新刊紹介 編著、翻訳など 『甦る相米慎二』

『甦る相米慎二』
石田美紀・中村秀之ほか(分担執筆)
木村建哉・中村秀之・藤井仁子(編)
インスクリプト、2011年9月

相米慎二(1948-2001)は1980年代初頭に華々しい監督デビューをはたし、それ以後、撮影所システム崩壊後の日本映画に熱い息吹を送り続けたが、世紀が替わったその年、53歳の若さで逝ってしまった。本書は歿後10年を機に、世代を異にするもそれぞれ熱烈な相米ファンである3人の映画研究者が編者を務め、多くの関係者の方々の助力を得てまとめた本である。作品論、スタッフ・インタビュー、エッセーおよび対談、監督自身の講演、フィルモグラフィーという5つのセクションで構成されている。論文集ではないし入門書でもない。助監督作品からPVやCFまで可能なかぎり収録したフィルモグラフィーは十分な情報価値を持つとはいえ、本書全体は資料集としての網羅性をめざしてはいない。網羅性というなら、スタッフ・インタビューでも、お話をうかがわなければならない人たちはもっと多い。とはいえ、プロデューサー伊地智啓氏の本書における魅力的な語りは、相米慎二の人と仕事を活写しているばかりか現代日本映画の決定的な転形期にかんする貴重な証言である。作品論のセクションも、網羅性やバランスよりも寄稿者各自のこだわりを優先した。ここにない主題や視点を列挙することはたやすいだろう。だが、そもそも本書は相米映画について何かまとまった研究成果を提示しようとしたものではない。相米映画は未だ確固たる対象として存在しているわけではないからだ。私の見るところ、本書の特色は、出来事としての相米映画を再びくぐり抜け、生き直そうとしている点にあるのだと思う。執筆者の1人である大澤浄が本書で相米映画の子どもたちについて論じた「過程を生きる身体」や「可塑的な身体」とは、実は、忘却/想起や見のがし/発見を喜ばしい体験として反復し生成する映画観客の身体でもあるだろう。本書がそのような「可塑性」を肯定し、みずからそれを体現しえてもいるなら幸いだ。さらに、本書の読者がそれを分有されるのであれば。(中村秀之)