単著

石田美紀

アニメと声優のメディア史 なぜ女性が少年を演じるのか

青弓社
2020年12月

マンガを読みながら、それがアニメ化されるとしたらキャラクターがどんな声を発するかを想像したことのある人は少なくないだろう。わたしたちは、知らず知らずのうちに、声と身体とのあいだにある種の組み合わせを見出そうとする。そして、そこで想像される声には、わたしたちのジェンダー観や身体観が反響している。たとえば少年の姿に、低く抑えた女性の声が似つかわしいと想像するとき、わたしたちはすでにある特定の声と身体の組み合わせに官能しようとしている。

本書は、このような声と身体の問題を、声優とアニメに描かれるキャラクターとの関係によって論じようとする一冊である。

本書で最初に問われるのは、日本のアニメに特有の現象である。「なぜ女性声優が少年を演じるのか?」この問いに対し、著者は、男性声優の変声期のリスクを回避すること、といった簡単な答えに飛びつくかわりに、その由来を問う。

第一部では、戦後占領期のラジオ連続放送劇で活躍した木下喜久子への聞き取りを核にしながら、こうした連続放送劇やテレビ人形劇、洋画の吹き替えが生放送によって演じられた時代に、子どもの就労時間の制約が問題となり、次第に成人女性が少年を演じる下地が作られていった過程が明らかにされていく。当時、俳優や描かれたキャラクターによってすでに為された演技に対して声を後からあてるという「アテレコ」「アフレコ」の技法は、単なる声の代役として見られることもあったのだが、それは次第に「他者と同期する」という新しい演技形態として認められ、声優という職業が成立していった。それがどのような声の技法であったかについても、著者は、永井一郎のようなベテランの技術を検討しながらその肌理に分け入っていく。一方、五〇年代から六〇年代の東映動画では、少年を子役に、青年を俳優に演じさせることが多かったが、著者はこれを単なる例外として捨て置くのではなく、こうした例外が、実は作画の事前に録音を済ませる「プレスコ」方式や、それを収録する自前のスタジオの存在などによって実現されたことを指摘し、逆に、収録スタジオの不在や、それに伴う収録時間の不規則さや長期化、そして子どもの就労時間問題などが、女性声優が少年の声を演じる原因になってきたことを実証する。

第二部では、七〇年代以降の声優のスター化時代を扱いながら、声のもたらすキャラクター性と視覚的な身体のもたらすキャラクター性との同一化やずれの問題が考察される。

まず、七〇年代、アニメ雑誌の隆盛により、声優はスター化し、単にキャラクターと声優が同一視されるだけでなく、声優自身の属性が語られるようになる。アニメ・ファンにとって「声優のパーソナリティが受容者の内部に構築される」過程は、声優の発する声の微細な肌理からキャラクターを構成する要素を引き出す過程でもあった。このことは後の「データベース」問題で前景化する。

八〇年代には、声を演じる者とキャラクターとの境を危うくする試みがいくつも生まれた。本書では、特に『超時空要塞マクロスの』飯島真理や、魔法少女物の一つである『魔法の天使クリィミーマミ』の太田貴子の例が取り上げられ、アイドル化していくキャラクターと本人との関係が同一視されていく過程を、著者は「メディア的・社会的に構築された視聴者の基準と声優の演技が合致したときに、キャラクター「らしい」声であり、演技であると承認される」現象として捉えるのだが、問題は、この「らしい」声が、単なる類型と化していくのか、それとも声の表現の充実となっていくのかである。

この問題を考えるべく、著者はさらに九〇年代のアニメへと目を移す。そこでは、描かれる身体と声とのずれによってキャラクター「らしさ」が拡張されるという新たな現象が起こってくる。重要な例として取り上げられるのは緒方恵美である。緒方が演じた蔵馬、ウラヌス(はるか)、碇シンジといったキャラクターは、いずれもその外見と緒方の声との間にずれを感じさせるものだが、それはファンにとっては単なる違和ではなく「萌え」の対象だった。かつて、キャラクターに対してファンが抱く「萌え」という感情を、東浩紀は、キャラクターを構成する要素や語彙が登録された「データベース」という概念で説明したが、著者はこの語を「視覚的データベース」と捉えた上で、緒方のような声のあり方は「視覚的データベースと声のデータベースのずれ」を引き起こしていると論じる。

終章では補論として、アニメではなく、カセットやCDのような聴覚的なメディアによって、声そのものがどのような官能を生み出してきたか、そこでは女性声優がどのような声のあり方を試みてきたかが補われる。

以上のように、本書は、副題の「なぜ女性が少年を演じるか」という問いを核にしながらも、それをきっかけに、より広範な、声と身体とのずれの問題に踏み込み、ずれが生み出す官能を描き出そうとする試みである。論じられる対象の多くはアニメ作品だが、アニメに関心を持つ人のみならず、声と身体の問題を扱う方々にもお勧めしたい。

細馬宏通

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2021年6月30日 発行