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第12回研究発表集会|研究発表3

日時:15:20-16:50
場所:武蔵大学江古田キャンパス8号館6階 8603教室

  • 関係の限界の彼方でともにあること──­ジョルジョ・アガンベンにおける潜在性の問題
    髙田翔
  • ポストアナキズムの問題──脱領域化の野心と再領域化の危険性
    小田透(静岡県立大学)

【司会】岡本源太(岡山大学)

関係の限界の彼方でともにあること──­ジョルジョ・アガンベンにおける潜在性の問題
髙田翔

ジョルジョ・アガンベン(1942-)が『ホモ・サケル』においておこなった一連の分析は比較的よく知られている。すなわち、ローマにおける法[ノモス]の例外者たるホモ・サケルをはじめとする一群の例外者たちが、「非の潜勢力」として排除されることによって、ノモスとその外たるピュシスとを逆説的に関係させる「閾」として機能し、ノモスの領域が設立される。この結節点をつうじてピュシスによるノモスの侵犯と更新、いいかえるならば絶えざる外の内部化としての「潜勢力の現働化」が駆動することで、法秩序と暴力との共犯関係が維持され続ける、といった分析である。しかしテクストの細部には、さらなる先、つまり「非の潜勢力」の「閾」としての機能そのものを変容させようとするラディカルな戦略もまた示唆されている。それは、「潜勢力が潜勢力自身に向き返って潜勢力を潜勢力自身に与える」ことに導き、濳勢力と現勢力とを「無関係な横並び」とでも呼びうる状態に移行させることで、潜勢力の現勢力への従属関係を破砕する、というものである。この戦略はごく初期の著作から、基本的には一貫して述べられ続けており、たとえば『開かれ』においては、人間と動物、自然と歴史の「閾」を生産し続ける「人類学機械」からの、「性的充足」をつうじた「切断」によって、「人間と動物のいずれをも存在外へと存在せしめる」ことがそれに該当する。アガンベンはこの自らの戦略を、「潜勢力と現勢力の関係の彼方で思考する」存在論の系譜−−アヴェロエス、ダンテ、スピノザ、シェリング、ニーチェ、ハイデガー、……──の先端に据えてすらいる。

本発表では、この戦略についての複数の著作における言及部を確認し、次いで先行者──とくに例外的に賛辞をもって召喚され続ける二人の哲学者、ベンヤミンとドゥルーズ−−の思考とのあいだに、潜在性を主題とした布置を浮かび上がらせることによって、その射程と内実の考察を目指す。


ポストアナキズムの問題
──脱領域化の野心と再領域化の危険性
小田透(静岡県立大学)

アナキズムがリバイバルしている。2013年に出版された論文集の序文でサイモン・クリッチリーが述べているように、「アナキズム的転回」が起こっている。本発表はとくにポストアナキズムと呼ばれる思想潮流を取り上げ、その批判的分析を通して、脱中心的なものを思想的に表象する可能性について考える。発表前半は、ポストアナキズムの嚆矢となったアンドリュー・コッホの「ポスト構造主義とアナキズムの認識論的基盤」(1993)とトッド・メイによる『ポスト構造主義的アナキズムの政治哲学』(1994)を取り上げ、ルイス・コールやサウル・ニューマンによる深化をたどり、ドュエイン・ルセルによる存在論的転換を概観する。ひとことでいえば、ポストアナキズムは、19世紀アナキズムをポスト構造主義的に再解釈したものであるが、この試みはさまざまな批判──過去のアナキズムを恣意的に取捨選択して戯画化している、ポストコロニアル的なものやジェンダー的なものを依然として取り逃がしており古典的聖典の再強化に終わっている──にさらされてきた。しかし本発表が強調するのは、ポストアナキズムに潜む再領域化の野心──アナキズムをイズムとして名詞化=実質化すること、哲学として表象すること──とその危険性である。結論部分では、マックス・スティルナーの亡霊論を参照しつつ、脱領域的なものを脱中心的にとどめておくための足がかりを作ることは可能かどうかを問う。