第1回オンライン研究フォーラム

ワークショップ2 「情動」論の現在 ──その多元的前線

報告:渡部宏樹

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日時:202089日(日)14:00 - 16:30

遠藤不比人(成蹊大学)
難波阿丹(聖徳大学)
向江駿佑(立命館大学)
飯田麻結(ロンドン大学ゴールドスミス校)
【司会】柿並良佑(山形大学)


まず司会の柿並氏が、1990年代以降の人文科学内外での「情動」に関する多元的な研究動向をマッピングするというワークショップの趣旨を説明した。研究領域によって「情動」概念の力点の置き所は異なるが、ブライアン・マッスミ(Brian Massumi)らによる、個人の内面にありテクストや記号によって把握される整頓された感覚傾向としての「感情(emotion)」と、身体の基層にあって知覚や感覚によって痕跡や残滓として看取される「情動(affect)」という区別が本ワークショップの共通の参照地点として紹介された。

実際の発表順とは異なるが、本ワークショップで触れられた様々な論点をできるだけ簡潔に紹介するために、情動をめぐる現代の理論的問題を論じた向江氏、飯田氏の発表から報告する。まず、向江氏は近年のビデオ・ゲーム研究において「affect」という語を使用した論考群を対象に、テクスト・マイニングで学術分野によるこの語の用法の違いを論じた。定量的な手法を導入することで、「affect」は「aggression」といった語彙などと共起することが多く、ビデオ・ゲーム研究においては心理学などの自然科学分野の影響が強いことを明らかにした。発表後の討論も含めて向江氏の発表は、スピノザ/ドゥルーズの系譜に依拠することが多い人文科学内部でのaffect理解に対して、ゲーム研究においては計量可能で操作可能な対象としてaffectが理解されているといった学術分野間のギャップを強調するものであった。

飯田氏はThe Affective Turn(2007)の編者、Autoaffection (2000)の著者であり情動論的転回において大きな役割を果たしたパトリシア・クラフ(Patricia Clough)やAffect and Emotion(2012)の著者マーガレット・ウェザレル(Margaret Wetherell)の議論を紹介し、技術論、フェミニズム/クイア研究、社会学の文脈から情動という問題意識が浮上してきた理論的系譜を概説した。後半部分では、SNS、バイラル・メディア、グローバル金融危機など現代の具体的な事例に言及しながら、表象を通した情動の感染に注目し、生政治がテクノロジーを通して身体に働きかけるメカニズムの中に情動を位置付けた。飯田氏は、この議論に基づいて、現代のCOVID-19パンデミック下での様々な言説を取り上げ、デジタル・テクノロジーを通じた情動の感染という問題点を指摘した。

向江氏と飯田氏は現在の事例を扱ったのに対して、難波氏と遠藤氏は歴史的過去を議論の遡上に載せた。難波氏は映画研究における情動の議論を紹介し、初期映画の中の物語に統合されないショックや刺激といった快楽を論じたトム・ガニング(Tom Gunning)の「アトラクションの映画」と関連づけて整理した。初期映画における情動の利用の具体的な事例として、難波氏は性病映画と呼ばれるジャンルがグロテスクな描写で脅威を可視化し、観客の情動に働きかけることで病気の知識の周知や観客の性的行為の矯正をするものとして期待されていたことを紹介した。難波氏によれば、物語映画の形成期である1910年代以降、性病映画は物語形式を受け入れ、その「アトラクション」の要素は物語の内部で観客の情動を管理する役目を割り当てられていった。

人間の内面を管理するテクノロジーとの関係で情動を理解しているここまでの3氏と比較すると、遠藤氏は批評概念としての情動の可能性を探求している。遠藤氏は、フレドリック・ジェイムソンを参照し、19世紀の近代文学が「感情」を制度化したときに、その余剰として主体の内部に胚胎してしまう外部として「情動」を描き出す。ロジャー・フライ(Roger Fly)を経由し、主体と客体という二分法の間にある不可視で不可知でありながら物質的で触覚的な「もの」の領域に潜む情動性を浮かび上がらせた。討論の中では、19世紀の超自然的なものへの関心についてテレパシーとの関係が指摘され、遠藤氏から心霊学と精神分析との関連性に関して応答があった。テレパシーの議論は飯田氏の現代におけるテレテクノロジーと感染の議論との接続が示唆されるものであり、難波氏や向江氏によって憑依やJホラーといった論点へと広げられた。

討議において最も多く寄せられた質問は、基本的にスピノザ/ドゥルーズ的な情動理解に依拠している発表者が多いが、発表者ごとまたそれぞれの発表の中でも情動という用語の使用に揺れや曖昧な部分があるのではないかという指摘である。この指摘に対しては主に遠藤氏が「affect」という日常語ではない英単語を使うことから生まれる異化作用の批評概念として効果を重視するという応答があった。実際、遠藤氏の文献学的アプローチは非常に豊かで、柿並氏が「人文学の側からの応答」と強調したその最良の部分を体現していたといえる。

一方で、多元的前線のマッピングというワークショップの趣旨から考えると、批評概念としての高度な洗練は、向江氏が述べたような自然科学、社会科学、分析哲学との対話の難しさの裏返しとも言える。この点については、司会の柿並氏が多くの質問を拾いながら情動をめぐる議論の多元的な広がりを整理し、ワークショップの冒頭で宣言したようにその難しさを見事に描き出した。柿並氏の整理によれば、ベイトソンやモースが議論していた「emotion」が構築主義の隆盛によって顧みられなくなったのだが、その後、氏の言葉を借りれば「cultureからnatureへの振り戻し」があったときに、この構築主義が取りこぼしてきたものとしてのaffectに対して再び注目が集まったのであり、その経緯がaffect概念の掴みづらさの背景にある。ワークショップの最後にはこういった概念の系譜学を明らかにする重要性が強調され、そうすることで、今後このワークショップを発展させ、様々な領域における情動論を架橋していく可能性が提示された。


ワークショップ概要

本ワークショップは、「情動」をめぐる研究の学際的かつ多元的な動向をマッピングし、さらなる議論の地平を作りだすことを目標とする。1990年代以降、心理学、認知科学、精神分析学、ネオサイバネティクス、神経生理学等、人文学内外の多分野・多領域を横断して「情動」が主要な問題系として浮上しており、こうした動向は「情動論的転回Affective Turn」(パトリシア・クラフ)という名のもとに一定の注目を集めてきた。とはいえ多岐にわたる研究の全体を見渡すのは容易ではなく、また分野に応じて概念の用法やアクセントの置きどころは当然ながら異なってくる。

ごく概略的に言って、「情動」はテクストや記号によって把捉される整頓された感覚傾向としての──しばしば「個人」の「内面」にその座を有する──「感情」とは異なり、知覚・感覚的に体験され、身体の基層にある痕跡および残滓として看取される運動として観測できるが、「知覚」・「身体」・「感覚」へのアプローチが研究領域ごとに異なる以上、分野を横断した議論の場が開かれているとは言い難い状況である。そこで本ワークショップでは、関連諸分野のなかでも特に文学、映像、ゲーム、フェミニズムの専門家を招いて、その多元的前線の動向を観測し、共通の問題意識や「情動」論の射程範囲を描き出したい。

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2020年10月20日 発行