編著/共著

フランソワ・ベール、ドニ・デュフール、宮木朝子、ほか(分担執筆)
檜垣智也 (編)

アクースマティック!

engine books – difference
2021年8月
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「アクースマティック」。見ることなしに聴くこと。
ギリシャの哲学者ピタゴラスが、自らの姿を幕の後ろに隠して”音声のみで”弟子たちに語ったという逸話があり、その弟子たちは「アクースマティコイ(聴聞派)」と呼ばれた。

その時の「アクースマティック=見ることなしに聴く状況」に着目したのが、ミュジック・コンクレートの創始者である作曲家ピエール・シェフェールである。彼は録音によって音源や文脈から切り離された音を聴く時の状況を「アクースマティック」と捉え、その時の聴取はフッサールの現象学的還元に基づく「還元的聴取」であると定義した。この音楽では、録音することができる音なら何でも音楽を構成する要素になりうる。演奏する姿から切り離された楽音、視覚的な情報から切り離された鉄道の音、といった互いに関連を持たない音が全て、電子的な処理と加工を施され、関係付けられ、磁気テープなどの固定メディア内に封じ込まれる。

この音楽は1974年、シェフェールの後継的立場である作曲家フランソワ・ベールによって「アクースマティック音楽」として再定義され、スピーカー群を配置した空間内に立体的に投影することで、その姿を現す、とされた。この空間投影装置として考案されたシステムが「アクースモニウム」である。そしてその上演空間は暗闇の空間を理想とし、そこでは聴覚のみによる体験がなされる。ここでも「アクースマティック」な、”見ることなしに聴く状況”が生み出されるのだ。

本書は、今から半世紀ほど前に発想されたこのジャンルについて、発祥の地フランスと日本で創作や研究を実践している作曲家、研究者の論考を中心に構成されている。

第一章では「アクースマティックの歴史」として3本の論考が連なる。創始者ベールの冒頭の論考における、作曲者としての踏み込んだ実践からの記述は、時に言語的な難解さ、概念の混乱を招きつつも、音の空間化、そのコンポジションの発想という意味で、現代の立体音響空間技術にとっても示唆に富んだものとなっている。続いて、その次の世代のINA-GRMのメンバーの作曲家ドニ・デュフールと作家トマ・ブランドーによる共同の論考では、これらの音楽は「メディアを通して存在する音響芸術」と定義され、その前身の試みから数えて70年を越す創作の歴史が詳細に語られる。そして、日本におけるアクースマティック受容の原点として取り上げられた秋山邦晴の論考では、シェフェールのミュジック・コンクレートの着想について、シュルレアリスムとの関連から「音のオブジェの思想」として論じられる。

第二章には「日本の作曲家とアクースマティック」として、本書の編者であり日本にアクースモニウムを本格的に紹介した檜垣智也のエッセイ、この音楽が前提とする録音再生技術について「録楽」という造語により問いかける三輪眞弘の論考、シェフェールとは考えの違いから袂を分かつもその後独自の「逸話的」アクースマティック音楽により世界的知名度を得たリュック・フェラーリについての佐藤亜矢子の論考、ベールのアクースモニウムのシステムをその「音響スクリーン」のコンセプトから「聴覚的立体映像の”現像”」を促すものとして解釈する筆者の論考が収録されている。
 
第三章の「楽器としてのアクースモニウム」では、上演時のシステムについて論じられる。ベールは本書の中で、自分たちの世代がステレオフォニックの到来に立ち会ったことを強調し、その前の世代のモノフォニック、マルチモノフォニックと対比させている。「ステレオによる音の”位置が定まらない”という現象と、ヴァーチャルサウンドのスクリーン上に”どこからともなく”音が出現するという現象」が、ベールに動機を与えた。これこそが、アクースモニウムの発想の原点、スピーカーとスピーカーの間の何もない空間に音像が確認されること、その場所を呼ぶ「音響スクリーン」という言葉である。アクースモニウムとは、この「音響スクリーン」を構成するスピーカーの組が、音色・音圧・距離・空間内の位置が多種多様になるように空間内に複数配置されるという再生システムである。そして、どの音響スクリーンにいつどのくらいその元となるステレオ音像が投影されるかがリアルタイムに選択され、その出力がコントロールされることを、”演奏”とする。こうした”演奏”の解釈をめぐり、本章ではまず檜垣によって、ライブ演奏により再創造されるアクースモニウムの祝祭性が論じられる。続くナタナエル・ラボワソンとピエール・クープリの論考では、アクースモニウムの演奏分析について美学/デジタル音楽学の角度からアプローチした最新の成果が報告される。

国営放送のラジオ技師であったシェフェールに、ミュジック・コンクレートの着想の最初のきっかけを与えたのは、ラジオであった。ラジオから聴こえるまさにアクースマティックな音声は、聴取する人々に”摩訶不思議な”印象を与え、それは新しいコミュニケーションの様態を生み出した。さらに、繰り返し再生できる音は、観察し、実験を重ねることのできる対象となり、ここから新しい聴覚芸術が発想されることとなる。「アクースマティック」をめぐる音響芸術とは、今ここではない場所で、いつ起きたのかわからない出来事を、今ここで自分が聴いている、という、当時の人々が感じた”摩訶不思議さ”が原点にある。今私たちは日常的に「アクースマティック」な音を聴き、時に自分の身体の所在すら明かさないままに実体の見えない誰かとコミュニケーションをとっている。そしてそれは私たちのなかにある種の魔術的な印象や違和感を残し、時には恐怖心にも似た作用を起こさせているのかもしれない。本書は、今尚その全貌が明らかにされない「アクースマティック」な状況をめぐる芸術表現についての、まさに現在進行中の実践からくる一つの問題提起として読まれるべき著作と言えよう。

(宮木朝子)

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年3月3日 発行