単著

小林康夫

表象文化論講義 絵画の冒険

東京大学出版会
2016年6月

本書は著者が長年に渡って取り組んだ、西欧絵画(北米を含む)の歴史を哲学的考察によって全27講で講じる、充実の書である。

この本は、ジョットの少年時代のあるエピソードを礎としているように見える。それは、ヴァザーリの列伝に記されている次のような話だ。チマブーエがフィレンツェから郊外のヴェスピニャーノに向かう途中、少年ジョットが羊に牧草を食べさせながら、先のとがった石で、滑らかな石の上に実物の羊を、誰に教えられるわけでもなく、写生しているのを見かけた。チマブーエは驚き、「私と一緒にこないか」と声をかける。そうすると、少年ジョットは「父親の許しがあれば喜んでお供します」と応えたという。著者はこのエピソードに戦慄をおぼえつつ、自然を自然のままに表象することという、絵画史の枠を超える、人間の文化の根源的な次元を見出す。

著者はのちほどこの出来事を、ジャクソン・ポロックがハンス・ホフマンと面会したときのポロックの言葉に反響させる。ホフマンは、ポロックが自然[描写]から制作していないことを指摘したのだが、ポロックはそこで「私が自然です」と返したのである。ジョットからポロックへ。さらに著者は「わたしの勝手な妄想ですが」と大きく断りをいれながら、ジョットの出来事を、ジャン=ミシェル・バスキアとそのメンターといえるアンディー・ウォーホルの関係に投影する。ロワー・マンハッタンの建物の壁へのグラフィティから出発したバスキアと、のちに共同制作することにもなるウォーホルを、羊を石に写すジョットと、彼を見出したチマブーエの関係へと重ね合わせるのである。ニューヨークでは、かつてのフィレンツェ郊外のような「自然」は失われているが、バスキアには絵画の失われた根源的な「野性」がある。著者はそこに「絵画の歴史」の新しいサイクルの可能性を考えているのだ。小林の視点は、何よりも画家の生と眼差し、その「激しさ」への驚きで始まり、そこから時代における人間存在と世界の構造がいかに変容していくかをめぐる表象文化論的考察へと導かれる。

バスキアとウォーホルの出会いそのものは、1980年に、レストランで食事中のウォーホルにバスキアが自作の見本を売り込んだ、というものだった(この場面は、ジュリアン・シュナーベル監督による伝記映画『バスキア』(1996)でも再現されている)。つまり、ジョットよろしくバスキアがスプレーで壁にグラフィティを施している現場をウォーホルが見出したわけではないのだが、そのような差異に臆することなく、絵画とその歴史が開く広大な次元を熱く浮かび上がらせる姿勢は、力強いというほかない。

主題が幅広いこの本を網羅的に紹介することは諦めるが、特筆するならば、やはりベラスケス《ラス・メニーナス》をめぐる、ミシェル・フーコーへの批判的考察(第9講義「鏡と墓」)は、これまでも著書で提示されているが、きわめて興味深いものだ。美術史家ダニエル・アラスの論への応答も含めて、本書の忘れがたい「アリア」のひとつと言ってよいだろう。

また、美術史の概説においては、かならずしも大きな扱いがなされないシャルダンに紙幅が割かれていること(第11講「事物の感情・生命の美」)も、印象深い。著者が専門とする地域がフランスを主とすることも作用しているが、シャルダン絵画の言語化しがたい質の表現に、プルーストに導かれつつ取り組んでいることは、特筆に値する。

あまり気が進まない瑣末な指摘で恐縮だが、2点気づいた点を挙げておくと、エドマンド・バーク(Edmund Burke)の姓が「バーグ」と記されている。また、セザンヌ《ジュールダンの小屋》の所蔵が「個人蔵」となっているが、1987年以降はローマ国立近代美術館の所蔵となった。以上はもちろん些細である。

私が受講生として参加した本人の講義それ自体でもつねに教育的に示されていたが、本書の全体を通して、画家そして絵画を語るときは、絶対的に魅惑的でなくてはならない、という信念を反映している。構想・執筆におよそ20年の歳月を必要としたのも、その姿勢と無関係ではないだろう。

(荒川徹)

広報委員長:横山太郎
広報委員:江口正登、柿並良佑、利根川由奈、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2017年7月29日 発行