翻訳

ジャン=フランソワ・リオタール(著) 星野太(訳)

崇高の分析論 カント『判断力批判』についての講義録

法政大学出版局
2020年12月
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ジャン=フランソワ・リオタール(1924-98)は、本務校であったパリ第8大学での講義の大半をカント『判断力批判』の精読に費やした。その著書や論文を通じて知られるように、なかでもその中心をなしていたのが、『判断力批判』に含まれる「崇高の分析論」である。それは、みずから創立に関わった国際哲学コレージュや、国外の大学におけるセミネールにおいても例外ではなかった。リオタールいわく、本書はそれらの講義のために書かれた草稿を集成したものである。

本書の方針は、その序文において簡潔に示されている。フランスの高等教育における伝統的な精読の作法たる「エクスプリカシオン・ド・テクスト」をみずから任ずる本書は、カントの「崇高の分析論」の徹底的な解説を目的としている。注目すべきは、その対象が『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の批判書すべてにまたがっていることだ。このことの意味は決して小さくない。たとえば、カントにおいて「崇高」とも密接に関わる「尊敬」の感情は、『判断力批判』ではなく、むしろ『実践理性批判』において精緻に論じられている。もとより、カントの哲学体系を把握するうえで、三批判書すべてに目を通す必要があることは言うまでもない。だが、じっさいにそれを行なったうえで「崇高の分析論」に取り組んだ書物となると、なかなか類書は見つからないというのが実状である。

そのため、本書にリオタールその人の独創的なアイデアを期待する読者は、いささか肩透かしをくらうかもしれない。もちろん、カントではなくシェリングに由来する「トーテゴリー」という概念の導入(第1章)や、『判断力批判』における「悟性」「理性」「構想力」の関係を一種の「ファミリー・ロマンス」として比喩的に示してみせるところ(第7章)をはじめ、いかにもリオタールらしい記述も随処に散りばめられてはいる。しかしそれでも、本書があらかじめ予告した「エクスプリカシオン・ド・テクスト」としての性格に背くことはない。それゆえに本書は、あくまでカントの三批判書を傍らに置きながら読み進められることを想定している。本訳書では読者の便宜を考えてさまざまな工夫を凝らしたつもりだが、それでもなお、本書はお世辞にも読みやすいとは言いがたい。カントについての「講義録」を謳う本書は、カントを読むことを「いかなる意味においても免除する」ものではなく、むしろ「それを強く要求するものである」──原著の序文に見られるこの注意書きは、むろん、本訳書の読者にもひとしく差しむけられている。

(星野太)

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2021年6月30日 発行