単著

北村紗衣

女の子が死にたくなる前に見ておくべきサバイバルのためのガールズ洋画100選

書肆侃侃房 
2024年11月

「女の子」はいつ「死」を近くに感じるだろうか。「女」や「女の子」であるかないかにかかわらず、「生きている」ということをやめたくなる時もあるだろう。または、「女の子」であるがゆえの生きづらさのようなものに直面して、生きることへの絶望や諦めのような感情が湧き上がってくることもある。だがそういった、社会とのかかわりのなかで生じる軋轢とは別に、自分のなかの「女の子」である部分を捨て去り、「女」であることを強調せざるを得ない時や、自嘲気味に「もうおばさんだから〜」と嘯く時もまた、「女の子の死」の一つとして数えることができるかもしれない。望むと望まないとにかかわらず、ひとりの人間のなかで「女の子」「女」「おばさん」と自己認識がコロコロと変わり、さらに「母」「娘」「妻」のように、社会の内外の要請から役割やキャラクターを変更していく必要も出てくる。そういった自己規定の不安定さに引き摺られたがゆえに生じる戸惑いにくたびれ果てる場合もあるだろう。

本書は、そういった種々の困難さに対して「サバイバル」にしていく際に、時に寄り添い、時に叱咤激励し、時に自身の状況に対する感情に言葉を与えてくれるような映画作品が幅広く紹介されている。取り扱われる作品は、『女だけの都』や『キャット・ピープル』といった古典映画から、『マッドマックス〜怒りのデスロード〜』や『バービー』といった最近の作品まで、ホラーやS Fまたはディズニー映画やミステリーなど、様々に分類されうる作品が並べられている。本書の紹介する映画がこれほど多岐にわたっているということは、それはそのまま、女であるがゆえに行き当たる問題にはいろいろあるということであろう。さらに著者は、これまでいわゆるフェミニズム映画に括られてこなかったような作品についても、女性の身体や痛みに対して真摯に向き合う機会となるような萌芽を丁寧に見つけていく。

著者がエピローグで語るように、100の映画のリストは、そこに並べられている作品と同時に並べられなかった作品もまた重要である。過去において名作として名を残し、または当時には女性にとって重要な意義を持つと評価されたにもかかわらず、今この時代に出版された本著において語られなかったものについて想像すること。それには過去において看過されてきたが、そこを見過ごさず誰かが声を上げることによってきちんと問題化されてきた事象を含んでいるのかもしれないし、そうであるならば、時代や社会が遅々とした歩みであれ少しずつよくなっているという希望のあらわれかもしれない。100では到底足りないほど、ひとの数だけ問題や悩みは尽きることはない。だが、リストに並べられた映画のタイトルとタイトルのあいだに、伏水流にようにこれまで人が観てきた映画を、これから作られるであろう作品を思い浮かべることができる。それが本著の最も重要な意義であろう。

(福田安佐子)

広報委員長:原瑠璃彦
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2025年6月29日 発行