第5回大会報告 研究報告 2

研究報告2

2010年7月4日(日) 10:00-12:00
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム

研究報告2:残存する「オペラ」
── 1910-20年代、ポスト・ヴァーグナーの行方

魂の対話を自国語で歌う
── 《青ひげ公の城》における象徴主義と文化ナショナリズム
岡本佳子(東京大学)

目に見える音楽
── クルト・ヴァイル《プロタゴニスト》、《皇帝は写真を撮らせたもう》における舞台の音楽とピットの音楽
中村仁 (桜美林大学)

世俗的なる完成品 ── シェーンベルクの一幕オペラ《今日から明日へ》
白井史人(東京大学)

【コメンテーター】長木誠司(東京大学)
【司会】竹峰義和(日本大学)

1600年ごろにイタリアで誕生した「オペラ」という芸術ジャンルは、モンテヴェルディ、ラモー、ヘンデル、モーツァルト、ロッシーニ、ヴェルディなど、さまざまな作曲家によって発展的に踏襲されながら、およそ400年以上にわたって存続してきた。しかし、おそらく19世紀後半ごろに、ジャンルとしてのオペラはいったん飽和状態を迎えたと言えるのではないか。すなわち、リヒャルト・ヴァーグナーが「楽劇」や「総合芸術作品」の名のもとにオペラの徹底的な変革を訴えるとき、そこではまさに、既存のオペラをいったん否定したうえで、新しい表現様式へと止揚・再生することが企図されていたからである。とはいえ、そのあと20世紀を迎えると、オペラが完全に死滅したというわけではけっしてない。すなわち、確かに音楽誌上では「オペラの危機」をめぐる言説が頻繁に登場しつつも、R・シュトラウスやシュレーカーなどの後期ロマン派の作曲家たちがなおも旺盛にオペラ作品を発表する一方で、制度としてのオペラをいわば〈脱構築〉するような実験的な試みが盛んにおこなわれるのである。そのような傾向がとりわけ顕著だったのが、このパネルが焦点を合わせている1910~1920年代であり、そこでは、他の芸術ジャンルと融合させたり、新しいテクノロジーを取り込んだりしながら、なおも少なからぬ作曲家が、有名無名を問わず、「オペラ」の名を冠した作品をつくりつづけたのである。そして、ポスト・ヴァーグナー期においてオペラがかくも多様化を遂げたことが、現在においてもこの古式ゆかしいジャンルが延命していることに貢献したともいえるのではないか。

パネルは、司会の竹峰によって以上のような問題提起が手短になされたあと、岡本佳子氏による最初の発表がおこなわれた。素材として取り上げられたのは、バルトーク作曲/バラージュ原作のオペラ《青ひげ公の城》(1911)であり、まず岡本氏は、ハンガリー語のテクストに頻出する「血(ヴェール)」という象徴主義的なモチーフに着目したうえで、それが音楽や舞台上の視覚効果とどのように有機的に結び付けられているかという問題を、映像や譜例をまじえつつ分析した。つづけて岡本氏は、バルトークとバラージュが《青ひげ公の城》というオペラを自国語であるハンガリー語で創作したことの背景と狙いを、世紀転換期のハンガリーの文化ナショナリズムという文脈に位置づけながら検証した。

つづく中村仁氏の発表は、クルト・ヴァイルの《プロタゴニスト》(1926)と《皇帝は写真を撮らせたもう》(1928)という二つの初期オペラをめぐるものであった。しばしば《三文オペラ》の陰に隠れがちなこれらの作品において中村氏が着目したのは、オーケストラ・ピットの役割である。従来的なオペラにおいてオーケストラ・ピットは、可視的でありながらも不可視であるという意味で、オペラがもつ制度的な不自然さを体現するものであるといえるが、中村氏の考えによれば、ヴァイルが試みたのは、オーケストラ・ピットと舞台上の世界との境界を意図的に撹乱することにほかならず、それによって観客は、現実と舞台、聴覚情報と視覚情報との「間」において、ブレヒト的な異化効果には還元されない「リミナリティ」(フィッシャー=リヒテ)の体験をおこなうことが可能となるのである。

最後の白井史人氏の発表において取り上げられたのは、シェーンベルクの一幕物のオペラ《今日から明日へ》(1928/29)である。シェーンベルクによる唯一の「時事オペラ」の試みであるこの作品は、以前から世俗的なテクストと十二音をもちいた音楽との乖離という面のみが強調されてきたが、詳密な音列分析をつうじて白井氏は、十二音技法によって構成される音響が、表層的なテクストとは異なる深層的な次元で独自の意味内容をかたちづくっていることを示した。つづけて白井氏は、「オペラの危機」をめぐるシェーンベルクの論説文や、《今日から明日へ》における言葉遊び的なモチーフなどに言及しながら、この作品に込められたシェーンベルクの戦略を、トーキー映画的な「リアリズム」とは異なる「音楽的現実」を提示することだと規定したうえで、そこに《モーゼとアロン》につながる要素が潜んでいるのではないかと結論づけた。

以上の三つの発表につづいて、コメンテーターの長木誠司氏によってコメントが加えられた。まず、岡本氏の発表にたいして長木氏は、バルトークの《青ひげ公の城》が、象徴主義といったかたちで19世紀的なものを残存させているが、その一方で、言語的なイメージを光や色彩といったかたちで舞台上の視覚効果として表現するという発想そのものはヴァーグナーの総合芸術作品の試み以降にしかありえないものであり、ガス灯や電気といった技術的な要素とも不可分に結びついているという意味で、20世紀的なものを孕んでいるという指摘をおこなった。さらに、ナショナリズムとモダニズムの関連という点に関して、ハンガリーのそれまでの国民オペラとの連続性と違いについての質問があった。つづけて長木氏は、中村氏と白井氏の発表の双方において問われているのが、リアリズムと仮象の問題であると述べたうえで、中村氏の発表にたいして、のちのブレヒト/ヴァイルの《マハゴニー》などにおいて企図されているのが、いかに仮象を仮象として観客に認識させるかという点であったとすれば、《プロタゴニスト》と《皇帝》においてヴァイルはどこまで意識的に「リミナリティ」の体験を追及していたのかと問うた。また、その関連で、カイザーの原作とヴァイルのオペラとの違いについて質問がなされた。白井氏の発表にたいしては、シェーンベルクにとってリアリズムとはすべてが創作の問題であり、たとえば映画によってリアリズムがどう変化したのか、リアリズムにはどのような力があるか、ということが問題になっているという指摘がなされたあと、《モーゼとアロン》が孕む、未完であるがゆえに完成されているという逆説について質問があった。最後に、パネル全体にたいする質問として、①1920年代のドイツ語圏で盛んに言われた「オペラの危機」とは現在から見てどのようなものであったか ②ヴァイルとシェーンベルクの作品は映画音楽と何らかの関連があったのか、という問いかけがなされた。

長木氏のコメントにたいしてそれぞれの発表者が応答したのち、会場も交えて活発な議論が展開されたが、質疑応答のなかで繰り返し浮上したのが、映画音楽とオペラとの関係という問題であった。議論のなかで中村氏が定式化したように、従来的なオペラにおいては舞台と音楽との調和が暗黙の了解事項とされてきたわけであるが、無声映画においては視覚と聴覚が原理的に切り離され、さらにトーキー時代を迎えると、言葉という要素を含めたかたちで再統合される。おそらく、映画というテクノロジー・メディアの変化と、それにともなう視聴覚間の関係性の再編成から、それぞれの作曲家が何らかの刺激をうけ、20世紀の「オペラの危機」を――さらには作曲という営みそのものが抱える危機を――乗り越えるための示唆を受け取り、直接的・間接的なかたちでおのれの作品へと取り込んでいったのではないか。1910~20年代のオペラを主題とした本パネルをつうじて、狭い意味での音楽学の枠にとどまらない、芸術表現とテクノロジーをめぐる新たな展望が開かれたことが、個人的には非常に大きな収穫だった。

竹峰義和(日本大学)

【パネル概要】

オペラというジャンルは、19世紀後半のヴァーグナーによるオペラという呼称の放棄、1920年代に音楽雑誌を賑わせた「オペラの危機」論争から戦後のブーレーズによる「オペラ劇場を爆破せよ」というアジテーションに至るまで幾度も危機を警告されてきた。岡田暁生が「第1次世界大戦後の20世紀大衆社会の到来とともにその歴史的使命を終えた」(『オペラの運命』)ジャンルとしてオペラを定義づけ、R.シュトラウスにその残照を見出しているのも一定の妥当性を持っている。

しかし、世紀転換期前後のメルヘンオペラ、文学オペラ、ドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》(1902)などの「ポスト・ヴァーグナー・オペラ」(ダールハウス『19世紀の音楽』)を経てもなお「オペラ」という呼称をもつ作品は創作され続けた。東欧諸国の自国語オペラや時事オペラなど、録音技術や映画の発展により生じた大衆文化、政治的状況の変化、音楽や他ジャンルの前衛運動との関係を通じて形態を多様化させた1910~20年代のオペラは、1つのジャンルに括ることが困難なほどの様相を呈している。

それらの作品がなぜ「オペラ」という名を冠して創作され、受容されたのか。この問いを、それぞれの事例研究において音楽とテクストの関係を中心に検討することで、20世紀初頭の社会的、歴史的、美学的問題の中に残存する「オペラ」の布置を浮かび上がらせることが本パネルの課題である。

魂の対話を自国語で歌う
── 《青ひげ公の城》における象徴主義と文化ナショナリズム
岡本佳子(東京大学)

バルトーク作曲、バラージュ原作《青ひげ公の城》(1911)は、ブダペシュトで開催された二つのオペラコンクール用に作曲された。しかし審査員から「まるで上演に不向き」と評されたように、本作品は男女2人の対話のみで構成される、劇的効果の少ない、およそ「オペラ」らしからぬ作品であった。

本発表では、なぜこのような作品が制作されたのかという問いを念頭に置き、二つの側面――作品における象徴主義、制作当時のハンガリーにおける文化ナショナリズム――に注目して分析を行う。そして本作品を、ヴァーグナーの楽劇志向から象徴主義を経由し、世紀転換期ハンガリーにおいて成立した、オペラの一つの終着点として捉えることを試みる。

バルトークは作曲にあたって、血や涙といった言葉に呼応するモチーフを登場人物の感情に広く結びつけ、音楽における象徴を巧みに利用している。これによって、韻文によって禁欲的に作られたバラージュのテクストの「魂に音楽的形式を与え」(バラージュ)、さらに音楽による新たな解釈も提示している。

一方で、こうした言葉と音楽の作用を考える際、国内における文化的背景を無視することはできない。ハンガリーではモダニズム運動においても、芸術家による社会への参画が意識されたと指摘されている(フリジェシ)。本作品は、民話の言い回しや民謡の音楽語法の利用を通して新たな自国語オペラを制作する、作者2人の試みの結果でもあったのである。

目に見える音楽
── クルト・ヴァイル《プロタゴニスト》、《皇帝は写真を撮らせたもう》における舞台の音楽とピットの音楽
中村仁(桜美林大学)

ドイツの作曲家クルト・ヴァイルと劇作家ゲオルク・カイザーによる一幕オペラ《プロタゴニスト》(1926)と《皇帝は写真を撮らせたもう》(1928)は、作曲者自身が合わせて一晩で上演することを望んだ2作品である。《プロタゴニスト》では劇中、8人の管楽器奏者が舞台上に登場し、パントマイムの伴奏のために大公より派遣された音楽家として演奏するのであるが、それ以外の部分で奏者達はピットのオーケストラと共に演奏し、最後にピットに歩いて戻るよう指示されている。一方《皇帝》では、シルクハットをかぶり白い顎鬚をたくわえた老人に扮した男声合唱がピットに配置され、舞台上の出来事にコメントを加える役割を果たす。さらにドラマの終わりにおいては舞台上のグラモフォン(蓄音器)によってタンゴが奏でられる。

「オペラ」において台詞が歌われ、音楽がつけられていることは自明のことであった。しかしヴァイルは音楽(家)の存在を可視化し、舞台とピットの境界をあやふやにすることで、ドラマにおいて音楽が存在していることの不自然さを強調する。師のブゾーニのオペラ論や、同時代の様々な新しい「オペラ」創作との関係の中で、これまで《三文オペラ》(1928)に代表されるブレヒトとの共同作業において確立されたソング形式、叙事的音楽劇の前史的な作品としてしか見られてこなかったこれらの作品が、「オペラ」における舞台表象に対して投げかけていた問題を明らかにさせたい。

世俗的なる完成品 ── シェーンベルクの一幕オペラ《今日から明日へ》
白井史人(東京大学)

本発表は、シェーンベルクが12音技法に基づく音楽を用いた一幕オペラ《今日から明日へ》(1928/29、台本:ゲルトルート・シェーンベルク)を取り上げる。名前を持たない夫婦がひき起こす一夜のささいな鞘当てを描き出し、クシェネク、ヒンデミットなどの時事オペラの流れで理解されてきた本作品を、シェーンベルクの創作史、同時代のオペラの創作・受容との関連から再検討することを課題とする。

まず1920年代の「オペラの危機は存在するか?」という雑誌取材への彼の解答を出発点として、本作品が持つヴァーグナー的な理念や同時代のオペラ創作に対するアイロニックな効果を指摘する。次に、「モノドラマ」、「音楽つきドラマ」などの呼称で創作された《期待》(1909)、《幸福な手》(1913)などの初期作品群との比較を行う。具体的には「テクストとの関係」で「冒頭の言葉の響き」に触発されて進行すると述べられている歌曲創作法に対して12音技法の導入が与えた変化を、《今日から明日へ》のスケッチと『シェーンベルク全集』の「校訂報告」に基づいた成立過程の解明と音列分析を通して検討する。そして、『聖書の道』(1927)から「聖なる断片」(アドルノ)と評された未完のオペラ《モーゼとアロン》(1930/32)へとユダヤ教的色彩を強めていくシェーンベルクの創作の流れと比較することで、彼が唯一完成させた「オペラ」作品の世俗性が持つ戦略と意義が明らかになるだろう。

岡本佳子

中村仁

白井史人

長木誠司

竹峰義和