2020年12月20日(日)
午後 16:00-18:00

初期満映とドイツ映画──雑誌『満洲映画』をてがかりに
山本佳樹(大阪大学)
ドイツ映画研究者の立場で雑誌『満洲映画』を繙くと、いわゆる「呪われた映画」、すなわち、ナチ映画の題名がたびたび目に留まる。もちろん、この時期のドイツがまさにナチ政権下にあり、満映成立前年の1936年11月25日には日独防共協定が結ばれていたことを考えれば、それは当然のことのようにも思われる。しかし、この雑誌におけるドイツ映画への言及に着目した研究は、管見のかぎり見当たらない。本発表では、『満洲映画』のなかで、ドイツ映画がどのような文脈の下に、どのような頻度で、どのような位置づけをされて登場しているかを確認し、初期満映とドイツ映画との関係に光をあててみたい。
創刊号日文版においてはドイツ映画に関連する言説や写真が目立つ。ここでドイツ映画に向けられているまなざしはおおきくふたつの種類に分類できる。ひとつは、矢間晃の「満獨映畫協定論」で説かれるような、それまで最大勢力だったアメリカ映画が輸入されなくなったことで、同じく「洋画」であるドイツ映画にその穴埋めを期待するまなざしである。もうひとつは、近藤伊與吉の「映畫俳優學第一講 主として『新しき満洲映畫演員』の為に」に添えられたエーミール・ヤニングスの写真とキャプションから読みとれるように、満映がこれから製作していく新しい映画の模範としてドイツ映画を見るまなざしである。その後の『満洲映画』をてがかりに、このふたつのまなざしの行方を追う。

映画『戦争と人間』1970-1973における満洲イメージ
李潤澤(大阪大学)
本発表では「日活最後の輝かしい大作」とされる『戦争と人間』(山本薩夫、1970-1973)三部作における満洲の表象に注目する。『戦争と人間』は同じく五味川純平の同名小説を映画化した『人間の條件』(小林正樹、1959-1961)三部作に続く、満洲を舞台にした10年ぶりの超大作映画である。興行成績においても当時の批評界においても「成功した」両作品の満洲の描写にはかなりの相違があるが、そこにはそれぞれの監督の作家性のほか、10年を隔てた日本社会の「満洲」についての捉え方の変化が作用していると考えられる。
近年の『戦争と人間』についての論考では、「素材本来の重みゆえにどうも弾けていかない」、「あまりに露骨にポルノグラフィック」といった批判もあるが、ここでは作品の良き悪しについて評価をするのではなく、『戦争と人間』が生まれた時代における満洲イメージの特徴やこの作品が果たした歴史的役割を検討したい。まず、膨大な登場人物を擁するこの作品の巨大なスケールが、当時の観客にどのように受けとめられたのか、その可能性を考察する。続いて、本作の「大きな瑕」とされる性描写を戦時中の『支那の夜』(伏水修、1940)などにおける日本的オリエンタリズムの性役割と比較し、『戦争と人間』における身体と侵略の関係を提示する。さらに、『戦争と人間』と50年代、60年代の戦争映画との間テクスト性を指摘し、作中のさまざまな引用を分析し、その意味と効果を読み取る。

もう一つのニュー・ジャーマン・シネマ──ストローブ=ユイレ『和解せず』における言葉とイメージ
行田洋斗(京都大学)
本発表では1965年に製作されたストローブ=ユイレの初長編作品『和解せず』をドイツとフランスの二つの映画運動の文脈から考察し、その映画史的意義を明らかにする。1950年代に『カイエ・デュ・シネマ』周辺の作家=批評家たちと交流を深め、ジャック・リヴェットの『王手飛車取り』(1956)の助監督としてキャリアを開始したストローブ=ユイレは、ヌーヴェル・ヴァーグが始まる前にミュンヘンへ移住することとなる。当時の西ドイツでは、「若い映画作家」たちによる新たな映画運動が芽生えつつあったが、ストローブ=ユイレは彼らとは距離をとり、独自の方向性を持って本作を製作した。
こうした文脈を踏まえ、まず本発表では、主にアダプテーションの観点から、バザンを中心とするヌーヴェル・ヴァーグの影響を確認し、本作の翻案方法を検討する。先行研究においても、ストローブ=ユイレの翻案実践はたびたび論じられてきたが、それらは言葉に対する作家の態度や姿勢の問題に終始していたように思われる。今回の発表では、そこから一歩先へ進み、それが映画作品においてどのように機能しているかを論じたい。また、さらにそこで考察された音とイメージの政治性を明らかにし、当時の西ドイツ映画と比較しながらその独自性を浮き彫りにすることで、本作をニュー・ジャーマン・シネマのオルタナティヴとして位置付けることを試みる。

【司会】上田学(神戸学院大学)