第1回オンライン研究フォーラム

パネル2 挑発するメディア ──「長い60年代」における批判的コミュニケーションとしての芸術

報告:吉田寛

日時:2020年8月9日(日)10:00 - 11:30

・現代音楽における虚構と実在の力学──B. A. ツィンマーマンの《ある若き詩人のためのレクイエム》におけるメディア性/曹有敬(東京大学)
・政治的媒体としての芸術──ヨーゼフ・ボイスにおける美的=政治的コミュニケーション/水野俊(慶應義塾大学)
【司会】吉田寛(東京大学)

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パネル2 「挑発するメディア──「長い60年代」における批判的コミュニケーションとしての芸術」では、第二次世界大戦後ドイツの芸術をめぐって二つの研究発表が行われた。

曹有敬は「現代音楽における虚構と実在の力学──B・A・ツィンマーマンの《ある若き詩人のためのレクイエム》におけるメディア性」という題のもと、作曲家ツィンマーマン(1918-70)の晩年作品のコラージュ技法がもつ批判的性格を考察した。ツィンマーマンは戦後に就いたラジオの仕事を通じて、ドキュメンタリーの手法に目覚め、後年それを芸術創作にも応用した。その結晶が《レクイエム》(1969年初演)であり、ヒトラーやスターリン、ゲッベルスなどの声を録音したテープが素材の一つとされている。これらの声がコラージュされて幾度も「反復」されることで、過去と現在、および虚構と現実の境界が曖昧になり、現実の批判的認識が生まれる。声のコラージュは、メディアにその本来的二義性(伝達媒体/記録媒体)を最大限に発現させる、と発表者はいう。

水野俊は「政治的媒体としての芸術──ヨーゼフ・ボイスにおける美的=政治的コミュニケーション」という題のもと、強い社会的志向をもつ芸術家の芸術実践と政治活動をどのように「切り分けつつ関係付けて」理解すべきか、という問題を提出した。ボイス(1921-86)は「社会彫刻」の提唱者として知られるが、彼の後年の作品/活動であるドクメンタでの《国民投票による直接民主主義のための組織》(1972年)や《100日間の自由国際大学》(1977年)は、彼の彫刻作品からは分断され、もっぱら政治的パフォーマンスとして評価されてきた。発表者は、それらのパフォーマンスに刻まれた(そしてこれまで看過されてきた)作者性や観客との関係を分析することで、それらが独特な芸術的操作による「政治の作品化」であることを明らかにした。芸術が政治を包摂するのでも、政治が芸術を包摂するのでもない。ボイスは芸術実践と政治運動の並行関係を強調しつつも、両者を安易に一本化しないための慎重かつ繊細な戦略を遂行したのである。

質疑応答は、Zoomのチャットに書き込まれた参加者からの質問を、司会者が適宜拾い上げて発表者に応答を求めていくかたちで行われた。戦後の前衛芸術家による社会批判は、今日の新自由主義的価値観とむしろ共犯関係にあるとはいえないか、それともそれは現在なされている創造性の簒奪に抵抗するための力となりうるのか。芸術と政治の関係を考える際、メディア(広告媒体)とメディウム(芸術媒体)はどのように、またどこまで重なり合うのか。反復や複製が「陳腐化」と「拡散」を同時にもたらすとすれば、そのことはコラージュやマルチプルがもつとされる現実批判的性格にどのような作用を及ぼしているのか。そうした論点をめぐり、活発な議論が展開された。

(吉田寛)


パネル概要

保守的なアデナウアー政権時代(1949-63)に続く「長い60年代」(1957-1973)は、戦後西ドイツにおける転換期に当たり、この時期の芸術が既存体制やナチズムという過去への批判を展開したこともまた周知の事実である。とはいえ、(一種の虚構としての)芸術による政治的現実への介入は、ややもすると両者の二項対立的な関係とその克服として捉えられがちである。本パネルは芸術の用いるメディアに着目し、虚構と現実の対立と克服という図式ではなく、両者の緊張関係において当時の音楽・芸術実践を捕捉することを試みる。

曹は、B. A. ツィンマーマンによる晩年の作品《ある若き詩人のためのレクイエム》を対象に、コラージュ技法が備える批判的能力を検討する。コラージュはいわば現実の断片を引用し、反復的なメディアによってそれを再構成することで、虚構としてのドキュメンタリーを形成する。それによってコラージュは現実の批判的認識に貢献しうる。また水野は、ヨーゼフ・ボイスの後期作品を中心に、政治的思想を伝達する媒体としての作品を検討する。その際、彼が芸術家としての自己イメージを利用しつつも、観客への伝達・挑発といった効果を念頭に、複数のメディアを往復することを示す。本パネルはいわば、政治的現実を媒介するメディアという観点から、諸芸術における虚構―現実という交流の諸相を明らかにすることを目指している。

現代音楽における虚構と実在の力学──B. A. ツィンマーマンの《ある若き詩人のためのレクイエム》におけるメディア性/曹有敬(東京大学)

両大戦に伴った技術発展は、ミュジーク・コンクレートや電子音楽に見られるように、音楽の領域においても斬新な音響の発見という新しいパースペクティブを提供したが、1970年前後の音楽のコラージュ実践には、未来志向的な新しい音響の追求ではなく、ノスタルジーなど過去への回帰が見られる。しかし、それは果たして過去の省察にとどまるものなのか。本発表では、戦後に現れた、音楽の素材としてのメディアと当時の感性の結びつきに着目し、音楽のコラージュの批判的性格を同時代の芸術理論を通して際立たせることを目指す。

本発表で取り上げるドイツの現代作曲家B. A. ツィンマーマン(1918-70) の晩年作《ある若き詩人のためのレクイエム》(1967-69)に対する批評には、音源を用いて歴史的事象を描き出すという作品のドキュメンタリー性が常に注目されている一方、その意味はあまり熟考されていない。まず、当時のアバンギャルド理論とメディア論を手掛かりに、このドキュメンタリー的作品における虚構と実在の関係とそれらの境界を曖昧にするメディアの特性を明らかにする。そして、メディアによって造られるリプレイ効果(反復性)が、伝達の力を促し、時空間を超えるような「同時代性」をもたらすことを示す。最終的には、「媒体」と「伝達」というメディアの二義性によって見出される、音楽のコラージュの批判性をアバンギャルド芸術史に位置付ける。

政治的媒体としての芸術──ヨーゼフ・ボイスにおける美的=政治的コミュニケーション/水野俊(慶應義塾大学)

本発表では、コミュニケーションの媒体としての芸術作品という観点から、ボイスの政治的活動がいかなる感性的媒体を通じたものだったのかを明らかにする。

社会を志向する芸術という近年の動向を前に、その先駆としての前衛芸術もまた新たな視座から見直しが進められている。ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)は社会を芸術作品として塑造していくことを主張し、そのプロセスを「社会彫刻」と名付けたが、彼も後年になって社会を志向する芸術家の先例とみなされてきた。特にドクメンタにおける《国民投票による直接民主主義のための組織》(1972)や《100日間の自由国際大学》(1977)など、70年代前後に典型的な作品/活動は、政治・社会活動の諸形式を芸術へと応用したものとして言及されることも多い。

しかし同時代批評やその後の芸術と社会とをめぐる議論において、これらの活動は政治的パフォーマンスとして解される一方、ボイスの彫刻作品(パフォーマンスの遺物/ドキュメント)とは分断して論じられ、また観客の位置づけや作者性という点も看過される傾向にある。そこで、社会参与的な芸術についての議論を上述の点を中心に整理した上で、ボイスの言説とそれに対する批評とを確認する。それによって、彼が言語による政治的メッセージと芸術実践との並行性を強調しつつも、芸術実践においては観客への伝達や挑発のために多様な媒体を用いて、極めて自覚的な戦略を取っていたことを示す。

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2020年10月20日 発行