シンポジウム「ファッション展の現在とキュレーション―歴史・批評・ミュージアム」
ファッション展が頻繁に開催されるようになった今日、ラグジュアリーブランドや著名デザイナーに焦点を当てたブロックバスター展が注目を集める一方で、批評的な視点からいかにキュレーションを実践できるかについては、いまだ模索が続いている。本シンポジウムは、近年ミュージアムで開催されたファッション展の事例を振り返りつつ、そこで生ずる課題や意義を多角的に検討するものであった(なお、本シンポジウムは科学研究費補助金 基盤研究(B)「ミュージアムにおけるファッション展の日本的展開に関する総合研究」[課題番号:23K25274、研究代表者:平芳裕子]の研究成果の一部としても開催された)。平芳裕子氏(神戸大学)を司会に、小形道正氏(大妻女子大学)、小野寺奈津氏(国立新美術館)、髙木遊氏(金沢21世紀美術館)、そして報告者である五十棲の五名が登壇し、近年開催された展覧会のキュレーションに関して、企画担当者がそれぞれの視点から整理し、その後全体討議を行った。
本シンポジウムにおいては、「ファッション展」をめぐる下記の問題が確認された。まず、収集・保存・研究・公開を柱とするファッション・キュレーションの実践的方法論が、十分に議論されていない点である。ファッション展においては、主要な展示作品である衣服の素材や技法に関する物質的側面と、企画構成の骨子となるファッションの文化的影響に関する理論的側面の双方に対する研究が不可欠である。しかし、公的・私的機関を問わず、こうした基礎研究を支えるインフラはなお発展途上にあり、現場の課題を専門的立場から検討・共有する場も限られている。とりわけ日本においては、ファッション・キュレーションに関する理論研究はもちろんのこと、ファッション研究それ自体が周辺的な領域にとどまる傾向が続いてきた。こうした問題に対し、報告者の所属する京都服飾文化研究財団の活動を事例に、1978年に設立された同財団において形成されてきた衣服コレクションと研究がいかに国内外のファッション展の歴史や理論と連動してきたのか、今後のファッション・アーカイヴにおいて果たしうる役割と展望に関して報告を行った。
つづいて、ミュージアムという制度のなかでファッションをどのように位置づけるかという問題がある。ファッションは長らく、流通と消費を前提とした商業的領域に属するものとされ、ミュージアムでファッションが展示されるとき、その是非をめぐって物議を醸した歴史的事例も少なくない。そのため、ファッション展の普及は、単なるジャンルの拡張ではなく、それがいかなる場で開催されるのかといったサイトスペシフィックな視点から捉えることも重要である。このような視点から注目されるのが、小野寺氏による報告である。2007年に開館した国立新美術館は、独自のコレクションを持たない制度上の特徴により、従来の美術史的枠組みにとらわれず、これまで「周縁」に位置づけられてきた多様なテーマに基づく展覧会を柔軟に企画できる。とりわけ、「ファッション・イン・ジャパン 1945–2020―流行と社会」(2021年)や「イヴ・サン=ローラン展 時を超えるスタイル」(2023年)は、ファッションをいかに美術館の展示主題として扱うかをめぐって、重要な試みと位置づけられる。収蔵品を前提としない展示において、制度のなかにファッションをどのように位置づけなおすか、またキュレーションがその意味をいかに再構成する営為となりうるか、こうした問いが可視化される機会となっている。
また、本シンポジウムで重要な論点となったのは、ファッションを多様な芸術表現といかに接続し、ひとつの展覧会として構成しうるかという課題である。髙木氏の報告では、金沢21世紀美術館で開催された「甲冑の解剖術─意匠とエンジニアリングの美学」(2022年)および「DXP(デジタル・トランスフォーメーション・プラネット)―次のインターフェースへ」(2023-24年)の事例が紹介された。とりわけ「DXP」展では、ファッションは「着る」「飾る」といった機能のみならず、他領域の表現と同様に、社会的・感覚的な問いを媒介するプラットフォームとして位置づけられる。素材や形式としての枠にとらわれることなく、現代のデジタル技術を通じて社会と接続しうる問いの触媒として機能していた点に、この展示の意義がある。こうした展示においてキュレーションは、ファッションを閉じたメディウムとして扱うのではなく、さまざまな芸術表現とファッションがいかなる問題を共有しているのか、その関係性を探る実践として位置づけられる。作品がそれぞれに自律した意味を内包するなかで、それらを結びつけ、新たな思考の空間を立ち上げることこそ、キュレーションの重要な役割となるのである。
その一方、衣服を空間にただ配置するだけでは、展示の背景や意図、さらには「なぜこの衣服が展示の対象となるのか」といった文脈までが伝わるとは限らない。ミュージアムにおけるファッション展では、市場や商業空間の論理から距離を取りつつ、思考や対話の場をいかにひらくかが常に問われてきた。そのためには、展示手法にとどまらず、語りの枠組みそのものを見直す必要がある。この点で注目されるのが小形氏の報告である。「ドレス・コード?─着る人たちのゲーム」(2019-21年)および「LOVE ファッション─私を着がえるとき」(2024-25年)では、従来の様式史やデザイナー中心の構成を相対化し、「着ること」、すなわち着用者の経験に焦点を当てる展示が実践された。ファッションを一元的な歴史や特権的な制作者に回収せず、複数の視点や関係性を可視化することで、新たな語りの編成が試みられている。ファッション展において批評的実践を可能にするには、衣服だけでなく、それを語る言説自体への再考が不可欠となる。
これらの個別報告を踏まえ、全体討議では、ファッションが身体に着用されることで意味を持つ表現であることや、展覧会という静的な形式においてその身体性や経験性をいかに翻訳・提示するかが、とりわけ重要な課題として議論された。衣服は視覚的な造形だけでなく、素材の感触や動き、着用時の身体といった触覚性との関係を通じて意味を生み出すため、そうした要素を欠いた展示には、ファッションの情報を伝えるうえでの方法論的な限界が生ずる。さらに、衣服特有の保存・再現の困難さも共有された。素材の劣化やスタイリングの歴史的・資料的解釈といった側面は、美術作品とは異なる保存・展示上の倫理的・制度的課題を含んでおり、キュレーションにおいても継続的な検討が求められる。
そして、国際的には、ラグジュアリーブランドによる出資や著名キュレーターを起用した演出型の展覧会が話題を呼び、セノグラフィに多額の資本を投じたファッション展が主流化している。ブランドアーカイヴや大型コレクションに基づく壮大な展示は、視覚的スペクタクルとしての魅力を高める一方で、歴史的文脈や社会的背景に対する批評的視点が希薄になるリスクも抱えている。ファッションを支える文化資本の整備、公的・私的な保存・収集の体制、さらには歴史や社会と接続してファッションを語る言説の未成熟といった課題とともに、こうした国際的潮流と比較することで、日本におけるファッション展の困難も浮かび上がった。
最後に、本シンポジウムは、報告者も企画者として参加した展覧会「LOVE ファッション─私を着がえるとき」(2024年9月13日-11月24日、於:京都国立近代美術館)の関連プログラムとして開催された。本展は、1980年から続く同館と京都服飾文化研究財団の協働による、九回目のファッション展にあたる。司会の平芳氏が指摘したように、ファッション・キュレーションの問題は、ミュージアムの制度やファッション産業における展覧会の歴史的展開と深く関わっている。その意味で、日本の国立美術館で最初のファッション展「現代衣服の源流」(1975年)が開催されたこの会場で、改めてファッション展におけるキュレーションの可能性が議論されたことは、重要な意義を持つ。ファッション展の現場では、依然としてラグジュアリーブランドや西洋中心の美学が優位に立ち、非西洋の衣服、ストリートファッション、労働着など、多様な衣服文化が周縁化される傾向がある。ファッションが社会階層、ジェンダー、植民地主義と密接に関わる以上、展示実践においても文化的な権力構造を問い直す視点が不可欠である。ファッション展を単なる視覚的消費の場とせず、身体性、歴史性、社会性を含む複層的な文脈から再構成するには、キュレーションの方法論そのものを問い直さなければならない(もちろん、「LOVE ファッション」展もその例外ではない)。何を、誰の視点で、どのように展示するのか──その問いを共有し、制度的・理論的整備と実践的知見を往還させることこそが重要であり、本シンポジウムはその課題提示の機会となったのではないだろうか。
【シンポジウム概要】
日時:2024年11月4日(月・祝)13時30分-16時30分
場所:京都国立近代美術館1階講堂
登壇者:
平芳裕子 (神戸大学大学院人間発達環境学研究科 教授)司会
小形道正 (大妻女子大学 家政学部 専任講師)
小野寺奈津 (国立新美術館 特定研究員)
髙木遊 (金沢21世紀美術館 アシスタント・キュレーター)
五十棲亘 (公益財団法人 京都服飾文化研究財団 アシスタント・キュレーター)
主催:
公益財団法人 京都服飾文化研究財団
科学研究費補助金 基盤研究(B)「ミュージアムにおけるファッション展の日本的展開に関する総合研究」(JSPS23H0057 研究代表者:平芳裕子)
神戸大学大学院 人間発達環境学研究科 人間発達専攻表現系 ファッション文化論研究室