小特集「メタモルフォーゼ」 2.『fashionista』創刊記念インタビュー 1

『fashionista』創刊記念インタビュー
蘆田裕史・水野大二郎

聞き手・構成=小澤京子

表象文化論学会ニューズレター『REPRE』の今回の小特集テーマは「メタモルフォーゼ」です。変身、扮装、身体を変容させること、アイデンティティをめぐる揺れや戯れ……とテーマを敷衍していったときに、必然的に浮かび上がってくるのが「ファッション」でした。

そこで、2010年から「ファッション批評」を実施するための具体的なムーヴメントを押し進め、今年2月に「日本初のファッションの批評誌」を銘打つ『fashionista』を創刊された蘆田裕史さん(ファッション研究者)と水野大二郎さん(慶應義塾大学専任講師)に、お話を伺いたいと思います。


Q1:『fashionista』の創刊号がすごい反響で、販路が限定されているにも関わらず、すぐに増刷が決定するほどの売れ行きだそうですね。創刊前後の反響や手応えについて、お聞かせください。

蘆田:2011年2月に「ドリフのファッション研究室」(NPO法人ドリフターズインターナショナルの企画によるファッションを多面的に考えるトークイベント)の「ファッション批評」をテーマとしたセッションに参加いたしました。これは参加料が決して安いイベントではなかったのですが、70~80名くらいの参加があり非常に驚きました。そのことに鑑みて、ある程度の需要があることは期待していたのですが、1か月も経たないうちに増刷を決めることになるとはまったく思っていませんでした。ただ、『fashionista』は売れればそれで万事OKという雑誌ではないため、どれだけ売れたかよりも、どれだけの人を今後巻き込んでいけるかが重要だと考えています。その意味では、まだ手応えを感じられるところまでは至っていないです。

水野:創刊前から、ファッションを考えるという機運が昨今高まっていました。それはコム・デ・ギャルソンの川久保玲さんが異例的にインタヴューを受け、彼女の「ファストファッション」への懐疑的な意見が新聞に掲載されたことや、コスプレなど「クールジャパン」ファッションが海外において評価されていることなどがあったかと思います。もちろん震災を経験したこともふまえ、「デザインは何ができるのか」ということをこの状況下において再考したいと思う人が増えたこともあるかと思います。
ですが、SNS上でしか主たる広報媒体がなかったため、そんなに多くの人に共感を得ることはできないかもしれないと考えました。ですので、蘆田君とは「堅実に、無理せず出来ることから」という姿勢を貫こうという話になりました。
創刊後、1年かけてじっくり販売していこうと思っていたのですが3週間で在庫切れになり、反響の大きさに素直に驚いています。そして、ファッションデザインにまつわる様々な事象を批評したり、研究対象としたりする仲間たちがぽつぽつと集まり始めてきたことを実感しています。

Q2:『fashionista』という批評誌をお二人で(ほとんど手弁当で)創刊することを決意した、そのきっかけや経緯について語って頂ければと思います。

水野:誰もやってくれないから、しょうがないので始めました。
逆に聞きたいのですが、どうして皆さんやってくれなかったのでしょう? まずは思いを形にした上で、そこから改新・改変していくことが肝要ではないのでしょうか。お金の問題ではなく、ましてやコンテンツの問題でもないなら、姿勢の問題であるような気がします。
『fashionista』程度の部数であれば、誰でもできますから、もっと多くの人が アウトリーチ活動に積極的に、寛容に、柔軟に取り組むべきだと思いますが……

蘆田:「ないなら作ってしまえ」という安易な発想からでしょうか。
私も水野も「changefashion」というウェブサイトでブログを書いているのですが(蘆田さんブログ 水野さんブログ)、ブログには手軽にアクセスでき、様々な人の目にとまりやすいという利点があるものの、一方で、過去の記事はあまり読まれなくなってしまう印象を受けます。また、画面上で読むことが前提とされているため、あまり長いテクストは書けません。そうしたことを考えたときに、やはり雑誌や本というメディアでテクストを積み上げ、残していくことの必要性を強く感じました。雑誌という形態をとったのは、一冊出せば終わりというわけではなく、継続性が重要だと考えたからです。

Q3:ファッション(モノとしての衣服/社会現象としての服装や流行)を扱う学術的・知的言説の系譜は、今まで(人文学の中では比較的傍系ながら)存在していました。歴史研究としての服飾史、社会学の立場からファッションに体現される傾向や心理を論ずる研究、あるいは鷲田清一氏による一連の「ファッションの哲学」や、それと軌を一にして起きた「皮膚論」「身体論」ブームなどです。
なぜ今、ファッションの「批評」なのでしょうか? 敢えて「研究」でもなく、かといって「ジャーナリズム」でもなく、「批評」というアプローチないしアティチュードを採ることの、意義や目的を語っていただければと思います。

蘆田:これまでのアカデミックな研究は無用の用といいますか、直接的に何かの役に立たないことを美徳としてきたきらいがあるように感じます。もちろん、そうしたスタンスもあってよいのですが、個人的には、研究者は自身の研究がどのように役に立ちうるのか、可能性くらいは提示するのが誠実な態度だと思うのです。たとえば、アカデミックな研究をベースとしつつ、それをきちんと社会にも届けている東浩紀さんのような方が理想です。ファッションの歴史や理論の研究をする私が社会との接点を考えたとき、批評というアプローチをとるというのはごく自然な流れだと思います。

水野:ファッションの研究が指すところの多くは人文・社会科学系の諸分野であり、他方ジャーナリズムはファッションビジネスやデザインの姿形の問題に焦点があたりすぎている、と僕個人は認識しています。
両者には相容れない部分があります。しかし、例えばファッションデザイナーの創造性を研究対象としたとき、その作品を紹介・分析する際の位置づけを決めるために、研究とジャーナリズムを架橋する場や言説が今、必要ではないかと考えています。
つまり、学術的研究としての厳密さを無視せず、かといってジャーナリズム的視点として「いま・ここで」何が起きているかとも剥離せず、新しい「価値」を見出すための資料、方法論、思考としての「批評」が積み重なることが研究者・実践者・利用者の3者を架橋するという意味で有効かもしれないと思うのは私だけでしょうか。それをまずは考えを形にしてみた、といったところです。

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