2025年8月31日(日)13:30-15:30
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新即物主義100周年──今、ヴァイマル共和国時代の芸術文化を考える
- 「観相学者」デーブリーン──「症候学的パラダイム」のなかの「標本」写真集/相馬尚之(筑波大学)
- 新即物主義音楽が拒んだ〈私〉──音楽的表現対象の変遷史/小島広之(東京大学)
- 展覧会になにができるのか──「苦難にある女性たち」展(1931)をめぐる考察/池田真実子(京都大学)
【コメンテイター】石田圭子(神戸大学)
【司会】池田真実子(京都大学)
パネル2 新即物主義100周年──今、ヴァイマル共和国時代の芸術文化を考える
昨今、ヴァイマル共和国の時代(1918-1933)に、多方面から再び光が当てられている。文化や芸術の領域においても、関連する展覧会の開催は多い。特に今年2025年は、「新即物主義(Neue Sachlichkeit)」という言葉を打ち出した1925年のマンハイム美術館での展覧会から数えて100年を迎えており、数年前から今年に至るまでパリやマンハイムなどで「新即物主義」にかかわる展覧会が相次いで開かれている。
しかし、こうした振り返りにあるのは、100周年を記念する祝賀的な雰囲気だけではない。短命に終わったヴァイマル共和国の時代にまなざしを向けるとき、そこには、世界的なポピュリズムやナショナリズムの台頭、戦争や暴力の蔓延、メディアの発達による情報や視覚的イメージの伝達速度の加速と氾濫などを内包する今日との接続あるいは類似があることも、意識されている。ヴァイマル共和国の時代は、幾分不気味なアクチュアリティとともに再び立ち現れているのだ。
本パネルはこのようなヴァイマル共和国の時代の文化や芸術を、文学・音楽・美術の観点から論じる。具体的にはそれぞれ、作家デーブリーン、新即物主義音楽、1931年の展覧会が取り上げられる。ヴァイマル共和国の時代がアクチュアリティを帯びる今日において、その文化や芸術のなにを、いかに論じることができるのかを、三つの個別事例によって分野横断的に検討することが本パネルの目的である。
「観相学者」デーブリーン──「症候学的パラダイム」のなかの「標本」写真集/相馬尚之(筑波大学)
本発表は、作家アルフレート・デーブリーンと同時代の「標本学的」写真芸術の関係について検討する。実験的モダニズム文学の大家として知られるデーブリーンは、ライン地方の様々な市民や労働者たちの肖像を収めたアウグスト・ザンダー『時代の顔』(1929)や、人々や建築物の写真により人種の類型化を試みたルートヴィッヒ・フェルディナント・クラウス『人種と魂』(1926)など、「標本学的」写真集に繰り返し書評を寄せた。そこで彼は、特定の人種や階級の示現を唱える本質主義を否定しながらも、ある集団に広く認められる身体的特徴において生活や環境、また何らかの「力」の作用を判読しようと試みる、一種の「観相学」を展開した。人体は、「魂」が表出する「劇場」として捉えられたのである。
本発表は、このようなデーブリーンの「観相学」を、世紀末・戦間期ヨーロッパ社会における「症候学的パラダイム」(ギンズブルグ)の広がりのなかで再考する。精神分析や図像解釈、指紋検査など「可視的なもの」から「不可視なもの」さえ読み解こうとする「科学的」営為の広がりのなかで、人体のみならず植物などあらゆる事物が「可読的なもの」とみなされたのだ。しかし、1930年代にはナチの台頭に伴い、相貌の類型論が極端な人種主義に転落したことからすれば、デーブリーンの「観相学的まなざし」を、危機の前の鈍麻とみなすこともできるのではないだろうか。
新即物主義音楽が拒んだ〈私〉──音楽的表現対象の変遷史/小島広之(東京大学)
「新即物主義」という語は、感情的・主観的な表現を排し、より客観的な音楽を志向した先進的な音楽家にとって魅力的に響いた。新即物主義音楽の本質は、音楽語法よりも、むしろそれ以前の音楽を特徴づけた主観的な表現に対する批判意識にあったと言える。新即物主義音楽の音楽的特徴とされているジャズの導入、オーケストラの縮小、けたたましい打楽器の採用は、〈私〉の表現を行わない非表現的な音楽の探求の痕跡として理解されるべきである。
では、ここで拒絶された表現対象〈私〉とは何だったのか。音楽芸術は長らく、この芸術だけが巧みに表現できる〈私〉を探求してきたため、それは多彩であった。19世紀前半には概念的なものに還元されない不定型な感情が、19世紀後半には知的な精神が、20世紀初頭には無意識的な要素が、それぞれ音楽独自の表現対象であるとみなされてきた。これらを音楽から排斥しようと試みたのが新即物主義の音楽家たちであった。しかし彼らの音楽美学史的な立場には葛藤があった。彼らは、1950年代以降に開拓されたラディカルな非表現的方法を知らないまま、表現的なものを批判した。彼らが行ったのは、実質的に、〈私〉を諸側面に切り分け、そのうち何かを拒み何かを受け入れるというあくまで中道的な解決であった。本発表では、音楽における表現対象としての〈私〉の歴史を音楽美学的な観点から分析した上で、新即物主義音楽が目指した「非表現」の構造を分析する。
展覧会になにができるのか──「苦難にある女性たち」展(1931)をめぐる考察/池田真実子(京都大学)
世界恐慌と左右両翼の政治闘争が激しさを増す1931年10月、人工妊娠中絶を禁じる第218条への左派の反対運動を背景に、ベルリンの無審査館(Haus der Juryfreien)にて、ある展覧会が開催された。「苦難にある女性たち(Frauen in Not)」展である。アドルフ・ベーネやパウル・ヴェストハイムといった批評家が後援者に名を連ね、以前から第218条反対ポスターなどを制作していたケーテ・コルヴィッツや1924年のソヴィエトロシアでの展覧会企画に携わったオットー・ナーゲルのほか、オットー・ディックスやハンナ・ヘーヒ、さらにはマルク・シャガール、エミール・ノルデ、パブロ・ピカソなどを含む94名の名が出展作家として挙げられている。
本発表では、この「苦難にある女性たち」展を、展覧会という観点から考察する。もちろんこの展覧会は、人工妊娠中絶の禁止という身体的規制によって社会的抑圧を受ける女性という主題の点で挑戦的であったが、そのような主題を展覧会というかたちで取り上げる点で──左派美術史家フリッツ・シフが展覧会カタログでやや誇張的に用いた言葉を借りれば──「展覧会の歴史におけるひとつの事件」でもあった。本発表ではとりわけ、絵画と映画あるいは展覧会と映画館をめぐる当時の言説を補助線とし、「苦難にある女性たち」展において展覧会というかたちに託された意義を明らかにする。それにより、激動の時代に呼応しようとした展覧会の試みを浮かび上がらせることができるだろう。