研究ノート

デジタルアーカイヴの不可能性について

常石史子

1 アーカイヴと大学

2005年11月、表象文化論学会設立準備大会におけるシンポジウム「表象のメディエーション 知の現場 現場の知」に、私は「アーキヴィスト」の立場で参加していた。キュレーター、プランナー、エディターとともに、「大学」と「現場」をつなぐ4種の「メディエーター」のひとつという位置付けであった。ほどなく東京国立近代美術館フィルムセンター(現国立映画アーカイブ)からフィルムアルヒーフ・オーストリアに移り、日本の研究や言論の場からは長く離れていたのだが、省みるとこのときに与えられた「メディエーター」の役割を、ヨーロッパにおいても愚直に模索してきたように思う。

大学を拠点とする研究者と、フィルムアーカイヴを拠点とするアーキヴィストの双方を取り込む形で運営されるカンファレンスなどに参加するなかで、両者間の時に敵対的とも見える距離に接する機会は多かった。研究者の側には、アーキヴィストが原資料を囲い込み宝の山へのアクセスを理不尽に阻んでいるという憤りがあり、アーキヴィストの側には、物理的・化学的に損傷を受けやすい映画フィルムの脆弱性が十分に顧みられず、コンテンツとしてアクセシビリティばかりが要求されることへの苛立ちがある。要請はえてして大学からアーカイヴに対する一方向的なものとなりがちで、アーカイヴはもっぱら守勢にまわり、「出せない理由」の発信に追われる。

こうした伝統的な対立構造を解消する方策のひとつとして、アムステルダム大学とEYE映画博物館、ベルリン技術経済大学とドイチェ・キネマテーク等、大学内の映画保存学に重点を置いたセクションにおいて、教育・研究の重要な部分を近隣のアーカイヴと連携して行なう例がヨーロッパでは増えている。近年はチューリヒ大学が豊富な資金力で国内外のアーカイヴと広く連携し、この分野を牽引している。アーカイヴに蓄積された原資料そのものを研究対象とする点で、アーカイヴが大学に開かれた例と言えるが、提携先はしぜん専門性の高いセクションを持つ大学に限定される。

いま一つの方向性がデジタルアーカイヴである。原資料をデジタル化し、不特定多数の利用者の閲覧に供することで、映画保存学どころか大学という枠も超えて広範な活用につながる。いったんデジタル化してしまえば請求のたびに脆弱な資料を出さずに済むため、アーキヴィストにとってもありがたい。日本におけるデジタルアーカイヴの推進を担う「デジタルアーカイブ学会」は、例えば去る12月に開催された「アートコンテンツ活用シンポジウム デジタルアーカイブで拓くアートの未来」の「趣旨」において、「海外から見るとほとんど眠ったままに等しい我が国のアートコンテンツを世界に発信し、国内外で利用される仕組みをつくることによって、日本の社会と個人生活を豊かにする」ことを目指すとする。私もまさにこうした「仕組み」の立ち上げに映画の分野で取り組んできたし、同学会に所属して活動してもいるのだが、このような形で描かれる明るい「未来」展望にははげしい違和感を抱かざるをえない。小稿は、資料を「コンテンツ」として「世界に発信」するデジタルアーカイヴの枠組から、容易にこぼれ落ちてしまうものにこそ光を当てようとするものである。



2 保存と公開

日本の国立国会図書館は、「デジタル化の目的」として第一に「原資料保存」、第二に「検索、閲覧の利便性」を掲げている*1。この二点、すなわち保存と公開はむろん車輪の両輪ではあるのだが、社会的なニーズに配慮しながらも保存上の緊急性の高いものから優先的にデジタル化を進めてゆくという基本方針は「資料デジタル化基本計画2016-2020」*2にも見える。

*1 国立国会図書館編集・発行『国立国会図書館デジタルコレクションパンフレット』、10頁。
*2 www.ndl.go.jp/jp/preservation/digitization/digitization_plan2016.pdf[2020年1月21日閲覧]

この二項対置は、フィルムアーカイヴの分野においては端的に “Preserve then show” と表現され、同名の書物も刊行されているが*3、より踏み込んで “Preserve to show, show to preserve” という言い回しもしばしば用いられる。パラフレーズするなら、公開を可能にするために保存が必要なのは言うまでもないが、保存の必要性を周知するためにも公開を積極的に行なう必要がある、といったところか。いずれにしても、「公開」に対してやはり「保存」に明瞭に軸足を置いている。

*3 Dan Niseen, Lisbeth Richter Larsen, Thomas C. Christensen and Jesper Stub Johnsen ed., Preserve then Show. Copenhagen: Danish Film Institute, 2002.

私が過去6年ほどオーストリアで携わったホームムービーのプロジェクト*4もやはり、湮滅の危機に瀕するフィルムを一刻も早く救出することを最優先に発想したものだった。1960年代から70年代を最盛期とする8mmフィルムは、さして遠くない過去には家電のようにありふれたものであったにもかかわらず、稼働する機材や操作できる人の減少により急激に「さわれない」「見られない」ものとなり、廃棄される懸念が高まる一方である。実行が1年遅れれば、その1年の間に数千本、数万本のフィルムが新たに廃棄されるだろうという差し迫った危機意識の中で、プロジェクトは実行に移された。テレビスポット等を活用して広くフィルム提供を呼びかけ、提供されたフィルムは内容に関わらずすべて無償でデジタル化し、DVD等の形で提供者に還元するというのが基本的なモデルである。「無償でDVD化」のオファーが奏功して、三つの州から合計10万本以上のフィルムの収集が実現、デジタル化を終えたフィルムが理想的な保存環境下に収蔵されたことをもって、「原資料の保存」の使命はひとまず達成された。

*4 プロジェクトの詳細については拙稿 “Digitizing 25,000 Films a Year: A Challenge for Filmarchiv Austria,” Journal of Film Preservation Vol. 99, Nov 2018, pp. 133–140 および「あなたのフィルムが歴史をつくる ホームムービーのデジタルアーカイブ」(『デジタルアーカイブ学会誌』3巻2号、2019年3月、175–178頁)を参照のこと。

デジタル化は、まずはフィルム提供者へのリターンとして、そして今後の活用のため、二つの目的をもって行なわれ、結果として国際的にも最大級のホームムービーのデジタルアーカイヴが残った。総時間数15000時間以上、1日8時間見つづけて6年かかる量を網羅的に視聴することなどできないから、「検索、閲覧の利便性」が必須事項として浮上する。



3 映像と文字

ホームムービーは商業映画と異なり、あらかじめ文字情報として存在するフィルモグラフィーを参照することができないため、メタデータを一から作り上げる必要がある。近年、非商業映画をエフェメラル・フィルムと総称することがあるが*5、ホームムービーにおける参照軸の不在、拠りどころのなさはたしかにこの形容にふさわしい。

*5 ホームムービー(アマチュア映画)のほか、教育映画、宣伝映画、産業映画などをも含めた概念。

当プロジェクトでは受け入れ時に提供者から聞き取りをし、ラベルやリストなど付随する紙資料にある文字情報を取り込み、さらにはDVD送付時に同梱するデータシートにより提供者やその家族が視聴してわかる限りの情報をフィードバックしてもらって、三段構えのデータ収集を行なった。そのため史料的価値の顕著なもの(撮影者や家族がその史料的価値を認識していたもの)は文字情報のレベルで発見できる可能性がある。ヒトラーやゲーリングの近写を含むナチス政権下のドキュメントをはじめ、従軍兵士による戦場のクロニクル、甚大な被害を出した洪水の記録など、一般的な「ニュースバリュー」の高い記録映像が相当数、当プロジェクトを通じて発見されたが、それらの多くで提供者作成のリストやラベルに内容の記載が見られた。こうした映像は企画上映や展示映像、ドキュメンタリー番組の製作などすでにさまざまな形で活用されている。

地域映像も、中等教育における教材としての活用など潜在的な需要が高い分野だが、文字情報がないものについては網羅的に映像にあたって地名やおよその年代を特定しないことには利用しようがない。下オーストリア州のプロジェクトに関しては、郷土史研究機関IGLRが中心となって場所と年代の特定を進めている*6

*6 Institut für Geschichte des ländlichen Raumes (IGLR) およびForschungsnetzwerk interdisziplinäre Regionalstudien (first) とフィルムアルヒーフ・オーストリアの共同研究プロジェクトErschließung des Filmbestands „Niederösterreich privat“。www.ruralhistory.at/de/projekte/seit-2016/erschliessung-des-filmbestands-niederoesterreich-privat[2020年1月21日閲覧]

人名、地名、年代など、調査を進めれば一義的な正解にたどり着ける、少なくとも徐々に精度を上げてゆける上記の部分とは別に、ホームムービーの分野にとりわけ顕著な難題が、何の変哲もない日常生活をとらえた映像の叙述である。私が実際に接したなかでは、「森から市街地に抜け出る車」や「赤ん坊のオムツ替えをする男性」の歴史的な映像を提供してほしいという要請があったが、10万本の中におそらく存在はするだろうこうした映像を、いったいどうすれば探り当てることができるのか。

具体的な方途の第一はカテゴリー分けである。上述のIGLRは無作為に抽出した約300本のフィルムをサンプルとして精査した上で、旅行、家族の祝い事、幼児、自然、スポーツといった18のカテゴリーを仮に設定したが、複数のカテゴリーを横断する例、逆にどのカテゴリーにもそぐわない例は引きもきらない。それでもなおあるひとつのカテゴリーを選択するなら、それは同時に、選択しなかったカテゴリーを断念することを意味する。

次に検索であるが、検索するには映像をあらかじめ情報化しておかなければならない。具体的にはタグ付けであり、それはイメージの文字への変換にほかならない。映像の検索とは(少なくとも現時点では)、それぞれの映像に打ち込んだタグと呼ばれる文字の楔(Schlag-Wort)を、検索語と呼ばれる文字によって手繰り寄せることだ。だがたとえば食事の場面ひとつとっても、祝い事の特別メニューや食器から、赤ん坊の離乳食、清涼飲料水のパッケージ、家具、ファッションまで、イメージから文字への変換にはほとんど無限の可能性がある。タグをつけることもまた、映像にひとつの意味を与えることであると同時に、無限の広がりをもった映像をあるひとつの意味に制限することである。映像の解析によるタグ付けの自動化は、現在活発な技術開発が行なわれている分野であるが、今後誰かが必要とするかもしれない情報を先回りしてすべて用意しておくことなどできはしないのだから、ただ闇雲に、盲滅法に、言葉を刻み込むことになる。



4 光と闇

フィルムアーカイヴという場に身を置くかぎり、私をとらえて離さないオブセッションがある。収蔵アドレスをひとつ誤入力したら。あるいはフィルムを別のフィルムの缶に戻してしまったら。収蔵庫のどこかにはあるに違いないが、数十万の缶をすべて開けて当の1缶を探し当てるなどということが不可能である以上、いつの日か偶然に発見される時までは失われたも同然だ。実際、そうしたアーカイヴ内紛失は洋の東西を問わずいくらでも例がある。数十年、場合によっては100年以上の長い年月を生き延びて私の手元にたどり着いたフィルムを、私がいま闇の奥から引き出して光に当てたばかりに、まさにその手で葬ってしまうことになる。

その危機感を、私はどうやらデジタルアーカイヴにも投影してしまっているらしい。1本のフィルムがデジタル化されて「コンテンツ」となり、10万アイテムから成るデジタルアーカイヴに放り出されたとき、世界に向け、未来に向け、あらゆる可能性に対して開かれたなどと称するのはあまりに楽天的にすぎる。光が当たらなければ、アドレスなしに収蔵庫の缶の中で人知れず眠っているのと同じではないのか。

「光が当たる」とは単に検索でヒットすることを意味しない。デジタルアーカイヴにおいて、 あらゆる映像はそれぞれの出自、コンテクストから切り離され、対等の資格で放り出される。時間的、地理的な隔たりを超えて、検索語との関連のみによって召喚され、対比される。ところが元来ホームムービーは、コンテクストに極端に依存するジャンルだ。コレクションの単位はほとんどの場合、家庭である。結婚して所帯を構える若いカップルが自身の結婚式をもって記録を開始し、毎年のクリスマスを定点観測しつつ、子供の誕生、初聖体拝受や初登校など様々なマイルストーンをフィルムに収めるうち、子の独立や撮影者(夫=父親であるケースが大半)の死去によって終焉を迎える。前年のクリスマスには映っていた人物の不在が、あるいは毎年欠かさず撮影されていたクリスマスの家族団欒がある年撮影されなかったことが、ときに不在そのものとして、クリスマスの映像それ自体にもまさる重みをもつ。

1941年から、実に見事な家族の記録を撮りつづけていたサルツブルク州のある家庭のコレクション【図版1】は、1945年を最後にいったん途絶える。同じリールにつながれた次のフィルムには「1951年」のタイトルが付されていた。6年の空白を経てひとり増えた家族が、夫=父へのクリスマスプレゼントらしい書物*7を囲み、再びフィルムに収められたこと【図版2】【図版3】に想いを馳せずして、このフィルムを「見た」ことになるものだろうか。

*7 Ernst Jünger, Heliopolis. Rückblick auf eine Stadt. Tübingen: Heliopolis-Verlag, 1949.

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【図版1】Gang auf den Tannberg im Frühling, 1941. 8mm. Courtesy of Filmarchiv Austria.

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【図版2】Weihnachten, 1951. 8mm. Courtesy of Filmarchiv Austria.

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【図版3】Weihnachten, 1951. 8mm. Courtesy of Filmarchiv Austria.

フィルムにつけられたタイトルの多くは「散歩」「子供たち」「クリスマス」──、あまりに一般的でタグとしてほとんど機能しない。6年の空白はタグ付けできない。この美しいフィルムに、人はデジタルアーカイヴの中でどのようにして出会えるだろうかと自問するとき、刻んでも刻んでもイメージを獲りのがしつづける文字の原罪に触れる思いがする。

※ 本稿は表象文化論学会第14回研究発表集会(東京工業大学、2019年11月23日)におけるワークショップ「映像アーカイブの未来を考える」での口頭発表にもとづいている。

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2020年2月29日 発行