研究ノート

ダンスを作ることとバラすこと──ダンスドラマトゥルクの実践と研究

中島那奈子

ダンス研究、ダンスドラマトゥルクという肩書が、何を意味しているのか質問されることが多い。仕事が多岐に渡り、またそこでの活動が国をまたぐので、肩書きを含めてどんなことをやっているか、掴みにくいという。ダンスを作ることとそれをバラすことです、と答えているが、それでもあまり伝わらない。ダンス研究は理解できても、ドラマトゥルクとなると、日本では理解してくれる人がほとんどいない。日本でも演劇の分野では、この肩書を名乗る方が随分増えてきたものの、欧米やアジアの劇場に比べると、公的助成の少ない日本の舞台芸術界は、ドラマトゥルクの本格的導入には消極的に見える。

最近、自分が20年ほど過ごした日本舞踊の世界と、ダンスドラマトゥルクとしての仕事が、繋がっているのではないかと感じている。一人の作家が作品を作って、その権利を所有する近代的芸術家の姿は肌になじまず、烏滸がましく感じてしまう。それよりも、既にあるものを共同で手を加えて良くしていく、ドラマトゥルクのスタンスが、私には性にあっている。そしてそれは、新作の振付が長く家元以外には認められなかった日本舞踊で、伝統を継承し、再構成し、再創造することが求められる舞踊家としての姿勢とも繋がるものだった。

2006年にニューヨーク大学大学院パフォーマンス・スタディズ学科にいた時に、ドラマトゥルクでもあったダンス研究者のアンドレ・レペッキの勧めで始めて以来、私はドラマトゥルクとしての仕事を続けている。近年は研究成果を活かすためにも、長期で発展させるプロジェクトに多く関わっており、日本では、Kyoto Experiment 2012での砂連尾理振付「劇団ティクバ+循環プロジェクト」や、フェスティバル・トーキョー16で上演したセバスチャン・マティアス振付「x/groove space」、TPAM国際舞台芸術ミーティング in 横浜2016ディレクションの「ダンスアーカイブボックス」や、TPAM2019のタナポン・ウィルンハグン振付「退避」などがある。


ダンスドラマトゥルギーという分野

ドラマトゥルクの活躍だけでなく、ダンスドラマトゥルギーという研究分野も、欧米でのダンス研究、パフォーマンス・スタディズの一領域として確立している。ドラマトゥルクの現場の知をまとめた著作だけでなく、それに哲学的考察を積み上げるダンスドラマトゥルギー研究も、この10年で進んできた。ダンスドラマトゥルクの第一人者である、ピナ・バウシュのドラマトゥルクを務めたライムント・ホーゲの著作、ベルギーのドラマトゥルクであるギー・クールズによるIn-between dance cultures: on the migratory artistic identity of Sidi Larbi Cherkaoui and Akram Khan (2015)、米国の振付家ラルフ・レモンのドラマトゥルク、キャサリン・プロフェタのDramaturgy in Motion: At Work on Dance and Movement Performance (2015)、理論書でかつ実践者への手引きでもあるキャシー・ターナー、シュンネ・ベアントによるDramaturgy and Performance (2016)、ロンドン拠点のドラマトゥルク、カタリン・トレチェーニィDramaturgy in the Making: A User’s Guide for Theatre Practitioners (2015)など、ダンスドラマトゥルギーだけでも出版物は枚挙にいとまがない。現在、国際パフォーマンス・スタディズ学会の会長をつとめるピル・ハンセンが編集した、Dance Dramaturgy: Modes of Agency, Awareness and Engagement(2015)は、2011年にカナダのヨーク大学で開催された国際舞踊学会(Society of Dance History Scholars)でのドラマトゥルクと研究者の論考をまとめた包括的なもので、私も論文を寄稿している。


老いた身体を眠りから呼び起こすこと 

2019年は、中国北京を拠点とする若手振付家・演出家のメンファン・ワンと協働した。才気溢れるワンは、子供や高齢者が関わる舞台作品を手掛けてきており、老いと踊りの研究を進めていた私に、ケルンで声をかけてくれた。それから、51歳と82歳の中国国立バレエ団を引退したダンサー二人が出演する、ワンの演出・振付作品When my cue comes, call me, and I will answerのドラマトゥルク として、企画段階から携わることになった。この作品タイトルは、シェイクスピア「真夏の夜の夢」に登場するロバの姿に変えられてしまった職人ボトムのセリフに由来している。2019年初頭から北京で始まっていた稽古に、私も参加し、秋には烏鎮演劇祭2019と北京の中間劇場でこの作品を上演した。高齢のダンサーは、バレエに限らず、中国の舞踊には登場しないため、上演時は観客の衝撃と動揺を、目の当たりにした。それでも、チーム内や周りの人々が、長老の高齢ダンサーに対して労い、敬う姿勢を見るにつけ、中国古来の敬老文化が、日常の中にまだ生きていることを感じた。

When my cue comes Beijing_03.JPGWhen my cue comes, call me, and I will answer, Photo by Da Zhuang

中国ではバレエが、中国舞踊や京劇の身体を、近代化するために用いられたが、江青が主導する文革で共産主義化が推進され、革命バレエと呼ばれる独特の作品を生み出した。ただ文革の終焉とともに、その革命バレエ自体があまり上演されなくなってしまった。皮肉なことに、中国の近代を体現するこの革命バレエのダンサーたちが思い出すのは、革命バレエではなく、当時上演が禁じられていたヨーロッパの幻想的なロマンチックバレエ「ジゼル」だった。

加えて、これは公的助成を受けないインディペンデントでの作品であったものの、中国での検閲の問題が、創作の現場に様々な影を落としていた。この作品では、バレエの訓練によって強張った緊張を解き、身体の重心を相対化することで、二人の老いたダンサーをその過去の眠りから呼び起こし、近代的意識から解き放とうとした。そして、革命バレエへの批判的オマージュとして、開場時に革命バレエ作品「紅色娘子軍」のテーマ音楽を、二倍速で演奏した。中国における「近代の老い」が、老いたダンサーの踊りに体現される──関連イベントやポストトークでも、このような話題を議論することには、緊張を強いられた。


アーカイブがつなぐもの

身体の動きによるダンスは、誕生とともに消失するエフェメラルな芸術の筆頭であるため、アーカイブ化に多くの困難をかかえている。特に、ダンスアーカイブが記録保存に終始し、新しい作品創造に活用されなかったことが、近年指摘されている。アーカイブは、研究のために資料を記録保存するだけでなく、未来に向けてそれを活用した創作に使われる必要があるのではないか。

2019年から2020年の冬学期では、ドイツ・ベルリン自由大学のヴァレスカ・ゲルト記念招聘教授を務めた。ドイツ20世紀のアヴァンギャルドダンサー、ヴァレスカ・ゲルトの功績を名に冠したこのポストは、舞踊学部の大学院生たちにダンスの理論と実践を教えるもので、ドイツ以外に拠点を持つ研究者やアーティストが、歴代務めている。私はこの職に着任するにあたって、ダンスドラマトゥルクとして実施したプロジェクト「ダンスアーカイブボックス」のベルリン版を提案し、初めてこのプロジェクトをアジア文化圏の外で実現することとなった。これは2014年にセゾン文化財団が、シンガポールの演出家であるオン・ケンセンの提案を受けて、7人の日本のコンテンポラリーダンスの振付家とともに実施した事業である。ここでは、振付家本人が自らの作品のアーカイブボックスを作り、それを見知らぬ振付家に送って、そのアーカイブボックスへの応答パフォーマンスを作ってもらう、記録保存ではない、上演のためのアーカイブの試みである。ここでは、ダンスをアーカイブすることと、そのアーカイブを活用することの二つの側面を、アーカイブボックスを作る「アーキビスト」と、それを受け取る「ユーザー」という役割に該当させている。日本の振付家たちが作ったアーカイブボックスへの、ドイツの学生たちによる応答に見られた文化翻訳の問題についても考察すべきことは多い。このプロジェクトがアジアを超え、ヨーロッパで新たな展開を見せた時、ポストコロナ時代のダンスの新しい伝わり方をも予見させていた。

dance archive box berlin 3092.jpg
Dance Archive Box Berlin, Photo by Jan-Peter Schulz

これは、ベルリン自由大学とベルリン芸術アカデミーによる事業であったため、この半年私はこのベルリン芸術アカデミーの宿舎に滞在していた。このベルリン芸術アカデミーは、1696年のフリードリヒ3世のアカデミーに端を発する、ドイツ語圏でもっとも重要な芸術アーカイブを誇る施設だった。東西ドイツ分裂後、二つに別れたアカデミーを、壁崩壊後に一つに統一させる理由になったのがこのアーカイブであったという。宿舎の同じ階には、東ドイツ時代からアカデミーに勤めている、生き字引のようなアーキビストが働いていて、私にアカデミーの歴史を丁寧に教えてくれた。しかし、彼に聞いてもわからない謎がもう一つあった。目覚ましをかけたわけでもないのに、ほぼ毎日夜中に一度目が覚める。時計を見ると夜中の3時。それは私だけではなく、アカデミーでレジデンスをしていた他のアーティストも時にそうであるようだった。アカデミーの天井に降り立つ鳥のせいか、近くを走るドイツ鉄道のせいか、はたまた、アーカイブに幽霊でも出るのかと、不思議に思って、芸術アカデミーのディレクター、ヨハネス・オーデンタールに尋ねてみた。彼は少し戸惑った表情を浮かべながらも、軽やかに私にこう言った。「宿舎の君の部屋は、かつてサミュエル・ベケットも泊まっていたところだからね。」


アクチュアルな現実に介入していくこと

現在は、タイの伝統舞踊コーンの訓練を受けた振付家・ダンサーであるピチェ・クランチェンと、台湾のダンサー・振付家であるウーカン・チェンによる新作を、準備している。フランスの振付家ジェローム・ベルとの作品で、世界的に知られるようになったピチェ・クランチェンは、バンコクに自身のダンスカンパニーだけでなく劇場を作り、タイ仮面舞踊劇の再創造を伴う再構築を、コンテンポラリーダンスとして試みる舞踊家である。この作品は、アジア各地の伝統芸能に継承されている古代インド神話「ラーマーヤナ」を、現代の視点で再構築する作品で、カンボジア、ミャンマー、インドネシア、タイの伝統舞踊の師匠とされる高齢のアーティストとの作品である。この作品を台湾で初演することで、歴史的文化的アイデンティティを模索する台湾の、新たな伝統を再構築することが望まれているのだろう。私は2019年からドラマトゥルクとして関わり、台北、バンコクでの稽古に併走してきたものの、新型コロナウィルス感染症の影響で、2020年8月に台北のナショナル・シアター&コンサートホール(NTCH)で予定していた初演が、2021年8月に延期となった。

この10年で、パフォーマンス・スタディズという方法論の国際的な広がりによって、パフォーマンスという言葉が、学術的研究とアーティスティック・リサーチ双方を意味するようになった。そのようなリサーチは学際的で、理論と実践の往還に深く根ざすものである。ダンスドラマトゥルクとしての実践も、そのような研究領域と芸術領域の狭間にあり、作品作りのアクチュアルな現実に向き合い、これまでの学術研究の蓄積を持って、そこに貢献しかつ介入していくことであると考えている。

中島那奈子(ダンス研究・ダンスドラマトゥルク)

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2020年10月20日 発行