日時:2015年11月7日(土)午後13:30-15:00
場所:東京大学駒場キャンパス21KOMCEE(East 2F-213)

・武田宙也(日本学術振興会)「ライン・身ぶり・共同体——フェルナン・ドゥリニィと地図作成の思考」
・渡邊雄介(早稲田大学)「ジャン=フランソワ・リオタール『言説、形象』における芸術と宗教の関係」

司会|星野 太(東京大学)

武田宙也(日本学術振興会)「ライン・身ぶり・共同体——フェルナン・ドゥリニィと地図作成の思考」

 フェルナン・ドゥリニィ(Fernand Deligny, 1913-1996)は、20世紀フランスの作家・教育家である。その名は、1960年代後半からフランス南部のセヴェンヌ山脈一帯を舞台として実験的に繰り広げられた自閉症児たちとのコミューン的な共同生活と、そこから着想を得た多彩な活動によって広く知られるようになった。それらの活動には、エッセイや小説といった著作の執筆はもちろんのこと、映画制作、雑誌編集など幅広い分野が含まれるが、中でもドゥリニィの独創をよく表すものとして、また、同時期に活動したドゥルーズ=ガタリの思想に霊感を与えたことでも知られるのが、「地図」と呼ばれる特異な実践である。
本発表では、この地図の試みについて、ドゥリニィ自身の思想とのかかわりから考察してみたい。というのも、ドゥリニィの地図と、そこに描き出されたイメージには、彼が構想するところのオルタナティヴな存在様態(「言語とは別の仕方で」とでも表現できるような存在様態)や、さらには、こうした存在様態を基本とする共同体的な理念を読み取ることができるからである。また逆に言えばそれは、彼の思想が、これらイメージと不可分のものとして発展してきたということでもある。発表においては、ドゥリニィの用いる多様なキーワード相互の連関にも注意しつつ、この地図作成者のイメージ的思考の基本的な様態を明らかにすることを試みる。


渡邊雄介(早稲田大学)「ジャン=フランソワ・リオタール『言説、形象』における芸術と宗教の関係」

 本発表の目的は、ジャン=フランソワ・リオタールの1971年の著作、『言説、形象』における「形象(figure)」概念を今一度考察し、問い直すことにある。『言説、形象』は、70年代のリオタールの主著として位置付けられ、重要な先行研究としては、Geoffrey BenningtonやBill Readingsによる示唆に富む議論がある。しかしこれらの「形象」概念の読解は、現象学の限界からフロイトの精神分析へという大きな基本的枠組みに沿って行われており、概説的な議論にとどまっている。言い換えるならば、リオタールの「形象」概念において今まで注目を浴びてきたのは、メルロ=ポンティの哲学を支える「知覚」構造における「図(figure)」概念のフロイト理論による脱構築という側面であった。
 しかしリオタールの「形象」概念の多様な側面をとらえるならば、これと「エクリチュール」との関係も一考に値するであろう。というのも、この関係こそが『言説、形象』に登場する宗教についての議論と、芸術についての議論との関係性を解くカギであるように思われるからだ。本発表では、今までやや周縁的なテクストとみなされていた「欲望の『歴史』の一断章をめぐるヴェドゥ―タ」という美術史論に注目する。それによって本発表では、『言説、形象』における「形象」、「エクリチュール」(聖書を含む)、「欲望」の関係を明らかにし、リオタールの芸術論が、そのまま70年代の彼の宗教についての立場に直結していることを示す。