第6回研究発表集会報告 パネル1

研究発表1:20世紀アメリカの美術とその言説
報告:調文明

2011年11月12日(土) 10:00-12:00
東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1

研究発表1:20世紀アメリカの美術とその言説

アルヴィン・ラングドン・コバーンとヘンリー・ジェイムズ──写真の抽象化と金融都市ニューヨークの摩天楼
調文明(東京大学)

アメリカンモダニズムと触覚的「真実」──ローゼンフェルド、ウィリアムズ、スティーグリッツ
高村峰生(東京大学)

ギンギラギンにさりげなく──アンディ・ウォーホルの銀
井上康彦(東京藝術大学)

【コメンテーター/司会】佐藤良明

研究発表1「20世紀アメリカの美術とその言説」では、1910年代前半、1910年代後半から1930年代、そして1960年代のアメリカン・アートの言説が取り上げられたが、一つの共通項として機械と身体(空間)の関係が浮かび上がってきたことは興味ぶかい。

調(報告者)は、アメリカの写真家アルヴィン・ラングドン・コバーンの「尖塔から眺めたニューヨーク」シリーズ(1912年)が、同じく彼の作品「ヴォートグラフ」シリーズ(1917年)へとつながる抽象写真の単線的な発展構造の途中段階としばしばみなされることに疑問を呈し、前者のシリーズがアメリカン・キュビスムとの相互的な影響関係に基づきながら、抽象的平面と具体的空間を両立させるかたちでの「完全」な抽象写真を成立させていると主張した。特に、金融業系の摩天楼からコバーンが撮影していることに着目しているが、純粋な数字だけを抽出する金融資本の力は、主題からパターンやフォルムを抽出しようとするコバーンの試みを別の形で先取りしており、そのカメラ・アングルは当時のアメリカの経済的、文化的背景をも含み込んだアングルへと拡張されていると指摘した。

高村峰生氏は、1910年代から30年代までにニューヨークを拠点に活動していたアルフレッド・スティーグリッツを中心とする芸術家サークル(写真家や画家、小説家、詩人、批評家など)における接触・触覚の言説や手のモチーフに注目し、機械による人間の奴隷化(ローゼンフェルド)や、身体に対するピューリタン的な抑圧、ピューリタン的な法によるアメリカ社会の統治(ウィリアムズ)に対抗するために、触覚的感性の回復が希求されたこと、また自然の生命力と結び付けられた女性画家オキーフの手の写真(スティーグリッツ)に触覚的身体性が表されていることを指摘した。そして、当時のアメリカ社会や文化における機械化の流れに対抗する自然への感受性の強調が、当時のアメリカ国家のイメージ形成と不即不離の関係であったことを主張した。

井上康彦氏は、ファクトリー室内の銀塗装や《銀の雲》、《十三人の重要指名手配犯》などにおけるアンディ・ウォーホルの銀への執着に注目し、シミュラクル的解釈やリフェレンシャル的解釈といった従来のウォーホル論にみられる時代反映論的な視点にとどまらない作家の「個性」を読み取ろうとしていた。その際、井上氏が注目するのは、アンフェタミンによって引き起こされる分裂症的症状、とりわけ自らの身体を空間に置き換えてしまう擬態的空間認識と、ウォーホルにみられる銀への同化願望(銀のカツラをつけ、銀色に塗装されたファクトリーにいること)との類似関係である。こうしたウォーホルの銀へのフェティシズムこそが、時代反映論に頼ることなく彼の作品を彼の作品として同定することを可能にさせると主張した。

質疑応答で提示された、機械の発達によって身体が再発見されるという意味で、機械と身体の関係は補完的あるいは共犯的な関係であるという指摘は、本パネル全体を貫くものであると言える。コバーンやスティーグリッツらが摩天楼を撮影した1900年代から1910年代前半では、機械は新たに登場した醜悪でありながら活力あるものとして眺められていたが、スティーグリッツ・サークルのメンバーが活発に活動する1910年代後半から1930年代になると、機械が人間の身体領域(労働、移動など)に深く浸食していくことで、改めて身体が意識化され、機械は害なす異物として排除しようとされる。そして、ウォーホルが登場する1960年代では、機械はすでに人間にとって異物ではなく、身体の生存を左右するほどに結びつき合ってしまっている。そこには、無垢な自然としての身体など存在せず、常にすでに機械と同化してしまう擬態的な身体しかない。そして、こうした機械と身体の補完的関係が、その時代その時代のアメリカ国家のイメージを形成する役割を果たしていくのである。

調文明(東京大学)

【発表概要】

アルヴィン・ラングドン・コバーンとヘンリー・ジェイムズ──写真の抽象化と金融都市ニューヨークの摩天楼
調文明(東京大学)

抽象写真の始まりは、アメリカの写真家アルヴィン・ラングドン・コバーンが1916年に発表したヴォートグラフとされている。しかし、コバーンの抽象への関心はヴォートグラフ以前の、「オクトパス」(1912年)や「無数の窓がある建物」(1912年)といった摩天楼からの眺めを写した写真にも見てとることができる。コバーンが摩天楼に注目するきっかけのひとつに、1905年におけるアメリカの作家ヘンリー・ジェイムズとの出会いがあるように思われる。ジェイムズは1904年から1905年までのアメリカ滞在を記録した『アメリカン・シーン』のなかで、久しぶりに訪れた故郷ニューヨークの劇的な変容に狼狽しつつも、摩天楼が立ち並ぶ様に興奮を覚えたことを素直に告白している。それと同時に、彼はその背景に金融経済の発展があることを的確に読み取っていた。それは、摩天楼を「高額配当支払い主」と呼ぶことにも表われている。コバーンは、ジェイムズと出会った年に「ニューヨーク証券取引所」を撮影し、1910年代に摩天楼からの眺めを積極的に撮影した。これらの写真は、都市の抽象的なフォルムを強調した写真ということにとどまらず、その抽象的なフォルムを可視化させる摩天楼そのものが金融資本という抽象的なものによって生み出され支えられていることをほのめかしている。本発表では、1905年のジェイムズとの出会いにまで遡り、抽象化の実験のひとつとしての摩天楼の写真のあり方を考察したい。

アメリカンモダニズムと触覚的「真実」──ローゼンフェルド、ウィリアムズ、スティーグリッツ
高村峰生(東京大学)

本発表の目的は、アルフレッド・スティーグリッツを中心とする芸術家サークルにおける「接触/触覚」の言説の重要性と役割を考察することである。1900年初頭から20年代にかけて、スティーグリッツのギャラリー「291」やCamera Workという雑誌のもとに集まった芸術家たちは、手法や表現媒体は異なりながらも、凡そ次のような考えを共有していた。すなわち、同時代に進行する社会や文化の「機械化」がアメリカ人の本性としての自然への感受性を損なっているということ、そしてアメリカの芸術は有機的で触覚的な「真実」の表現によって、そのような「機械化」に抵抗しなければならないということ。「接触/触覚」の言説は彼らの「有機的」、「始原的」、「霊性的」な芸術表現において重要な役割を果たし、20世紀初期のニューヨークにおけるアメリカ国家のイメージの形成に大きな寄与をした。

「接触/触覚」に関わる仕事を残したスティーグリッツ・サークルのメンバーは多数いるが、本発表では特にポール・ローゼンフェルドのPort of New York(1924)をはじめとする文芸批評、ウィリアム・カルロス・ウィリアムズのユニークなアメリカ史であるIn The American Grain(1925)、スティーグリッツのジョージア・オキーフなどの女性の身体を写した写真に共通して現れる言説やイメージを検討し、1910年代後半から1920年代前半にかけてのスティーグリッツ・サークルにおける触覚的イメージと、彼らの芸術観・国家観・身体観の交錯する地点を考察する。

ギンギラギンにさりげなく──アンディ・ウォーホルの銀
井上康彦(東京藝術大学)

アンディ・ウォーホルを説明する概説的な記述では、定番のように《キャンベルスープ缶》や《ブリロボックス》が取り上げられ、ボードリヤールやバルトをはじめとするポスト構造主義のシミュラークル論をもとに、ウォーホルを大量生産・消費文化をアートに導入した作家として解釈することになっている。他方、《マリリン》《ジャッキー》《自動車事故》《電気椅子》などを取り上げるものは「アメリカにおける死」をテーマに掲げ、ウォーホル作品に政治的な意味を読み込んでいくことになっている。いずれにしても作品を時代反映論的に読み解くのが通例だ。本発表では、銀というマテリアルに対するウォーホルの執着に注目することで、「ポップ・アーティスト」とは別の、作家性の強いウォーホル像を提示する。その際参照するのが、ハル・フォスターがウォーホル論“Death in America”(1996)で提示した「トラウマを受けた主体」とロジェ・カイヨワの擬態論における「自己放棄本能」である。ウォーホル作品においては「トラウマを受けた主体」の「自己放棄本能」が銀を媒介に擬態的に具現されるが、その銀は周りから際立つ銀ではなく、環境としての銀、基底や素材になる銀である。本発表では、そのことを作品と制作現場の写真から裏付ける。銀幕の銀、銀塩写真の銀、工業製品の銀、ギンギラギンにさりげない銀によってウォーホルのほとんどの作品が説明できることを示す。

調文明

高村峰生

井上康彦

佐藤良明