日時:2011年11月12日(土)10:00―12:00 
会場:東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム2

・岡田尚文(学習院大学)「マルセル・オフュルス『悲しみと哀れみ』における理髪行為の描写とその映画史的記憶について──C・ランズマン『ショアー』との比較を中心に」
・石橋今日美(東京工科大学)「まなざしの囮──現代3D映画をめぐって」
・宮本明子(早稲田大学)「『彼岸花』『秋日和』における作家里見弴の役割」
司会:松浦寿輝(東京大学)

岡田尚文(学習院大学)「マルセル・オフュルス『悲しみと哀れみ』における理髪行為の描写とその映画史的記憶について──C・ランズマン『ショアー』との比較を中心に」

 マルセル・オフュルス監督の1969年の作、『悲しみと哀れみ ― 占領下のある町の年代記』(Le chagrin et la pitié : Chronique d’une ville française sous l’occupation)は、ヴィシー政権下、ペタン主義の影響を受けると共にレジスタンス活動の中心でもあったフランス中部の町(クレルモン=フェラン)に取材し、当時の生存者の証言を集めた220分の黒白ドキュメンタリーである。当初、テレビ向けに製作されたこの作品は、しかし、フランスの「抵抗者の国」としてのセルフ・イメージを損うとして、歴代のテレビ・チェーン経営者らによって1981年まで放映を見送られることとなった(劇場では1971年に公開された)。日本でも劇場公開はされていない。
 この映画はクロード・ランズマンの『ショアー』に多大な影響を与えたとされているが、かかる事情も相俟って、その影響関係は充分に検討されてきたとはいい難い。本報告では、よって、両者の製作や形式上の類似/相違を詳らかにすると共に、そこから敷衍して、ドキュメンタリー映画に見られる映画史的記憶の連鎖ということについて検討してみたい。
 その際、特に、これら作品に共通して見られる「理髪行為」の描写に注目する。というのも、『ショアー』にあって映画史上に残る独創的なシーンとして記憶されているユダヤ人理髪師の証言シーン(視点編集を一切用いない9分強のロング・テイク)は、恐らく『悲しみと哀れみ』の女性理髪師の証言シーンを参照項として孕んでいると考えられるからである。

石橋今日美(東京工科大学)「まなざしの囮──現代3D映画をめぐって」

 2005年ハリウッドが3D映画推進策を打ち出して以来、『アバター』を筆頭に立体映画がブームだ。本発表は量産される立体映画作品の質を問い、現代3D映画のあり方を考察する。
 映画史は幾度か立体映画の流行を経験してきた。最もよく知られている例として、アメリカの家庭にTVが普及した50年代前半、観客の映画館離れを食い止めようと、各メジャースタジオは競って立体映画を制作した。しかし、大半のフィルムは立体感を安易に誇示する表現を濫発し、その勢いはわずか数年で途絶える。だが、すべてが凡作だったわけではない。カメラワークから登場人物とセットの位置関係まで、アルフレッド・ヒッチコックは『ダイヤルMを廻せ !』(1954)を三次元の作品世界として綿密に構想した。立体感を引き立てるための手法の一部は、今日の3D映画にも継承されている。
 50年代と現代の立体映画の大きな違いは、前者が立体視用のカメラで撮られていたのに対し、今日ではポストプロダクションの段階で 2Dを3Dにデジタル変換できる点である。専用のデジタル機材を開発し、撮影現場で立体映像のラッシュを見ながら制作される作品と、3D変換しただけの作品では、自ずと完成度に差が生じる。本発表ではハリウッドの商業大作だけでなく、ヴィム・ヴェンダースやヴェルナー・ヘルツォーク等による立体映画の試みを通して、現代3D映画の創造的可能性と広がりを検証する。

宮本明子(早稲田大学)「『彼岸花』『秋日和』における作家里見弴の役割」

 本発表では、小津安二郎監督『彼岸花』(1958年)、『秋日和』(1960年)の成立に作家里見弴およびその著作がいかに関与していたのかを検証する。
 小津は里見の愛読者であり、小津の映画には里見の意見がとりいれられたとみられる事例も複数確認できる。一例として『早春』(1956年)では、里見が準備稿に大幅な加筆修正を施し、それら加筆修正の一部が映画に採用されていた。その後年、『彼岸花』、『秋日和』において映画の「原作者」となった里見は、『早春』の頃よりも小津の映画に関与し、あるいは意見することなど容易であったはずではないか。しかしながら、今日まで『彼岸花』、『秋日和』のシナリオおよび小説がどのように執筆されていたのかは十分に明らかにされていない。これは小津、里見両者をめぐる当時の記録がほとんど現存していないためでもある。とりわけ『彼岸花』の場合、小津の日記にシナリオ執筆の過程をたどることさえ困難である。そこで本発表では、まず『彼岸花』、『秋日和』のシナリオおよび小説の内容を比較検討した上で、その成立過程を検証してゆく。小津がシナリオ執筆に用いていた『彼岸花』、『秋日和』の「直筆ノート」をはじめ、準備稿から完成稿に至るシナリオを第一次資料とする。現存する資料から判明しえない当時の状況については、里見弴の四男であり、『早春』以降小津の映画のプロデューサーを務めた山内静夫氏から教示を得た。