第15回大会報告

パネル5 新出資料から見る別役実の世界

報告:辻佐保子

日時:2021年7月4日(日)16:00-18:00

・別役実作品における「沈黙」──少年期の創作から/梅山いつき(近畿大学)
・別役実の宮沢賢治受容──『銀河鉄道の夜』を視座として/後藤隆基(早稲田大学)
・「そよそよ族」から「小市民」へ──別役実「貧困」の思想/岡室美奈子(早稲田大学)

【コメンテーター】谷岡健彦(東京工業大学)
【司会】岡室美奈子(早稲田大学)

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2020年3月、劇作家・別役実が世を去った。早稲田大学演劇博物館には生前と逝去後の2度に渡って膨大な資料が寄贈され、演劇映像学研究拠点で結成された研究チームが草稿の整理・調査にあたった。その成果として、一つには演劇博物館の特別展「別役実のつくりかた──幻の処女戯曲からそよそよ族へ」(2021.05.17〜2021.08.06)が、もう一つには本パネル「新出資料から見る別役実の世界」が位置づけられる。以上の経緯が司会者の岡室美奈子氏より語られた後、発表へと進んだ。

後藤隆基氏の「別役実の宮沢賢治受容──『銀河鉄道の夜』を視座として」は、別役が1985年にアニメ映画『銀河鉄道の夜』の脚本を手がけて以降、宮沢賢治からの影響が見られる作品が増えたことに着目し、アニメ映画『銀河鉄道の夜』と1987年のラジオドラマ『帰ってきたジョバンニ』、同87年の文学座公演『ジョバンニの父への旅』とを横断しつつ、『銀河鉄道の夜』アダプテーションが別役にどのような転回をもたらしたかが、「共同体と個人の問題」から検討された。

まず、アニメ映画では最終稿と演出台本でラストシーンが変更されていることに注目された。最終稿ではジョバンニが「僕は知っておくよ」「いつまでも」とその場にいないカムパネルラに語りかけるが、演出台本では台詞が「どこまでも一緒に行くよ」に変わっている。この相違は、カムパネルラの死を受容しているか否かに現れている。なお発表では、監督・杉井ギサブローが別役から「ジョバンニと一緒に僕も汽車に乗っていいか」と尋ねられ、結果、盲目の無線技師というオリジナル・キャラクターが誕生したという逸話も紹介された。

続いて、1987年発表の『帰ってきたジョバンニ』と『ジョバンニの父への旅』の分析へ進んだ。原作では牛乳瓶を手に帰ろうとするジョバンニだが、この2作品のジョバンニは共に、そのまま汽車に乗って放浪の旅に出てしまう。物語は数十年後にジョバンニが帰還するところから始まり、一度離脱した共同体へ再び参加するために、ザネリを川に突き落とした罪を(偽証であっても)受け入れ、カムパネルラが死んだことを受け入れなければならない。ちなみにジョバンニにカムパネルラの死を認めるよう促すのは、どちらも父的な存在(『帰ってきた〜』ではブルカネロ博士で、『ジョバンニの〜』ではジョバンニの父)である。「どこまでも一緒に行くよ」とこの先もカムパネルラと共にあることを告げたアニメ映画のジョバンニは、ラジオドラマと文学座公演では過去の痛みを現在において引き受けていく。ここに別役の宮沢賢治の受容の転換が窺える。

最後に、2004年の『賢治幻想 電信柱の歌』と、その草稿と思われる『おや、賢治さん、どちらへ、うん、ちょっと、そこまで』が取り上げられた。共に、喪った妹トシとの関係を手がかりに、宮沢という「家」からの脱却と自己探究を賢治は試みている。1987年の作品では『銀河鉄道の夜』の読み替えに父的存在が大きな位置を占めていた一方、2004年の作品では家や親ではなく妹との関係から読み替えが試みられていると指摘された。別役の宮沢賢治受容が変転を続けたことが発表から窺えた。

続く梅山いつき氏の「別役実作品における「沈黙」──少年期の創作から」では、社会から周縁化されつつじっと「沈黙」し、救いを拒絶し耐え続ける人々が別役作品にしばしば登場することに着目され、別役が「沈黙」を通じて社会に向き合う人々の姿を生み出した経緯が、少年期の作文や詩、初期の創作ノートや幻の戯曲『ホクロ・ソーセーヂ』の草稿から検討された。

まず早大で演劇と出会うまでの間に、貧困と絵画、そして文学がいかに影響を与えたかが辿られた。別役は終生、中学時代の美術教師・上原正三による「リンゴが美しいのではない。それがそこに在るから美しい」という言葉を大事にしていたという。また、障がい者を取り巻いていた「不幸なのだから愛さなければならない」という共同体の偽善的な論理に対し、別役が幼少期から強い違和感、ひいては「憎悪」を抱いていたことが確認された。

以上を踏まえ、1958年から60年にかけて執筆された『ホクロ・ソーセーヂ』の3つの草稿と完成稿の分析が行われた。『ホクロ・ソーセーヂ』は当初散文形式だったが、演出家・鈴木忠志のすすめで戯曲へ書き換えられた。執筆とおよそ時同じくして出会ったサミュエル・ベケットに別役は大きな影響を受けており、『ホクロ・ソーセーヂ』も「近代リアリズム」とは異なる所謂「不条理」な世界観が描かれている。古アパートでソーセージを作る肉屋の夫婦の内、妻が消える。夫が殺してソーセージにしたという噂が流れ、住民は買わなくなる。アパート内のスキャンダルで終わらず、姿の見えない「町」が肉屋に対する迫害として住民を糾弾する。住民たちは証拠を見つけようとソーセージを切り刻み、「ホクロだ」と掲げるところで劇が終わる。

この作品について梅山氏は、幼少期からの流れと、その後の作品への系譜を次のように論じた。まず、アパートの住民たちが「町」の悪意に抗うために対話を拒絶し物証にこだわる姿に注目し、上原氏から受け取った「それがそこに在る」ことを別役が演劇として表現しようとしていること、ひいてはその後の作品へ連なる「沈黙」の萌芽が見られると指摘された。また憎悪を向ける「町」の姿には、別役が幼少期から違和感を覚えていた共同体の偽善性が影響を及ぼしているとも述べられた。最後に、『ホクロ・ソーセーヂ』では「沈黙」は重要な位置を占めているものの、正当性を示すためにはただ「在る」だけでは叶わず、住民たちは「あった」と言葉を発しなければならない矛盾を抱えていることが整理され、この矛盾を解消し「それがそこに在る」ことをいかに伝えるかがその後の別役の課題となったと述べられ、発表は締めくくられた。

最後に岡室美奈子氏の「『そよそよ族』から『小市民』へ──別役実「貧困」の思想」は、別役がベケットの『ゴドーを待ちながら』だけでなく深沢七郎の『楢山節考』からも影響を受けていたのではないかという問題意識が出発点となっている。別役にとっては、『ゴドーを待ちながら』と『楢山節考』はともに前近代と近代を結びつける作品であったという。『楢山節考』からの影響がいかに別役作品で結実しているかという問いに対し、発表では主に『そよそよ族の叛乱』と『あーぶくたった、にいたった』について「貧困」「餓死」「雪」のモチーフから分析がなされた。

「そよそよ族」とは太古の失語症民族であり、言葉では主張せず空腹時には餓死することで訴える沈黙の民で、町に「そよそよ族」の死体があふれかえらないのは優しさによって隠蔽されてきたからという設定を持つ。『そよそよ族の叛乱』では、飢え死にさせてしまった責任を取り、加害者性を引き受けようとする人々の姿が描かれる。『楢山節考』では、山に捨てられ餓死する伝統を老女おりんが引き受け、自己犠牲や葛藤とは無縁に着々と準備を進める姿が強い印象を残す。別役が『楢山節考』を研究発表するほど熱心に読んでいたという早大時代の盟友・喜多哲正の言葉を補助線とすることで、『楢山節考』で描かれる選択の上での餓死が『そよそよ族の叛乱』に影響を及ぼしていたと解釈することが可能となる。他方岡室氏は、『楢山節考』における前近代性、要はおりんを欠いていることが『そよそよ族の叛乱』の限界とも指摘する。なぜなら、『楢山節考』のおりんがある種ポジティブに餓死に向かう一方、『そよそよ族の叛乱』は餓死を外部から語る人々の物語であるからである。語りの視点がおりんから辰平へと移り変わる『楢山節考』に引きつけるなら、『そよそよ族の叛乱』はいわば辰平の語りが基盤となった作品なのである。発表では、この限界は『あーぶくたった、にいたった』で乗り越えられたと論じられる。

『あーぶくたった、にいたった』は、1974年に別役が文学座の俳優と演出家・藤原新平と出会ったことで生まれた。文学座の俳優陣は生活の所作を表現することに長けており、童謡やわらべ歌の引用も相まって、貧困の中で雪に閉ざされ餓死する夫婦の姿が具体的に立ち上がる作品とされる。『あーぶくたった、にいたった』には辰平の存在が不在であり、語られることなく「沈黙」の中で雪に閉されたいと願う夫婦の姿で幕切れを迎える。選択の果ての餓死が他者による語りではなく実践として提示されていることに、『そよそよ族の叛乱』から一歩踏み込んだ『楢山節考』の影響が見出されると発表では結論づけられた。

コメンテーターの谷岡健彦氏からは、3つの発表はいずれも「町」や「共同体」がキーワードとなっているが、その意味合いは若干ズレていると指摘された。ジョバンニが戻ってくる町は優しく、『そよそよ族の叛乱』の町は優しい一方で息苦しく、『ホクロ・ソーセーヂ』の町は憎悪を向けてくる。この指摘に対し梅山氏からは、別役作品では優しさと憎悪はセットで、どちらが強調されるかが異なっていると応答があり、また岡室氏からは、町が姿の見えない外部となっているか町の中にいるかの違いもあると返答がなされた。また谷岡氏からは、別役作品における殺人の表象も問いかけられた。初期には必ず殺人が生じていたが、後期では必ずしも殺人がなされないという変化について、後藤氏からは「殺す」という行為に対して込められる意味が複雑化していったのではないかと指摘がされた。また梅山氏は、タブーをあえて侵すことで共同体からの無言の圧力に対する抵抗が「殺す」行為に込められていたのではと述べると共に、前近代と近代の接続にも関係しているのではないかと示された。そして岡室氏からは、別役の愛情の描き方の変化が過激なものから変遷していったのではないかと応答があった。

他にも、1970年代の障がいを巡る制度や言論の問い直しと別役作品における表象との関係や、文学座上演での別役の受容、歌を切り口とした別役と深沢の関係など、多様な論点から活発な質疑応答がなされた。また、演劇博物館への寄贈資料の量について問われた際に、3つの発表で扱われた作品や資料はまだ一部であることが述べられた。今後資料の精査が進むことで、別役実を巡って多角的な研究が更に活発化していくことであろう。本パネルは、その先鞭をつけるものと言える。

(辻佐保子)


パネル概要

1960年代から劇作家として日本の演劇界を牽引し、童話作家やエッセイストとしても活躍した別役実は、2020年3月に永眠した。早稲田大学演劇博物館は、2019年、20年の2度にわたり、別役資料の寄贈を受けた。その中には膨大な自筆原稿や創作ノート、幼少期の作文や日記等、これまで知られていなかった幼年期から青年期にいたる別役の実像を示す決定的な資料が多数含まれている。
本パネルでは、それら新資料の検討を通して、従来の別役研究とは異なる視座を提示するとともに、別役の創作過程や思考の内実に肉薄する。梅山は、少年期の作文や若き日の創作ノート、そして幻の処女戯曲とされてきた『ホクロ・ソーセージ』に光を当て、別役作品における「沈黙」のルーツを探る。後藤は、別役が多大な影響を受けたと思われる宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を題材としたアニメーション映画やラジオドラマの脚本を公刊されている台本・戯曲と比較し、別役の宮沢賢治受容を考究する。岡室は、日記や創作ノートに垣間見える「貧困」や「飢餓」に対する意識を手がかりに「そよそよ族」という概念が成立した背景を探り、『あーぶくたった、にいたった』など「小市民もの」と称される戯曲へと至った道筋を考察する。
本パネルでは、新資料を精査することで、飄々とした印象の強かった別役の生々しい声に耳を傾け、独特なドラマトゥルギーや思考法がどのように醸成されていったかを明らかにすることを目指す。

別役実作品における「沈黙」──少年期の創作から/梅山いつき(近畿大学)
別役実は一四〇を超える劇作品を世に送り出し、同世代の作家の中では横に並ぶ者はいない程の多作家であった。そんな別役の作家としての哲学を紐解く鍵は、多作な一面に反して、「沈黙」であった。
初期代表作『象』(1962年)を発表時、別役は「あらゆる世界に対して誠実であるためには沈黙するのみである、という鉄則を前提にして、如何に職業芸術家は文体を持続させ得るか?という点から私の計算がはじまる」と、あたかも言葉の無力さを認めるかのような文章を発表している。この発言に呼応するかのように、別役作品には社会の周縁に追いやられながらも、不満の声をあげることなくじっと耐え続ける人々がよく登場する。こうした人物たちは、同情から救いの手を差し伸べられることを拒絶し、差別や貧しさにじっと耐え続けようとする。では、こうした「沈黙」で社会に抵抗を示そうとする人々には、別役の作家としてのどういった姿勢が投影され、何が別役を「沈黙」に向かわせたのだろうか。
本発表では、創作の原点を少年期にまで遡り、別役が劇作を通じて注ぎ続けた「人」「もの」に対する眼差しの萌芽を少年期の作文や詩に確認する。さらには、幻の初女戯曲とされてきた『ホクロ・ソーセージ』の三つの草稿を比較することで、別役が劇言語を獲得していく背景にはどのような問題意識があったのかを探る。

別役実の宮沢賢治受容──『銀河鉄道の夜』を視座として/後藤隆基(早稲田大学)
満州で過ごした少年時代、父親の蔵書から宮沢賢治を知った別役実は、自身が童話を書くうえでもっとも刺戟を受けた作家として賢治の名を挙げており、その影響は劇作や評論など広範な文業全体に及ぶ。とくに別役が愛着を抱いていたのが『銀河鉄道の夜』である。
別役と『銀河鉄道の夜』の交点として、まず1985年公開のアニメ映画『銀河鉄道の夜』(杉井ギサブロー監督)の脚本を担当したことが挙げられよう。登場人物を猫化した、ますむらひろしの漫画を原案とする同作の脚本は原作にきわめて忠実だが、別役は「盲目の無線技師」という独自のキャラクターを登場させた。
また、アニメ映画の公開から約2年後、別役はふたつの『銀河鉄道の夜』を発表した。NHKのFMシアターで放送されたラジオドラマ『帰ってきたジョバンニ』(1987年4月11日)と文学座がアトリエで初演した『ジョバンニの父への旅』(同年5月)である。これらは、原作小説の最後でカムパネルラの父と別れたあとのジョバンニが家に帰らず、汽車に乗って放浪の旅に出たという、原作から数十年後の時間を描く点で共通する。
別役は『銀河鉄道の夜』をどのように読み解き、創作に展開したのか。本発表では、アニメ映画『銀河鉄道の夜』の「最終稿」と書かれた台本と公刊されている演出台本、ラジオドラマ『帰ってきたジョバンニ』の台本と戯曲『ジョバンニの父への旅』をそれぞれ比較し、別役実の宮沢賢治受容について検討する。

「そよそよ族」から「小市民」へ──別役実「貧困」の思想/岡室美奈子(早稲田大学)
別役実は1971年に戯曲『そよそよ族の叛乱』を発表する。そよそよ族とは太古の失語症民族で、空腹でもそれを決して主張せず、餓死してみせることで訴える沈黙の民のことである。この「そよそよ族」のイメージは別役の中で醸成され、その成り立ちと歴史を壮大なスケールで描いた『童話 そよそよ族伝説』シリーズに結実する。
新出資料からは、「そよそよ族」という軽やかなネーミングや飄々とした別役の佇まいとは裏腹の、自身の体験に根差した「貧困」に対するリアルな感情が読み取れる。本発表では、別役の日記や創作ノート、草稿類を参照しつつ、「貧困」がどのように別役にとって語り続けるべきテーマとなり、そよそよ族の発明を経て、どのように『あーぶくたった、にいたった』(1976年)や『にしむくさむらい』(1977年)など、いわゆる「小市民もの」と呼ばれる作品に昇華されていったのかを考察する。
初期別役はベケットの『ゴドーを待ちながら』の劇構造から多大な影響を受けたが、同時に、日本の芸能や童話、童謡の言語や前近代的な風土にも強い関心を寄せていた。しかしこれまで、双方に目配りしつつ、別役の70年代前半の寓話的な作品と後半以降の「小市民」ものの連続性を明らかにする研究はほとんどなされてこなかった本発表では、新資料に加えてベケットと深沢七郎を参照項とすることで、劇構造と言語の両面から、70年代を貫く別役のドラマトゥルギーと思想を考察する。

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2021年10月25日 発行