オンライン研究フォーラム2023

研究発表1

報告:三浦哲哉

日時:202311月11日(土)10:00 - 12:30

  • 勅使河原宏映画に見られる分身の表象可能性──『他人の顔』(1966)と『燃え尽きた地図』(1968)をめぐって/胡響楽(大阪大学)
  • タル・ベーラ監督の『アウトサイダー』における顔の表現/モルナール・レヴェンテ(北海道大学)
  • 香港映画『ブレード/刀』に描かれる「江湖」の表象──「無秩序」、「復讐」、「女性の記憶」の三点をめぐって/崔鵬(北海道大学)
  • 『ドライブ・マイ・カー』における広島表象──軸線を中心に/瀬古知世(神戸大学)

【司会】三浦哲哉(青山学院大学)

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「研究発表1」における各発表について、以下に報告する。

胡響楽氏は、勅使河原宏監督作『他人の顔』(1966)および『燃えつきた地図』(1968)を取り上げ、安部公房による原作で用いられている「分身」の主題が、どのように視覚化されているかを分析した。

『他人の顔』においては、重要な舞台となる「診察室」においてとりわけ特異な空間設計がなされている。「奥行き」が失われ、顔と顔とが個体性を失い、キュビズムにおける多視点的なコラージュとも似た「癒着する顔たち」の形象が現れると胡氏は述べる。そのうえで「男」と「医者」の鏡像関係(分身性)が論証された。

『燃えつきた地図』については、「双眼鏡」に着目しながら、「探偵」と「失踪者」の関係が考察された。勅使河原が「双眼鏡を逆さ」にする動作などの周到な視覚的演出によって、「見る/見られる」関係がねじれる「メビウスの輪」のようなトポロジカルな構造が成立する。以上から、両作品は勅使河原宏が「分身」の視覚的表現を発展させた点において重要であることが示された。

レヴェンテ氏は、タル・ヴェーラ初期作品『アウトサイダー』(1981)における「顔」の表象を分析した。本作は、ハンガリーのベラ・バラージュ・スタジオ(BBS)で作られていた「社会学主義映画」の一つとして、「架空の物語を語るドキュメンタリー」という特殊な形式に従う。ただしタル・ベーラは、説話的形式や心理的因果関係に還元されることのない、顔の曖昧さや両義性(アンドレ・バザン)を重視し、独特の撮影・演出方法を案出した。顔に着目するならば、作家のキャリア初期と後期に断絶を見る通説に反して、一貫した創作上の発展過程を見出すことができるとレヴェンテ氏は述べる。より具体的には、『アウトサイダー』の中心人物アンドラーシュが、その顔の表象において、『サタンタンゴ』(1994)の中心人物イリミアーシュの原型である、という指摘がなされた。説得的な主張であると思われた。

崔氏の発表は、ツイ・ハーク監督作『ブレード/刀』(1995)の舞台となる土地=「江湖」の表象について、「無秩序」、「復讐」、「女性の記憶」の三点から分析した。『水滸伝』以来の伝統として、「江湖」は、一般社会の外部にある「曖昧模糊」とした「遊民」たちの棲息する周縁的場所である。ただし、『ブレード/刀』で注目すべきなのは、伝統的武侠小説にはない現代的要素であると崔氏は述べる。家父長的統率者の不在、男性的身体の負傷と欠損、「無秩序」の極端化、である。さらに重要なのは、物語全体が、女性登場人物による回想形式に収まっていることであると崔氏は指摘する。これらが総体として、武侠小説の男性性を転覆させる効果を持つことが示唆された。

瀬古氏は、映画『ドライブ・マイ・カー』(2021)の撮影地・広島および北海道の地理的特徴を分析した。劇中で登場人物が言及する、広島市内の「平和の軸線」は、建築家・丹下健三が戦後復興計画で考案したものであり、この「線」が本作における「ドライブ」の軌跡に深い影響を及ぼしている。また、広島は、一六世紀以降に城下町として整備される際、京都の「碁盤目状」の道路網をモデルとし、その名残を留めてもいる。この碁盤目=グリッド状の地形は、もうひとつの重要な土地・北海道の地形的特徴でもある。広島と北海道は、グリッド状という共通性によって重なりあい、登場人物・三崎が辿る、広島から北海道へという旅路に、(原作者・村上春樹が小説において書いた「往還運動」を踏まえつつもそれとは別の)視覚的効果をもたらしていることが示された。

各発表の後に質疑応答および全体討議がなされた。『ブレード/刀』における身体毀損と男性性の関連について、ハンガリーのBBSスタジオと他の社会主義体制下のドキュメンタリー映画制作の比較(表現の自由、虚構の必要性)について質問があり、議論がなされた(とりわけ後者については、現代中国におけるドキュメンタリー制作との比較がなされた)。胡響楽氏は、勅使河原宏の総体的な作家研究において、本発表が持ちうる意義について問われ、展望を示唆した。また、フロアからのコメントにおいて、丹下健三が『ドライブ・マイ・カー』の撮影地である広島の空間だけではなく、勅使河原宏作品の空間造形とも深く関わることが指摘された。本パネルは総体として、映像作品においてしばしば無意識にとどまる空間を分析するさまざまな可能性を示した。


勅使河原宏映画に見られる分身の表象可能性──『他人の顔』(1966)と『燃え尽きた地図』(1968)をめぐって/胡響楽(大阪大学)

安部公房原作シナリオ・勅使河原宏監督による映画『他人の顔』(1966)と『燃えつきた地図』(1968)では、一人称語りの原作に潜む分身モチーフがそれぞれ異なる形で表象されている。本発表では、視覚装置としての映画におけるその表象可能性を考察する。

『他人の顔』は事故で顔を失った後、仮面を通じて妻との関係回復を試みる男の物語である。原作小説においてモノローグで語られる一人称の語り手「ぼく」の葛藤は、映画では顔のない男と仮面を作る医者の対話に分割されるが、そうした単なる語りの形式の変更だけではなく、視覚装置としての映画特有の方法でも表現されている。本発表では、主人公と医者の重なり合った顔が形成する顔の複合体などに焦点を当て、顔の表象がいかに分身性の視覚化として機能しているのかを明らかにする。

一方、『燃えつきた地図』における分身モチーフは、探偵が失踪者を探すうちに自分自身が失踪者になるという、物語の円環構造に組み込まれている。そしてこの分身性は、原作小説にも映画にも登場する双眼鏡というモチーフを通したカメラの視線によって、内面化された探偵と失踪者の分身性として抽出されている。発表者はこの切り口から、異なる視点構造を持つ小説と映画の照応関係について検証する。

本発表は、分身モチーフを共有する二作から、視覚的な類似性以外の視覚コード、即ち、まなざしや顔のクロースアップと、分身表象との関係性について考察する。

タル・ベーラ監督の『アウトサイダー』における顔の表現/モルナール・レヴェンテ(北海道大学)

ハンガリーの映画監督タル・ベーラは、1977‐2011年における活動期間中に9本の長編劇映画を発表した。先行研究において、タルの作家性は5本目にあたる『ダムネーション/天罰』(1987)で成立し、それ以前の作品の作風には共通点を見いだすことがほとんど不可能であるという見解で一致している。また、タルの作家性を論じる際は、とりわけロングテイク技法、カメラの動き、そして歩きやダンスなどの登場人物による単調な反復運動が中心問題とされている。本発表では、これまでにあまり研究されてこなかった問題として、タルの長編劇映画における顔の表現を論究する。

タルの顔の表現に対する関心は、デビュー作『ファミリー・ネスト』(1977)を撮った撮影所時代から継続していたものである。1958年に設立された撮影所Balázs Béla Stúdióでは、『ファミリー・ネスト』のような、登場人物の顔のクロースアップから構成されている映像作品がたくさん製作された。『ファミリー・ネスト』と比較したうえで次の3点、すなわち、1.登場人物の相貌と表情、2.人間の顔と画面構図、3.カメラの動きによって形成されたクロースアップの問題を軸に、タルの2本目の長編劇映画である『アウトサイダー』(1981)にみられる顔の表現を分析する。 

上記の分析をもとに、タルの作風の変化の一端が『アウトサイダー』においてすでに認められることを指摘する。さらに、顔の表現を考察することで、タルの作家性に関する理解を深める。

香港映画『ブレード/刀』に描かれる「江湖」の表象──「無秩序」、「復讐」、「女性の記憶」の三点をめぐって/崔鵬(北海道大学)

ツイ・ハーク(徐克)監督の武侠映画『ブレード/刀』(1995)では、弱肉強食の「江湖」の世界を構築している。映画に描かれる「江湖」は、主流社会に排除される「社会的空間」=「朝廷の官僚、市井の庶民、そして商人などに構成される空間の反対側に成立する空間」を表象する。

「江湖」を描いた作品と言えば、『水滸伝』という古典小説(テレビドラマがある)が代表格である。『水滸伝』における「江湖」はすなわち「梁山泊」という具象化される場所だと認識される一方で、『ブレード/刀』に現れる「江湖」が表象するのは、環境上の非具象化される曖昧な空間であり、一般的な武侠映画で表現される「梁山泊」のような地理的可視化の場所ではなく、遊民たちが活動する社会の周縁部に置かれる空間である。

『水滸伝』の中で、「江湖」が表象するものは、具象化される108人、または彼らが築き上げる主流社会にいつかは戻れるような秩序と招安への憧れ、即ち、主流社会/朝廷に投降し、帰順することである。一方、『ブレード/刀』において、「江湖」を構成する要素は、無秩序、主流社会から完全に逸脱した復讐の焔、または女性の記憶において、不在と存在が奇妙に混在している侠客たちの輪郭である。本研究は『ブレード/刀』のような実体の場所を持たない「江湖」の表象を、このような「江湖」を埋めていく「無秩序」、「復讐」、「女性の記憶」という三要素から考察する。

『ドライブ・マイ・カー』における広島表象──軸線を中心に/瀬古知世(神戸大学)

発表者は、映画『ドライブ・マイ・カー』(2021)において撮影地の広島がどのように表象されているのかを考察する。

本作は濱口竜介が監督し、濱口竜介と大江崇允の共同脚本で、村上春樹の短篇を基にした映画作品である。映画は東京と広島を舞台としている。主人公の家福を始めとして、身近な者を亡くした人々がその事実にどのように向き合っていくかが描写されている。

本作はコロナ禍の影響を受けて、当初の撮影地である韓国の釜山から広島にロケーションの変更を余儀なくされ、脚本を大幅に書き換えたという経緯がある。そして映画は、登場人物のひとりであるみさきに、広島市環境局中工場(広島市中区にあるごみ処理場)にて「ここをまっすぐずっと行ったら平和公園です。原爆ドームと慰霊碑を結ぶ線は「平和の軸線」と呼ばれてます」と語らせている。平和の軸線とは、戦後復興計画で建築家丹下健三が考案し、現在では、原爆ドームから広島市環境局中工場までの南北軸、南北軸に直交して平和記念公園内の平和記念資料館や平和大通りが東西軸として成立している。このように広島の地理的・歴史的特徴を登場人物の台詞に落とし込んでいることから、本作において舞台を広島に変更したことが話の根幹に関わっているように思われる。

そこで、まず、広島の地理的・歴史的背景について見、次に本作において広島はどのような表象をもって描かれているのかを考える。そして最後に、本作における地理的要因について結論を出す。

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2024年2月11日 発行