寄稿2 これは評伝ではない?
「これはジャン・ユスターシュの伝記ではない」。序文にあえてそんなことを書いたのは、この本を『評伝ジャン・ユスターシュ』と名付けたからだった。
矛盾している。そう言われれば、なるほどぐうの音も出ない。
だが、正反対のことをいって、読者を煙に巻きたいわけではなかった。むしろいかに誤解を少なくするかを考えた、そんな配慮の結果にすぎなかった。
この本を評伝と呼んだのには自分なりのわけがあったし、他方でこの本にいわゆる伝記や評伝と呼ばれるものを期待されても、その期待を裏切ることにしかならないのはわかっていた。「あえていうなら、これはジャン・ユスターシュの作品の伝記である」。先の一文はこう続く。自分が書いたものをできるだけ正確に名付けようとして、そのとき思いついた精一杯の言い方である。
いま思い返してみると、評伝と名付けたとき、これを論文とは思われたくないという心理が働いていたはずだ。もとは博論だったけど、自分としては本を書いているつもりだった。評伝といっておけば、「本稿の目的は○○を明らかにすることである」式の何かと一緒にされることはないだろう。そんなふうに考えていた。
そもそも問いを立てることを拒否し、記述することそれ自体を目的にして、そうすることでしか書くことができないものを書こうとしてできあがったものだ。もとが博論だったり、著者が大学で教えていたりするだけで、中身がどうとは無関係に放っておけば論文扱いされてしまう。それをいちばん危惧していた。学術論文でないことを示す、そのためにひねり出されたこの「評伝」という呼称。
「これはジャン・ユスターシュの伝記ではない」。そう序文に書き付けたとき、また別のことも考えていた。
結局、自分には伝記を書くことはできなかった。それを素直に認めていることを示しておきたい。そんな気持ちがあった。ユスターシュの作品は彼の人生と密接に結びついている。だから、彼の映画について書けばそれは同時に彼の人生について書くことになり、彼の人生について書けばそれは同時に彼の映画について書くことになるはずだった。伝記を書くための作業は必須だった。けれど、自分にはそこまでの徹底した調査をするだけの能力はなかった。
実力不足を悟ったのがいつごろだったかは憶えていない。ただ、できないならいっそ積極的にやらないようにしようと決意したことは憶えている。その結果、幼年期に対してあえて関心を払わない書き方が選ばれている。子供の頃のエピソードをどれだけ充実させるかは、たぶん伝記の醍醐味であろうと思いつつ。
もちろん完全に避けたというのではないが、ユスターシュの少年時代の話は『ぼくの小さな恋人たち』を通してしか触れていない。評伝といいつつ、幼年期は映画の中で虚構化されたものでしかない。家庭環境や出自に作品世界の原光景を探るというよくある伝記の過ちを避けるには、自分の選択は間違っていなかった。いまもそう考えている。
私は、ユスターシュが生まれた故郷ペサックと少年時代を過ごしたナルボンヌに一度も訪れずに書くことにこだわった。『サンタクロースの眼は青い』や『ぼくの小さな恋人たち』が撮られたナルボンヌ。その町並みが物語の構造にどう生かされているかという地元の証言を紹介しながら、自分の手元には映画と地図を合わせて得られたおぼろげなイメージしかなかった。
これでどこまで行けるか。「作品の伝記」を書くには、あくまで作品から出発しなくてはならない。
博士論文を書き上げ、口頭試問が終わったその翌日に、私は初めてペサックに赴き、次いでナルボンヌまで足を伸ばしたのだった。もっと早く来ていれば、もっと充実したものが書けたかもしれない。そんな思いが一度ならずよぎったことは否定しない。できるだけ多くの関係者に会って話を聞く。考えることよりも調べることに重きを置いて書き進めてきた、その方針を考えても理不尽な選択だった。それは自分でもわかっていた。
でも、これでよかった。こうするしかなかった。私は自分の文章を再読するような、不思議な感覚に襲われながら町を歩いた。一歩足を踏みしめるごとに、まるで言葉の上を歩いているような感覚を抱いた。言葉が現実と重なりあって、文章にやっと内実がともなったのかもしれなかった。あたかも現実が後からやって来たかのように。
『評伝ジャン・ユスターシュ』が作品の伝記だというとき、ジャン・ユスターシュという存在そのものもまた一つの作品であることが暗に示唆されている。個々の作品がどう生まれ、どう育っていったかを記述しながら、その作者の輪郭があくまで作品から立ち上がるように苦心して書いた。作者から作品が生まれるのではなく、作品があって初めて作者が生まれるからである。
評伝と名付けてそれゆえ誤解を呼んだこともあるけれど、やはり他に呼びようはなかった。だから後悔はしていない。「これはジャン・ユスターシュの伝記ではない。あえていうなら、ジャン・ユスターシュの作品の伝記である。私は彼に襲いかかった必然性を探し求め、そこから生じた映画たちの人生を記述した」。