小特集:舞台芸術の研究と現場のインタラクション

寄稿 渡邊守章先生の「京都時代」 森山直人(演劇批評家・京都芸術大学教授)

渡邊守章先生が、2021年4月11日夜に亡くなられた。ほんとうに残念でならない。先生は、放送大学退任後、2006年度から京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の客員教授に着任され、2008年度から2013年度にかけて、本学「舞台芸術研究センター」の所長に就かれていた。14年度以後も、センター主任研究員として、数々の企画をリードして下さった。09年8月には、第4回表象文化論学会が本学で開催され、その際、本学所有の大劇場「春秋座」で、京舞五世家元・井上八千代氏による記念の舞が披露されたこともある。

この間、私は、渡邊先生の間近で、お仕事をさせていただく幸運に恵まれた。広報委員からの依頼にそくして、本号の特集テーマとできるだけ関係づけながら、ここでは、京都における先生のお仕事について、少し紹介させていただければと思う。


1 《春秋座・能と狂言》

のっけからこのように書くと、手前味噌のように思われてしまうかもしれないが、それでもやはり、「演劇人・渡邊守章」の歴史には、「京都時代」と呼びうるものが、たしかに存在していたのではないかと思う。

なんといっても、その背景には、先生が「劇場」と出会われたことが大きい。先生が所長を務められた「舞台芸術研究センター」は、本学所有の「京都芸術劇場」を主体的に企画・運営する組織である。2001年に開設された「京都芸術劇場」は、「春秋座」と「studio21」という二つの劇場の総称で、ハイスペックな機構を備えた大学所有の本格的な劇場施設だ。「春秋座」は、廻り舞台(盆)に大セリ、小セリ、スッポンを備えた花道、手引きの綱元、宙乗り設備等を有し、フルスケールの大歌舞伎が上演可能な大劇場、「studio21」は、アクティングエリアと客席を自由に組みかえることができる実験的なブラックボックス型の小劇場である。この二つの劇場施設を活用すれば、古典から現代まで、ほとんどのプロフェッショナルな舞台芸術作品を上演できるポテンシャルを備えている。「大学」と「劇場」が一体となったハード面におけるこの環境は、半世紀以上にわたって渡邊先生が探究し、構築してきた(フーコーの用語にそくして先生が好んで用いていた言い方をそのままお借りすれば)「問題形成」を、多様な形で、複眼的に実験できる条件として、充分なものだったと思われる。

たとえば、「企画・監修=渡邊守章」というクレジットのもとで、2009年から今日まで、ほぼ年1回のペースで上演されつづけてきた『春秋座・能と狂言』というシリーズは、『松風』、『道成寺』、『井筒』、『砧』のような能の古典演目を、あえて「歌舞伎劇場」というフォーマットで上演してみること──ややキャッチコピー的に誇張すれば、「能で花道を使うことは可能か」という試みであった。いうまでもなく、能舞台における〈橋掛り〉と、歌舞伎劇場における〈花道〉とでは、演劇的にまったく別種の「仕掛け」であり、役者に課される制約=負荷もまったく異なるものとなる。ある時期以降、能舞台という様式を絶対的な前提として発展した能にとっては、明らかに「危機」をもたらす「仕掛け」でもある。しかしながら、実際には、この企画は、パフォーマンスとしての強度を、年を追うごとに増してきたように思われる。

そうした強度を根拠として支えていたのは、──言葉にすると、いかにも軽々しく響いてしまうのだが──これまで12回行われた上演のすべてに、シテとして出演した九世観世銕之丞氏との、持続的な信頼関係だっただろう。視界が極端に限定される面をかけ、橋掛りよりずっと寸法の長い花道で演技することには、そもそも身体的危険がつきまとう。そうした危険をいとわず、前日の申し合わせ(=リハーサル)で演出家・渡邊守章と綿密に打ち合わせをし、十年以上にわたって、「花道の能」を演じ続けてきた銕之丞氏には、能の表現に対する並大抵ではない覚悟があったのではないかと思われる。渡邊先生の側にしても、「歌舞伎劇場で能を」という企画がたんなる思いつきではなく、「能とは何か」、「伝統演劇とは何か」という根源的な問いの上に立った「本気の企画」であったからこそ、最高の演者の最高のパフォーマンスを引き出すことに結びついていったのだろう。本舞台のアクティングエリアには、照明家・服部基氏の、その都度の演目に合わせた効果を計算し尽くした一見抑制的な、しかし鮮やかな光が、「能舞台の能」とは全く違う彩を与えてきたし、狂言方の野村万作・萬斎親子、囃子方の大倉源次郎氏(小鼓)、亀井広忠氏(大鼓)、藤田六郎兵衛氏(笛)などの一流の演者の皆さんが、誰が聞いても強い印象を受ける質の高いパフォーマンスへと、個々の上演を引き上げてくださってきたように思う。

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「春秋座―能と狂言」能『井筒』 2020年 京都芸術劇場 春秋座
 撮影:井上嘉和


2 《マラルメ・プロジェクト》

とはいえ、渡邊先生の「京都時代」にとって重要だったのは、「劇場」というハードだけではない。たとえば、先生が「京都」に来られたのとほぼ同時期に、偶然にも、浅田彰先生が本学に移られるタイミング(2007年度)が重なったことは大きかったように思う。

たとえば、筑摩書房版『マラルメ全集』の20年越しの完結(2010年)を機に、浅田先生が渡邊先生に提案した《マラルメ・プロジェクト》シリーズ(10-12年)は、渡邊先生の「京都時代」を考える上で、決して忘れることができない位置を占めていたと言える。先生は、岩波文庫版『マラルメ詩集』の「あとがき」に、次のようにお書きになっている。

・・・マラルメの韻文の翻訳は、漢和辞典でも引かなければ分からないような難解なもので、声に出して読むなど冒瀆に近いと考えられていたこともかつてはあったが、原典は詩編として充分に声に出して読める。(中略)晩年に、詩人自らが劇場で朗読しようという企画さえあった。訳者=台本作者・演出家・朗読者としては、そのような活きた言語態であったことを実証する企ても必要ではないかと考えたのである。「解釈 interprétation」は、同時に「演奏 interprétation」でもありたいと。(571頁)

しかし、当然のことながら、では、どのように「解釈」=「演奏」すればよいのか。その行為が、自律した劇場作品として成立するためには、ここでも何らかの具体的な「仕掛け」が不可欠となる。結果的に、「マルチメディア・パフォーマンス」として実現することになる《マラルメ・プロジェクト》シリーズ(全3回)は、浅田先生のコーディネーションにより、渡邊先生ご自身の朗読パフォーマンスに、坂本龍一氏の即興演奏と、ダムタイプのメンバーである高谷史郎氏の映像が「接続」されることで、初めて実現したのである。この企画に関しては、第2作から参加したダンサーの白井剛氏、寺田みさこ氏との出会いも大きい。二人のダンサーとは、2010年から始まったKYOTO EXPERIMENT(京都国際舞台芸術祭)の周辺で、当時のプログラムディレクターであった橋本裕介氏を介して知り合ったのではなかったかと思う。第1回フェスティバルの公式プログラムにおいては、渡邊先生は、以前に二人の台詞劇の俳優とともに上演したマルグリット・デュラス『アガタ』を、白井・寺田の二人によるダンス・ヴァージョンとして再創作されてもいる(2010年11月)。このプロジェクトの完結後に、岩波文庫版の『マラルメ詩集』(2014年)を刊行なさったのであるが、はじめて先生から、詩集の企画のお知らせをお聞きして、たしかその半年後くらいには、ほぼ訳し終えていたと記憶している。

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「マラルメ・プロジェクトII 『イジチュール』の夜」 2011年 京都芸術劇場 春秋座 
 写真提供:京都芸術大学舞台芸術研究センター 撮影:清水俊洋

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「マラルメ・プロジェクトIII『イジチュール』の夜へ」 2012年 京都芸術劇場 春秋座 
 写真提供:京都芸術大学舞台芸術研究センター 撮影:清水俊洋


3 《繻子の靴・全曲上演》

そうした「京都時代」の集大成となったのが、『繻子の靴 四日間のスペイン芝居』の上演であった。渡邊先生のライフワークであったクローデル研究の「仕上げ」であり、上演時間が8時間のこの作品は、2016年12月10日、11日に「春秋座」で初演され、それから2年後の18年6月9日、10日に、SPAC静岡舞台芸術センター・宮城聰芸術総監督の全面的な支えにより、静岡芸術劇場で再演された。

おそらくこの作品を、東京で立ち上げることは、物理的に不可能であっただろう。ノーカットで上演すれば15時間は下らないと言われるこの大作戯曲を、日本の一般的な演劇製作のプロトコルに則れば、舞台美術の制作費だけでも膨大な予算がかかってしまう。だからといって、ちょうどオペラにおける「ガラ・コンサート」形式のような、譜面台をおいた「朗読オラトリオ」形式だけで、全曲上演するのは、あまりにも観客への負担が大きい。この難題を解決したのは、クローデルがニジンスキーのために書いたバレエ台本『男とその欲望』を、スウェーデン・バレエが上演した時に使用した装置をヒントに思いついたという白い三段組みのひな壇式舞台であり、『マラルメ・プロジェクト』での協働作業を経た高谷史郎氏との綿密な連携を通じて、映像スクリーンとしても機能するこの装置を縦横無尽に駆使することで、はじめて舞台作品としての「かたち」が定まったのだと言えるだろう。「四日目」のラストを、高谷氏の映像と並んで強い印象を残した藤田六郎兵衛氏の能管の響きも、《春秋座・能と狂言》シリーズの賜物だったと思う。

そして、当然のことながら、これだけの規模の作品を上演するためには、かなりの準備作業が不可欠である。その点、研究センターが13年度に立ち上げた「共同利用・共同研究拠点」(文部科学省認定)の枠組みを用いて、14-15年度の2年間にわたって、実際の「春秋座」を用いた劇場実験を継続的に実現できたことは重要である。上記の「三段舞台」のアイディアも、14年度の劇場実験での「失敗」の上で見出された発見であった。「あの仕掛けの最大の難点は、あの装置を組んでみて実験しないと、どんな効果や問題が発生するのかわからないということです」(『舞台芸術』21号、11頁)。もうひとつ、記しておきたいことは、いよいよ本番の稽古のはじまる最初の段階で、先生が、ご自身の声だけで上演台本の朗読=「本読み」(8時間分)を、本学映画学科のスタジオを借りて収録し、それを一種の設計図として、キャスト、スタッフと共有なさったことである。「二日がかりで、一人で全曲、声に出して読んだ。(中略)なぜ必要だったかというと、役者は私ほど早く話さないかもしれないけれど、少なくともこのくらいのテンポで話すと、このぐらいの時間になるだろうというのがわかります。それがだいたい、八時間だった。(中略)その録音盤を役者やスタッフに配って、八時間というのはこのぐらいですよ、ということの参考にしてもらった。それが第一回目のテキストレジ―でしたが、だいたいのフォーカスがこれでつかめました」(同上書、9頁)。この貴重な8時間の録音は、もちろんいまでも私たちの研究センターに残っている。本作の創作プロセスについては、雑誌『舞台芸術』20号、21号での根岸徹郎氏、四方田犬彦氏との対談や、本学「共同利用・共同研究剣拠点」ウェブサイトに公開されているアニュアルレポート等に詳しく紹介されているので、関心のある方は、ぜひそれらを参照していただければと思う。

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『繻子の靴──四日間のスペイン芝居』 2018年 静岡芸術劇場 
 写真提供:京都芸術大学舞台芸術研究センター 撮影:井上嘉和


4 最後に・・・

「京都時代」の振り返りを終えるにあたって、あと少しだけ、記しておきたいことがある。これまで紹介してきたように、「現場の人」としての渡邊先生は、「京都」という場所で出会われたさまざまな環境や条件を柔軟に用いながら、「舞台芸術とは何か」という問いに作品を通して応答なさっていた。こうした作業が可能になったもうひとつの大切な条件として、川原美保氏というプロデューサーの存在がある。フランス留学経験もあり、古典演劇にも深い関心を持っている川原氏は、本研究センターにおける上記のすべてのプログラムの担当者であり、数々の難局にもかかわらず、渡邊先生の企画の魅力を心から面白がり、どんな時でも明るく支えてきた。

本学には、個人研究室というものがなく、所長のデスクでさえ、多くの現場のスタッフが働く研究センターの事務所の真只中に置かれている。そんななかにあって、渡邊先生は、むしろそういう環境を楽しんでいらっしゃるように見えた。孫ほどの年齢の若いスタッフにも分け隔てなく接しておられ、若いスタッフも、時には渡邊先生のモノマネを渡邊先生の前で披露して笑い合うようなこともあった。やはり演出家は、周囲に愛される才能がないとダメなのかもしれない。そして、そういう環境のすべてを楽しんでおられることのなかに、渡邊先生の「演劇」に対する愛が輝いていた。

最後に、私自身の忘れがたい記憶をひとつだけ。渡邊先生は、まだ所長であった2013年3月20日に満80歳の誕生日を迎えられたのだが、まさに日付が変わった午前零時を、私は先生と研究センターで迎えることになった。先述した文科省「共同利用・共同研究拠点」の申請のため、数日後に文科省で行う最終ヒアリングのプレゼン資料作成の作業が長引き、申し訳なくも、渡邊先生を巻き込んで深夜まで付き合わせてしまったのである。プレゼンはめでたく成功し、申請は無事採択された。『繻子の靴』の重要な劇場実験が、この助成のおかげで実現したことを考えると、近現代日本演劇史に、ほんの指先ほどの貢献はできたのかもしれない、とひたすら自分を慰めるばかりである。

深夜のプレゼン資料作成の日から間もなく、川原さんを含めた数人で、小さなビストロで80歳の誕生日のお祝いをした。誕生日ケーキのロウソクをまさに吹き消そうとする時、「ぜひ願い事を!」と乞われた先生は、「繻子の靴!」と言ってぷーっと吹き消し、楽しそうに微笑まれていた(その時、まさかと思った願い事は、3年後に成就することになる)。あのチャーミングな微笑みは、一生の宝物である。

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2021年6月30日 発行