単著

吉田寛

デジタルゲーム研究

東京大学出版会
2023年9月

本書には著者がこれまでに執筆してきたデジタルゲームに関する論文全12本が収められている。4つの部に分かれ、ゲームをプレイするプレイヤーの知覚・認知についての議論から始まり、様々なプレイスタイル、ゲームと他のメディアや文化との関係性に至るまで美学的な問題を中心にしつつ幅広い視点からデジタルゲームを論じる本書は、題名の通り現在なされているデジタルゲームに関する議論や研究を概観するのに適した内容となっている。

著者は本書を、デジタルゲーム研究をこれから始める、もしくはこの本でこの研究分野を初めて知るような人たちに特におくりたいとあとがきで書いているが(388)、序章で示されるゲーム研究の歴史と主要な先行研究は、まさにゲーム研究の初学者にとって非常に有用であり本書を読み進めるにあたっても論文が書かれた研究分野の背景を知るのに役立つ情報だ。同時にここでは本書における「デジタルゲーム」という語が含む範囲を定義しており、著者が「テレビゲーム」や「ビデオゲーム」、「コンピュータゲーム」ではなく「デジタルゲーム」という術語を選んだ理由についても説明されている。指し示すものがほぼ同じでも研究者によって用いる語が異なる現在の状況はこの研究分野が徐々に確立されてきているとはいえ新しい分野であることの証左であろう。

第Ⅰ部ではゲームプレイヤーの知覚と認知に焦点が当てられ、第1章ではゲームにおけるスクロール、第2章ではゲームにおける視点と空間、特に疑似3Dについて、第3章ではゲームを認知する際の「二重化」について記号理論における分類を用いながら議論がなされている。本書でおこなわれる様々な議論の根幹には概して「デジタルゲームとは何なのか」「デジタルゲームが持つ固有性は何なのか」という大きな問いが横たわっているが、第Ⅰ部ではその中でも特に他のメディアとの違いやデジタルゲームの持つ固有性を示すことが意識されている。

つづく第Ⅱ部ではプレイヤーが実際にどのようなゲームプレイを行うのかという部分に焦点があてられており、第4章ではゲームを遊ぶ際の他者(対戦相手の人間やコンピュータープログラム)への信頼について、第5章ではゲームをプレイすることに抗う「カウンタープレイ」について、第6章ではギャンブルとゲームの境界がどこにあるのか検討しながら、ゲームをプレイする上での公平性について述べられている。部全体を通して、プレイヤーがゲームに向き合う態度や遊び方の違いがそのゲームの持つ意味や価値までも変え得ることが示され、そこから生じるポジティブな社会的変化の可能性も示唆される。

「メディア」と題される第Ⅲ部はデジタルゲーム自体がデジタルゲームであることを意識しているようなメタ的な事象が多く取り上げられている部だ。第7章では何度もリセットすることができるゲームの中でどのように死を描くのかについて、第8章ではゲームを批評するゲームである「メタゲーム」、さらにゲームの特性を極力排した「ノットゲーム」について、第9章ではメディアとしてのゲーム、ゲームにおける再媒介化[リメディエーション]について議論されている。第5章のカウンタープレイとも多少の繋がりをみせるこの部は、自己言及や自己批評というデジタルゲームの持つ大きな特徴が取り上げられ精細に分析されているパートである。

第Ⅳ部に収められた3本の論文はすべて2020年代に執筆されたもので、第10章では筆者の元々の専門である音楽学ともつながるゲーム音楽研究の問題、第11章ではeスポーツを他のスポーツと同様に定義することはできるのかという問い、第12章ではゲームを文化資源としてどのように保存していくべきかという問題について議論がなされており、どれもデジタルゲームとは異なる文化や他の研究分野との接触が試みられている。これは、筆者自身の研究関心の変化の表れというだけではなく、時代が進むにつれてゲーム研究という分野が徐々に確立され、焦点を当てる問題も増加し、それによって他の研究分野との交流が増えた結果であるともいえるだろう。

本書に収められた論文はほぼ年代順に並んでおり、それによって第Ⅳ部におけるゲーム研究の広がりもわかりやすく感じられるようになっている。この構成によって筆者自身の研究関心の移り変わりと同時に、日本におけるゲーム研究の変化や発展も間接的に伺い知ることができるのは興味深い。筆者のデジタルゲームに関する全論文を収録した充実の論文集であると同時に、特に日本におけるデジタルゲーム研究の重要なトピックや論点を概観することもできる一冊である。

(藤原萌)

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2024年2月11日 発行