トピックス

公開研究会 第1・2・3回「情動」論オンライン研究会

報告:難波阿丹

第1回「情動」論オンライン研究会「ポストフォーディズムと男性性──感情管理、コミュ力、クリップ」

【日時】2020年12月13日(日)14:30-16:45(日本時間)
【会場】オンライン(無料)
【プログラム】
講演:河野真太郎(専修大学)
司会:遠藤不比人(成蹊大学)

14:30-14:35 趣旨説明:柿並良佑(「情動」論研究会、山形大学)
14:35-14:45 開会の挨拶:遠藤不比人(司会、成蹊大学)
14:45-16:00 講演:河野真太郎(専修大学)「ポストフォーディズムと男性性──感情管理、コミュ力、クリップ」
16:00-16:30 討論:河野真太郎・遠藤不比人
16:30-16:45 質疑応答

【使用言語】日本語
【主催】「情動」論研究会
【助成】科研費基盤研究(B)「英国モダニズムにおける反心理学の系譜に関する学際的かつ国際的研究」(研究代表:遠藤不比人、研究課題番号18H00653)


第1回「情動」論オンライン研究会では、専修大学国際コミュニケーション学部の河野真太郎氏を招いて、「ポストフォーディズムと男性性」に関するご講演をいただいた。

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河野氏は現代を新自由主義とポストフォーディズムの時代としてとらえたうえで、第二派フェミニズムにおけるリベラルフェミニズム的要素がいかにして自由主義の取り込みを被ったかを、さまざまな文化作品や表象を通じて検証していることを述べられた。今回の講演では、とりわけ「労働」の観点から、コミュニケーション能力や「感情労働」が中心化するポストフォーディズムを課題とし、女性内部の階級分化を乗り越える連帯の可能性を示唆されている。河野氏は、このようなフェミニズムに応答する男性性を考えるうえでクイア理論と障害学が合流したクリップセオリーを導入することを提起され、『もののけ姫』(1997年)等の障碍者のワークフェアと新たな健常者中心主義の例を挙げられた。ポストフォーディズムにおいては、「情動労働」が前景化され「コミュ力」が労働の資源となる。

次いで、河野氏は『恋愛小説家』(ジェイムズ・L・ブルック監督、1997年)を例に、同作が登場人物のメルヴィンというキャラクターにおいて、コミュ力欠如、障害、非モテが一体化して表象されていることを議論し、男性性の不調を一挙に乗り越える物語となっているとした。そのさい、不調の乗り越えは、非異性愛的セクシュアリティーと障害を、他者たるサイモン(とスペース)へと投射し、規範的身体を獲得することで可能になっているとしている。

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また、河野氏は『英国王のスピーチ』(2011年)を取り上げ、ジョージ6世(アルバート)が吃音を克服しコミュ力を獲得する物語と紹介したうえで、同作がコミュ力によって就労可能性を切り分ける現代的な「健常者主義」をあらわしており、コミュ力の高いヒトラーとの対照で、アルバートがリベラルなイギリス国体と重ね合わされ、異性愛的男性性を勝ち取っていく複層的なナラティブが看取されるとした。今回の講演で紹介された二作はフェミニズムに適合して男性性が作り直された物語であるが、『ジョーカー』(2019年)のように、ネオリベ的な主体の立ち上げに対して、逸脱し排除された男性性の暴走の物語も存在する。

講演会ののちの討議では、ケア労働と男性性、新自由主義的なイデオロギーと社会的階級との関連性、エイセクシュアリティーと障害の混合等の問題が提起された。アンガーマネジメントがかなわない労働者たちが排斥されがちなポストフォーディズム時代において、感情管理は個人の内面に還元するのみでは語りえないと考えられ、「情動労働」の能力を決定する複合的要素の解明が「情動」論研究会の今後の課題として示された。

(難波阿丹)

*本研究会はJSPS科研費基盤研究(B)「英国モダニズムにおける反心理学の系譜に関する学際的かつ国際的研究」(研究代表:遠藤不比人、研究課題番号18H00653)の助成によるものである。


第2回「情動」論オンライン研究会「The Subject of Affect: Bodies, Process, Becoming(情動の主題:身体、プロセス、生成)」
【日時】2021年2月20日(日)18:30-20:00(日本時間)
【会場】オンライン(無料)
【プログラム】
講演:リサ・ブラックマン(ロンドン大学)
司会:飯田麻結(ロンドン大学)

18:30-18:35 趣旨説明:飯田麻結(「情動」論研究会、ロンドン大学)
18:35-19:35 講演:リサ・ブラックマン(ロンドン大学)「The Subject of Affect: Bodies, Process, Becoming(情動の主題:身体、プロセス、生成)」
19:35-19:50 解説:飯田麻結
19:50-20:00 質疑応答

【使用言語】英語、日本語
【主催】「情動」論研究会
【助成】科研費基盤研究(B)「英国モダニズムにおける反心理学の系譜に関する学際的かつ国際的研究」(研究代表:遠藤不比人、研究課題番号18H00653)


第2回「情動」論オンライン研究会では、ロンドン大学MCCSのリサ・ブラックマン氏を招いて、「情動の主体:身体、プロセス、生成(The Subject of Affect: Bodies, Process, Becoming)」と題するご講演をいただいた。

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はじめに、ブラックマン氏は、アフェクト研究に関する、アートと人文学を横断する学際的な研究成果として、1970年代の雑誌『イデオロギーと意識』(Ideology and Consciousness)と1984年の記念碑的著作『変化する主体:心理学、社会的規範、そして主体性』(Changing the Subject: Psychology, Social Regulation and Subjectivity)の著者たちの活動を紹介した。

ブラックマン氏の仕事は、身体学、メディア論、そしてカルチュラル・セオリーの交錯する領域に形成され、ミシェル・フーコーと精神分析学による主体の理論化を用いることで、力、ガバナンス、そして主体の問題に対して心理社会学的アプローチを発展させている。アフェクト理論の端緒は、1995年にイヴ・コソフスキー・セジウィックとブライアン・マッスミが発表した2つのエッセイにあると一般的には知られている。ブラックマン氏は、セジウィックとマッスミが言説的アプローチをなした伝統的領域として、マッスミ-ドゥルーズ-スピノザの大陸系の哲学的系譜と、サラ・アーメッドが「感情の文化的政治(“the cultural politics of emotion”)」と呼ぶフェミニズム、文化的人種研究、そして表象の政治を取り上げられた。両方の系譜は、理論的、研究的、方法論的イノベーションをもたらし、社会科学と人文学を架橋する研究として突出していたという。

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ブラックマン氏は、アフェクト研究が人文学をまたいで、建築、デザイン、アート、演劇、動態的研究、美術館研究分野に重要なインパクトを持っているとし、アフェクトの語は、異なるディシプリン、歴史、現象、実践、経験を横断して、単一の研究領域に収束せず、競合するパースペクティブと多くの鍵となる論争の渦中で多様な仕方で用いられている点を指摘された。そこで、ブラックマン氏は「アフェクトとは何か」という問いを改めて提起し、アフェクトが使用される例として、意識の閾値下における雰囲気、強度、感情、感覚、視覚の感度、センセーション、生命力、認識とアテンションのモードがあげられるとした。すなわち、この研究領域は、生を形作り支配する感情、強度、感覚、ムード、雰囲気の力を考察するとし、アフェクトはまた、個別具体的な(人間の)身体によって包含されない経験の記録に言及すると言うのである。それらは、身体的と認められうる経験の形式であり、意識の境界に存在し、われわれの他者との遭遇に対して、エナジー、動き、強度、フロー、生命力、そして不活性や慣性をも提供する。

次にブラックマン氏は、アフェクトをめぐる主要な論争に、人文学と科学が交錯する領域におけるウェザレル(Margaret Wetherell)の身体論等を紹介し、ブラックマン氏自身の著書『非物質的身体:アフェクト、生成、メディエーション』(Immaterial Bodies: Affect, Embodiment, Mediation, 2012)で論じたアフェクト研究の起源に19世紀の生気論者ウィリアム・ジェームズ、ガブリエル・タルド、ボリス・シディス、アルバート・ノース・ホワイトヘッドの言説を認め、彼らが多様な境界を超越する現象として、初期メディアと関連するコミュニケーションのテレパシー的、前認知的、催眠的、感染的形式を調査することで、インスピレーションを得ていた点を説明した。ブラックマン氏が取り上げるノンリニアで過剰性をはらむ「亡霊的なデータ(haunted data)」は「奇妙な科学(“weird science”)」へと開かれている。

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また、ブラックマン氏は、身体が単一的に存在するのではなく、共-進化、共-出現、共-示唆、共-実践へと開かれる「イベント」であるとした。講演会の最後には、心理学的個人主義(psychological individualism)に挑戦するプロジェクトとして、ナラティブの形式をとらない「声」を聴きとる「ヒアリング・ヴォイシーズ・ムーヴメント(the Hearing Voices Movement)」が焦点となり、その後の討論では、現代のコミュニケーションのモードを探索するうえでアフェクトが持つ意義が幅広く議論された。

(難波阿丹)

*本研究会はJSPS科研費基盤研究(B)「英国モダニズムにおける反心理学の系譜に関する学際的かつ国際的研究」(研究代表:遠藤不比人、研究課題番号18H00653)の助成によるものである。


第3回「情動」論オンライン研究会「音楽美学と感情の哲学」

【日時】2021年3月20日(土)14:30-16:45(日本時間)
【会場】オンライン(無料)
【プログラム】
講演:源河亨(九州大学)
司会:難波阿丹(聖徳大学)

14:30-14:40 趣旨説明:難波阿丹(「情動」論研究会、聖徳大学)
14:40-16:00 講演:源河亨(九州大学)「音楽美学と感情の哲学」
16:00-16:30 討論:源河亨・難波阿丹
16:30-16:45 質疑応答

【参考図書】
『感情の哲学入門講義』
『悲しい曲の何が悲しいのか:音楽美学と心の哲学』

【使用言語】日本語
【主催】「情動」論研究会
【助成】科研費若手研究「古典映画期における観客のアテンション管理ーグリフィスの映像アーカイブを中心として」(研究代表:難波阿丹、研究課題番号18K12232)


第3回の「情動」論オンライン研究会では、九州大学大学院の源河亨氏に「音楽美学と感情の哲学」と題したご講演をいただいた。

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音楽がもつ「悲しみ」をどうとらえるべきかという問題意識のもと、源河氏は、はじめに、「感情」は、自分を取り巻く環境への評価であるとし、音楽と感情に関する問題点の整理を行い、悲しい時に悲しい音楽を聴いた方がよいという「同質性の原理」、音楽の好みの違いで出てくる影響、個人的な体験などと結びついた音楽等は取り上げないことを示されている。 

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音楽は音の配列であるのに、それが悲しみを喚起するという事態は、何を意味しているのだろうかという問いに対して、源河氏は、聴き手に対応する感情を喚起するという「喚起説」、音楽と感情がそれぞれ類似しているという「類似説」、作曲者の心の表出とする「表出説」を紹介、それぞれの問題点を解説した。

「喚起説」に関しては、哲学・美学では支持されていない仮説であり、音楽の感情と聴き手が持つ感情は独立しているという点から問題が生じる。「類似説」については、音楽に人格を認めることが出来るのか、また「表出説」については、作曲家が「悲しい音楽」を表出する時、必ずしも「悲しみ」を抱いている必要はない点から、それぞれに「感情」とそれを抱く「主体」との相関が問題視された。音楽のもつ「感情」が伝染するには、対象の「感情」を知覚する必要があることから、源河氏は、悲しい音楽とは、悲しみを抱いた人と似た特徴をもつ音楽であり、人間は擬人化傾向により、音の配列に悲しみのサインを聞き取り、悲しんでいるのは自分だけではないという連帯感を得るのだと結論付けられた。

その後の質疑応答では、哲学における「感情」と「情動」の扱いについて、SNSで伝播しやすい低次の「感情/情動」と、「恥」のように複雑な価値判断が介在する高次の「感情/情動」との区別について、「感情」におけるマルチモーダルな知覚について、また音楽療法において「同質の原理」を維持できるか等について活発な議論が交わされた。音楽とそれを知覚する主体の間での類似性を問う時、音楽は聴覚表象であるため、「表情」のような視覚的類似性を問うことは出来ない。その場合、音の配列の擬人化はどのように生じ、音楽と聴き手のあいだで類似性がどう確保されているかについて更なる考察が必要である。また、音楽にナラティブ、あるいはストーリーを聴取するリテラシーについて聴き手によって異なることが予測される。同研究会では、源河氏の参照する哲学領域の知見をもとに、音楽療法と擬人化、ひいては、音楽のもつ時間性と「感情/情動」喚起の様態を幅広く検討した。

(難波阿丹)

*本研究会はJSPS科研費若手研究「古典映画期における観客のアテンション管理ーグリフィスの映像アーカイブを中心として」(研究代表:難波阿丹、研究課題番号18K12232)の助成によるものである。

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2021年6月30日 発行