回りにあるものなどを観客に問いかけ、主人公像を構築する手がかりとなるワードが決められていく。登壇者らは、日本でBTを開発者から継続的に学び、定期的にオンラインで上演してきた。

本ワークショップでは、BTの「はじめのモノローグ」及び「ペインティング」に焦点化し、これまで登壇者らの実践事例を紹介するとともに、当日登壇者らが実演したり、参加者とともにアクティビティを実際に体験しながら、BTにおける主人公像の協働構築の方法について検討していく。そのとき着目したいのが、“誰が「決める」のか”ということである。主人公像を決めるのは、主人公を担う演者自身なのか、ペインターなのか、観客なのか。ペインターの観客への問いかけによって、そこで描かれる主人公像がいかに変わるのかを丁寧に捉えていきたい。

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年3月3日 発行