7月6日(日)10:00-12:00
駒場キャンパス18号館4Fコラボレーションルーム2

・チェコスロヴァキア・シュルレアリスムにおける日常表象の政治性/河上春香(大阪市立大学)
・マン・レイ《天文台の時刻に――恋人たち》に関する一考察――シュルレアリスムとモードにおける唇のイメージ/小山祐美子(一橋大学)
・フィギュラシオン・ナラティヴはシュルレアリスムとどのように接しているのか/中田健太郎(日本大学)
【コメンテーター】木水千里(成城大学)
【司会】海老根剛(大阪市立大学)


パネル概要

何がシュルレアリスムであり、何がそうではないのか。運動の境界線をめぐるこの問いは、根本的なものでありながら、けして自明なものとは言えない。モーリス・ブランショの指摘していたとおり、シュルレアリスムは現代の空気のなかに深く浸透し、そのイメージはどこまでも拡散していくように感じられる。シュルレアリスム美術をめぐるロザリンド・クラウス以降の批評的言説も、その境界線を確定させるには至っておらず、むしろこの運動が何ではないかを否定辞で語ることによって進展してきたところがあったのではないか。シュルレアリスムとはモダニズムではなくまた現代美術でもない何かであり、そのために歴史上の屈折点としての意味をもちえた、といったように。
とはいえ近年の実証研究の進展は、境界線について肯定的に考える手立てをわれわれに与えてくれているのではないだろうか。本パネルは、そのような境界線のいくつかを提起し、たがいにすりあわせてみることによって、運動のありかについて具体的に考察することを目的とする。フランスの運動から離れて独自の展開をしめした各国の「シュルレアリスム」において、あるいは広告的利用によって現代生活に浸透し遍在して見える「シュルレアリスム」のなかで、さらには運動の公的な終焉にさいして現代美術との境界線で葛藤した「シュルレアリスム」をとおして、この運動はどこにあるのかという肯定形の問いをあらためて掲げてみたい。

チェコスロヴァキア・シュルレアリスムにおける日常表象の政治性/河上春香(大阪市立大学)

本発表では、チェコスロヴァキアにおけるシュルレアリスムを、日常の表象という観点から考察する。当地でのシュルレアリスム運動の発端は、左翼的思想をもつ芸術家集団デヴィエトシルにまで遡る。彼らが提唱したポエティズムは、「想像力の戯れ」を生活へ持ち込み、日常に詩性を見出す思想であった。このデヴィエトシルを母体に、1934年にはプラハにシュルレアリスト・グループが誕生する。やがて1938年には、詩人ヴィーチェスラフ・ネズヴァルがスターリニズムへの参画を表明してグループの解散を宣言するが、その後も作家カレル・タイゲを理論的支柱として運動は継続し、ナチスの侵攻と社会主義政権の時代を経て今日に至っている。
チェコスロヴァキアでは元来、日常の驚異は美的である以上に政治的な意義を帯びるということが強く意識されていた。しかしスターリニズムに向かわずシュルレアリスムを続けた作家たちは、芸術実践が生活実践を通して政治的行動に接するというダイナミズムをとらえ、抑圧的な権力関係のうちにあっても日常が個人的な抵抗点を構成するという意味において、政治的な芸術実践を育んでいたのではないか。タイゲとネズヴァルのテクストを比較的に検討し、加えて都市表象を扱った美術作品を軸に、この問いを検討したい。


マン・レイ《天文台の時刻に――恋人たち》に関する一考察――シュルレアリスムとモードにおける唇のイメージ/小山祐美子(一橋大学)

本発表ではマン・レイの代表作である《天文台の時刻に――恋人たち》(1932-34年)をテーマに、シュルレアリスム作品の商業への接近や、それにともなう作品の解釈の変容について考察する。本作品はその制作背景から、作家の自伝的要素やシュルレアリスムの文脈から解釈されることが多く、特に性的なイメージと結び付けられてきた。
一方でこの作品には以下のような歴史もある。女性器の暗喩である唇が大きく描かれていることから、ニューヨーク近代美術館で1936年に開催された「幻想芸術・ダダ・シュルレアリスム」展に出品された際に来館者から「卑猥」だと抗議を受ける。しかしその直後に、化粧品会社の社長兼コレクターであるヘレナ・ルビンスタインによって高額で借りられ、ニューヨークの美容サロン内にある新作口紅売り場に展示された。美術館で非難された作品が、新たに広告として機能したのである。また、この作品はマン・レイによるモード写真の背景に使用されるなど様々な場面に登場した。
《天文台の時刻に――恋人たち》はこれまでの一面的な見方だけではなく、商業の分野、一般女性からの視点という立場に立つことで新たな解釈を付与することができる。女性の社会進出が始まった時代において、美しい唇とは男性だけではなく女性の欲望を喚起しうるものだった。この作品の受容を通じ、シュルレアリスム作品に対する見方の変化、あるいは多面性を確認することができるのではないだろうか。


フィギュラシオン・ナラティヴはシュルレアリスムとどのように接しているのか/中田健太郎(日本大学)

フィギュラシオン・ナラティヴについては、1960年代の中ごろから活動を開始した、フランス版のポップ・アートとして紹介されることが多かった。しかし、たとえば2008年のポンピドゥ・センターでの大回顧展『フィギュラシオン・ナラティヴ パリ1960-1972』を機に再刊された資料や、グループを先導した批評家であるジェラール・ガシオ=タラボのテクストなどをあらためて確認してみると、彼らが英米のポップ・アートに倣うばかりではなく、むしろシュルレアリスム登場以降のフランス美術の文脈に深く立脚していたことが分かる。
本発表では、フィギュラシオン・ナラティヴの活動をシュルレアリスムとの接点に着目しつつ振りかえることによって、フランス美術の文脈におけるポップ・アートの受容の実際について考察したい。たとえば、フィギュラシオン・ナラティヴの画家たちが絵画における運動や意味の問題を強調するときに、たびたび参照されるのは、いわゆるモダニズムの即時性にたいして連続性を提起するシュルレアリスムの美学にちがいなかった。また、このグループと最末期のシュルレアリスムは同時代的に展開していたものであり、エルヴェ・テレマックのように双方のグループに所属していた事例も見のがせない。こうした具体的な接点を検討しながら、ポップ・アートのような第二次世界大戦後の美術とシュルレアリスムがどのような関係性をむすんだのかという主題にあらたな光をあてることも、本発表の願いである。